第2話 平々凡々

 腹部に鈍痛が走る。時間差で背中にも衝撃を感じた。

 声にもならない音が漏れる。うずくまっているところを蹴られ、近くの木に激突したのだ。見上げると、犯人は大層満足げな表情で佇んでいた。

 数人の取り巻きを適切に配置してこの状況を見えないようにする徹底ぶりである。

 特別な日ということもあり村全体は活気に満ちていたが、ここは対象的に薄暗く静かなものだった。森の近くということもあり村人は中々近づかない。

「今日も元気そうだな、リセリィ」

 僕を蹴った男--ディスターは、まるで世間話でもするような口ぶりで呟く。

 数人の取り巻きたちは呼応するように高らかに笑う。

 怒りなどとうに忘れた。もはやこの余興が早く終わることを願うばかりである。

 その意を察し気に食わなかったのか、彼は少し表情を歪めた。しかしすぐに偽善者然とした笑みを浮かべ直した。

「これからこの無能を順番に殴っていって、一番大きな悲鳴を挙げさせたやつが優勝。楽しそうじゃないか?」

 そう周りの者達に提案する。彼らはもちろん口々に肯定の意を示している。

 片や村一番の権力者の息子、片や最底辺の無能。

 賛同するのは明白だった。

「じゃあ遠慮なく俺から行かせてもらいますわ」

 一際目立つ大柄の男がはじめに名乗りを上げる。確か農家の息子だ。腕は丸太のように太く、殴られたらひとたまりもなさそうだ。何度か受けたことはあるが、実際無事では済まない。

 こいつに殴られたら痛いんだよなぁ。まるで他人事のように考える自分がいた。思考がどこか遠くにあるような感覚。そうでもしないと耐えられないことは経験から学んだことだ。

 巨漢はずんずんと近づき左手で僕の黒髪を掴む。

「お前には特に恨みはないが勘弁してくれよな」ニヤニヤしながらそう言うと、彼は右腕を大きく振りかざした。その間、ディスターは大変ご満悦な表情だった。

「おい、リセリィ。技能でもなんでも使って少しは抵抗しろよな。そいつを倒せばお前の技能オリジナリィも役に立つんじゃないか?」

 僕が無能なのは、僕自身がよく知っている。

 なぜ生きながらえているのか。僕自身も疑問で仕方がない。このまま何も為せず、生を全うするだけの日々に意味などはない。自分でもわかっている。だからこそ自分自身に対して甚だわからないのである。

 もうこのまま死んでしまえたほうが楽だ。こんな無意味な人生なんて。

 そうして諦めて歯を食いしばったときだった。

「坊っちゃん、大変です」

「なんだ」ディスターは瞬時に顔を歪め、声の主を睨みつける。その男は見張りのために少し離れたところにいた者だった。

 睨まれた彼は少しひるんだが、ことは一刻を争うらしい。

「ローニィがこっちに向かってきます!」

 兄さんが……!

 驚いたのは僕だけでないようで、その場にいた全員が驚愕の表情をしていた。ディスターに至ってはなぜか顔を曇らせている。

 その後大きな舌打ちをした。

「村に戻るぞ」

 そう短く言い放ち、森の奥へと歩きだした。男の拳は頬の手前で静止していた。

「ああ、残念。命拾いしたな。無能」

 大男は残念そうに左手を離し、ディスターの後を追う。

 僕の体は地面にへばりつくように落ちた。 

「なんであんなのに構うんスか、無抵抗すぎて張り合いないスよ」

「友だちとの約束なんだよ。それ以上は踏み込むな」

「へーい」

 一行のそんな会話が耳に入ってきたが、気にも止められないほど全身が痛みに溢れていた。ただディスターが最後まで朗らかに笑っていたのだけは憶えている。

 彼らの声も遠く聞こえなくなくなったものの、僕はまだ立ち上がれずにいた。

 そんなときに懐かしい、穏やかな声が響く。

「リセリィ!」

 兄だ。隣には見知らぬ女性も佇んでいたが、紛れもなく兄の姿がそこにあった。

 目が霞んでよく見えないものの、この長い間でローニィが成長しているのが見て取れた。もともと中性的だった顔立ちはそのままで大人びており、背丈もより伸びていた。細身なのは相変わらずであったが、軽装の下には引き締まった肉体が見て取れた。

