第11話

「また通り魔だってさ。物騒なニュース多いわねぇ」


 夕方のニュースは愉快な話題のほうがいつも少なくて、お母さんが口にする殆どの時事ネタは暗いものばかりだ。


「何が楽しくて見ず知らずの人間傷つけるんだろうね。こういう輩は」


 想像もできんわときんぴらごぼうを頬張りながらお母さんはチャンネルを変える。


「多分さ、意味なんてないんじゃないかな。本人にも分かってないっていうか、特別な理由なんてないんだと思うよ」

「あらあんた、こんな奴の味方するの? それじゃああんたはお母さんの敵ね」


 見ず知らずの殺人鬼をフォローする気は微塵もないし、お母さんの敵に回る気も更々ないけれど、それでも、『なんでこんなことをするんだろ』から相手の考えをトレースしてみたりするのではなく、『さっぱりわからない』と理解する気すらないのはちょっと違うというか、それって実に無意味な気がするのだ。


「無意味って、意味なんてないんでしょ? こいつらって。意味なく殺されちゃたまんないわ」

「でもさ、事故死する人とかさ、自然の力で殺されちゃう人だっているわけじゃん。雷に打たれたとかさ」


 通り魔に殺された人が理不尽というのであれば、そういう人も、もっと言えば戦争で死んでいった人たちも、これ以上ない理不尽さを感じながら死んでいったのだろう。


「命の重さはみんな一緒って言いたいの? んでも、同じ人間に故意に殺されるのと、防ぎようがない災害なんかで命を落とすのは同列には語れないでしょやっぱ」


 塩分控えめの味噌汁をズズズと吸ってお米を喉に流し込んだお母さんは、チラリと時計を見てからそろそろ始まるであろうバラエティ番組に間に合うようにチャンネルを合わせる。


「大体さ、罪のない人を何人も殺すようなこんな頭のいかれた奴を生かしておいたっていいことないでしょ。糞の役にも立たないだろうし」


 私の口の悪さはお母さんから譲り受けたものだとつくづく思わされる発言を毎日してくれるお母さんに、私はもしかしたら恨み節のひとつでもぶつけるべきなのかもしれないけれど、如何せんそれが特別悪いことだとも思っていないので、反省もしなければお母さんのせいでとなじることもないのだ。


「……ほんとに罪はなかったのかなぁ、殺された人達に」

「さぁねぇ。何をもって罪というのかにも依るけど、ま、大方罪と呼べるような行いはしてないんじゃないのかね。知らんけどさ」

「例えばさ、法律違反をしてたとするでしょ? でもそれは悪いこととは言えない場合もあるじゃん」


「そうだね。そもそも法律なんて国ごとどころか州とか都市単位でも違ったりするし、善悪を判断するもんじゃないからね、基本的に。規律を作っときゃ取り合えず大半は守るだろってのと、何か揉め事が起きた時にどう決着を着けるかって凡例作っときゃ、当事者双方は納得できないまでも、第三者はまぁそうだろうなぁそこが落としどころだなって思うだろうし」


「うん。でもじゃあさ、法に触れることはしてなくても、誰かの気に障ることはしてたかもしれないよね。それって罪にはならないのかな」


「罪ってか、――うーん、なんだろね。少なくともあれでしょ、嫌われるようなことをした相手になんかされるならまだしもさ、面識もない奴にいきなりブスーってされる覚えはねーよってことなんじゃないかしら。あんただって嫌でしょ? いきなりお腹に激痛走ったら」


 うーん、宜なるかな。


「嫌だけどさ、なんか、『あなたには罪があるのでこんなことになりました』って言われたらああそうかぁって思うかなぁって」

「被害に遭ってないから言える台詞せりふだね。実際やられたらそんなホワホワしてらんないって。殺してやるって、睨みつけてやるでしょ、相手のこと」


 朋美はどうだったかな。私のこと、殺してやるって思いながら死んでいったのかな。憎くて、悔しくて、哀しくて、寂しかったのかな。友達だと思ってたのにって。それは間違ってないし、親友なんだけどね。


 今でも。


「まー、人を裁く権利なんて誰にもないってやつだね。裁判官だって過去の判例と睨めっこして、一番無難な着地点に落とすでしょ? たまにおかしな判決出す奴もいるみたいだけど。でもさ、大抵の人間はね、自分に他人をどうこうする資格なんてないって、ちゃんと分かってんだよ。誰かに善い影響ばかり与えられるだなんて自惚れちゃあいないしね」


「でも反対に、自分は誰も傷つけてないって考えてる人もいっぱいいそうじゃない? 被害者意識だけは過敏で、加害者意識には鈍感な人って、実は相当数いそうな気がするけど」


「気がするだけでしょ。その辺歩いてる人に聞いてごらん。『いやあ自分はそんなに善良な市民じゃないですよー』って言うから。あんたが思ってる以上に図々しくもなければ、むしろ謙虚さをモットーに生きてる人間のほうが多いくらいなんだから、安心しなさい」


 大人が子供に言い聞かせるときの頻出ワードを口にしたお母さんは、ヒレカツの最後の一切れを口に入れて、お姉ちゃんに視線を移す。


「さっさと食べちゃいなよ。もうそれ冷めてるでしょ」

「うぅ……」


 涙目で、所謂いわゆるねこまんまを箸で突っついては上目遣いでお母さんを見上げ、見逃してと哀願するお姉ちゃんを無視するように、食べ終わった食器を流しに持っていくお母さんに倣って、私も席を立つ。


「お姉ちゃんは何も考える必要がなくてよかったね。私はお姉ちゃんのこと嫌いじゃないけど、好きでもないから死んでも哀しくないんだよ。だから安心して死んでいいからね」


 食器を重ねて、流しへ向かう。お母さんは私に残りの皿も持って来て頂戴と言いながら腕捲りをして、皿を洗い出す。


 食卓には二枚の大皿と数枚の小皿が並び、お姉ちゃんの前にある味噌汁用のお椀には、味噌汁を吸い切ったブヨブヨのご飯が浮いていて、実に不味そうだった。


「食べたほうがいいよ。お母さんに殴られるから」

「だって……」


 過度なダイエットのせいで拒食症気味になってしまったお姉ちゃんの体重は四十キロをそろそろ割りそうで、結構やばい感じの瘦せ方になっていて、このままでは餓死という自死に成功してしまうのではと、お母さんは無理やりにでも何かしらを食べさせようとしている。


 そこにはきっと多分に母親の愛情が込められているのだけれど、僅かにこいつが餓死したら親は何してたんだって責められるのが嫌なんじゃないかなって私は看破している。


「ねぇお姉ちゃん。お姉ちゃんはどうして死にたいの?」


 そういえば今まで一度もちゃんと理由を聞いたことがなかったなと、積年抱いていた素朴な疑問をぶつけてみたら、実にシンプルな答えが返ってきた。


「生きてても楽しくないから」


 成程成程。

 そりゃあ死にたくもなるな。


 このお姉ちゃんの一言で、私が朋美を殺した理由がなんとなく分かった気がした。


 生きていて欲しくないから。


 そこに深い意味合いなんてあるのかないのか分からないけれど、何か行動を起こすときの動機なんて、実はそのくらいの、軽いというと語弊があるけれど、とんでもなくシンプルなものなんだと思う。


 それこそ、呼吸をするのと同じように。


 いやぁ人の死生観なんて本当に様々だなぁと、油でベトベトになったお皿を見つめながら、亡くしてしまった親友を思い、私は一粒だけ涙を零した。

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逆恨みのジュジュ 入月純 @sindri

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