8曲目 重圧
レッスン終了後、浮かない顔で変える準備をする歩に多喜は話しかけた。
「大丈夫?暗い顔しているけど」
「プロデューサー」
歩は小動物のような瞳を潤ませて多喜を見た。
「俺、大丈夫かなって不安になったんだ。確かに歌やダンスは好きだし、アイドルだって好き。だから、グループを組んで大会に出たかったし、センターだってやりたかった。だから、今回センターになれて凄い嬉しかったのに、最近、自信がないんだ」
多喜が歌詞を書いた時に感じたプレッシャーを歩も感じていたのだ。スターラビットとして予選を勝ち抜く大事なパフォーマンスのセンターをするという重圧は思った以上に歩に大きくのしかかっていた。
「映像チェックをしていると、俺だけ楽しそうじゃないんだ。俺だけ何か浮いているんだ。さっきの課題シートにも一体感を持ってって書いてあった。確かに俺が好きで見ていたアイドルのセンターは皆がセンターっていう感じがして、一体感もあってキラキラしているのに、俺からはそれが感じられないんだ」
歩は下を向いてTシャツの裾を強く握り締めた。初めて向き合う感情に戸惑っているのが多喜にはよくわかった。アイドルになるために生まれてきたのではないかと思うほど華のある見た目をしていた歩は自然と歌やダンスに出会い、自然とアイドルに興味を持つようになった。アイドルのように歌って踊れば周囲の人間は褒め、応援してくれていた歩にとってそれは大きな自信になり、だからこそスターラビットになろうとここまで進んでくることができたのだ。しかし、それは狭いコミュニティの中の出来事だったのだと最近になって歩は痛感していた。結局は身内の中のアイドルをやっていたのではないか。自分は広いアイドル業界で通用するのか。そう不安に思えば歩はその沼に深く沈んでいくこと以外何もできなかった。仲良くなっていたからこそメンバーの夢を台無しにしたくなかった。マイナスな感情に支配された身体をどうすればいいのかわからなくて、逃げたいのに逃げたくない矛盾した心に向き合えなくて、相談したくても言語化できなくて、歩はこの不安と一人で戦っていた。
「最初は楽しかった。でも、こうやって結果を見ていけばいくほど、俺がセンターをやっている不安が大きくなって、最近はレッスンを純粋に楽しいと思えなくなってきた」
泣きそうな歩に多喜はパイプ椅子を組み立て、座るように促した。素直に座った歩の後ろに回り、多喜は歩の肩に手を置いた。
「前を見てみな」
多喜に言われ、意図はわからないものの歩はまた素直に従った。
「何が見える?」
「メンバー」
歩の視線の先では何かをスマホで調べている和哉を挟んで画面を覗き込んでいる育と蓮太郎、真剣な顔でメイクを直している由春、荷物の整理をしながら何かを話している大貴と周音がいた。
「予選を勝ち抜くのは歩君一人の挑戦じゃないよ。メンバー全員で掴むもの。歩君がセンターだったから勝ち抜けなかったなんて、言わないメンバーだって、まだ短いけど過ごしてきたメンバーを見ればわかるでしょ?」
「そう、だけど」
「楽しいと思えなくなったのは、重圧にのまれて周りが見えていないのかもしれないよ。歩君はこのメンバーで歌って踊るのは好き?」
「それは好きだよ!楽しいんだ。優しいお父さんお母さんみたいな温かい大貴君と周音君、いつも褒めてくれる育君と由君、寄り添ってくれる蓮太郎君と和哉君。このメンバーが大好きだよ」
「それなら信じようよ。大好きなメンバーで作り上げているものをさ。難しいけど、パフォーマンス中、メンバーと目を合わせてみて。きっと重圧よりも楽しさが勝つと思う」
「メンバーと目を合わせる?」
「うん、次の機会でやってみてほしい」
振り返った歩に多喜は微笑んだ。
「歩!」
多喜の言ったことの意味を考え始めた歩を育が元気よく呼んだ。
「ご飯食べて帰ろうよ!和哉が美味しそうなコロッケ見つけたんだ!」
歩が多喜を見ると、多喜は微笑んで頷いた。そして、歩はもう一度メンバーを見た。笑顔で自分を手招きするメンバーに心があったかくなった。
「プロデューサーもどうっすか!」
駆け寄る歩を受け止めながら育が多喜を誘うと、多喜は静かに首を振った。
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