 そんな兄は、まるで鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべている。

 僕は兄弟の久々の再会に安堵していた。その一瞬気が緩んだときには、すでに兄は僕のそばにいた。

 この長路を瞬間的に移動したさまは、やはり超人的であった。

 兄は意に介した様子もなく小柄な僕の体を支え、近くの木陰へと運んだ。

 彼は腰から水袋を取り出し急いで飲ませる。勢いよく喉に届いた水分によって咳き込んでしまう。

 それが落ち着くとすぐに口を開いた。

「久しぶり、兄さん」

 うまく笑えていただろうか。幸い今日はまだ顔を殴られてはいなかったため、笑顔に支障はなかっただろう。

 およそ五年ぶりに会った兄には、色々言いたいことがあった。しかし顔を見てしまえばあの頃のままである。胸中にはただ憧憬の念しか存在しなかった。

「ああリセリィ、久しぶりだね」

 大丈夫かいと心配するローニィは、相変わらず優しい声音である。だが、彼の表情は強張ったままである。その中には怒りさえ感じ取れた。

 兄が僕のために怒ってくれている。僕のために感情の一部を割いてくれている。それだけで嬉しかった。

「まだいじめられているのかい」

「別にそんなんじゃないよ。ただ蹴られただけ」

 ローニィは馬鹿と嘯き、傷だらけで泥まみれの僕を抱きしめた。

 そうしていっときの時間が過ぎた。

「傷に障るからそろそろ離して、兄さん」

 そう言うと彼は、僕から距離をとった。涙一つでない僕の代わりに、彼の端正な顔は激しく歪んでいた。

 兄との繋がりを遮るように、僕の手元に向かって硬い筒のような物が飛んでくる。それはローニィよりも後方から投げられたものらしい。

 僕は掴んだガラス製の瓶を見て驚いた。それは即効性の回復薬だったのである。実物を見るのはこれが初めてだ。なんせ市場にも出回らない、特注のものであると記憶している。

「飲み給え」

 兄の後ろから発せられたのは、低くも女性的な美しさが心地の良い声だった。

 僕はその指示に従い、開けた瓶を一気に飲み干す。

  その効果はやはり劇的で、すぐに痛みが消え、全身の傷が塞がっていくのがわかった。むしろ怪我をする前よりも体調が良くなっているんじゃないかと錯覚するほどだった。

「ありがとうございます」

 僕は女性の顔を見上げた。キリッとした一重まぶたに少し狼狽えてしまった。

 鼻筋はよく通っており、愛らしさというよりも美しさが似合う女性だった。

 黒と青の中間くらいのフード付きのローブをまとっており、表情を読み取るのは難しかった。

 確か度々耳にしていた勇者の活躍の中で、同行している女性の魔法使いがいた気がする。あとの二人は男であったため、彼女がその魔導師なのかもしれない。

 僕が思索にふけっていると、彼女はきつく結ばれた口元を開いた。

「なぜ君は抵抗しないんだ」

「え……」

「別にやり返せとまでは言わないが、隙を見て逃亡するなり、何か手の施しようはあるはずだが」

 急な口撃に面食らって黙るしかなかった。

 一言も喋らない僕の代わりにローニィが割って入る。

「あんまり俺の弟をいじめないでくれるかい、クル」

 先程まで涙目だった兄は、いつの間にか凛々しい顔つきに戻っていた。

〝クル〟と呼ばれた女性はやれやれといった感じで首を横に振っている。

「無礼を承知でいうが、私は行動をしない人間を心底軽蔑していてね」

 クルの鋭い目つきは再び僕を捉える。

「ましてやそれが、知人の弟であろうともね」

「別に俺の弟は何も努力していない訳じゃない。剣術だって基礎は叩き込んだんだ。今はそれなりに扱えるはずだよ」

 同意を求める兄の視線に耐えきれず目を逸らす。

「しかしローニィ、君が十六のときにはあれくらいの数の魔獣は簡単に倒せていたはずだが。彼が本当に鍛錬を怠っていなければ、それこそそれなりに戦えていたと思うがね」

「……リセリィは僕とは違うよ」

 その絞り出したような兄の台詞を聞いた途端、背中に電流が流れたような気がした。面食らったのだ。

 兄もそう思っていたのだ。僕と勇者は相容れない。才能に大きな開きがあると。

 それは当然である。何もなしてない無能な村人。将来の展望はなく、他人の活躍をただただ眺めているだけの出来損ないが、勇者といつか肩を並べて戦いたいだのと夢物語を口にする。そのことだけでも烏滸がましいのだ。

 わかっている。わかっていたはずだ。

 それでも、兄の口からはそんな言葉が聞きたいわけじゃなかった。

 気がつくと僕はその場から飛び出していた。無我夢中だった。

 息切れしてようやく立ち止まると、いつの間にか村の中心部に来ていた。

 井戸を取り囲むように露店が多数出店されており、村はいつにもなく喧騒で溢れかえっていた。

 幸いにも、いや不幸にもローニィたちは追いかけてこなかったようで、振り返っても彼らの姿はなかった。

 

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勇者の弟に生まれた俺は 杉山 @sugiyama7010

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