第10話

 二十二時五十五分。


 辺りは暗闇に包まれていて、街灯が少ないこの街では、学校周辺を照らす灯りなど極々僅かしかなく、近隣の家々に住まう住人達が消灯すると、目に映る黒は深みを増す。


 私は足元に気を付けながら、一階廊下のガラス窓にガムテープを張り、その辺に落ちていた石で叩き割る。


 消音の為にハンカチを当てていたのが功を奏したのか、ほぼ無音で割れたガラスによりできた空間から手を差し入れ、鍵を開けた。


 そっと廊下に降り立った私は、真っ直ぐにオカ研の部室に向かう。


 オカ研は鍵がかかっていて、鍵の管理は少年部長がしている為入手は困難だったので、隣の空き教室に入り、ベランダに出る。

 オカ研の部室とはベランダで繋がっているので、またも私はガムテープを張り、静かにガラスを叩き割った。


 窓から忍び込み、金庫の前に立った私はダイヤルを回す。

 5、9、3、2――

 八回目でカチっと音を立ててロックが解除される。


 中から魔術書を取り出し、月明かりで見ようとするけれど、流石に光が弱いので、持っていた携帯のライトを利用してノートの文字に目を走らせる。


 目的の単語を探しながらペラペラ捲っていると、後ろに気配を感じた。


 幽霊の存在を信じていない私は、用務員さんか宿直の先生に見つかったと思い、言い訳が面倒だなぁとゆっくり振り返ろうとすると、暗闇から意外な人物の声が私を責めた。


「――残念だよ。まさか淳子が犯人だったなんて」


 窓から入った不法侵入者の私とは違って、きちんとドアから入ってきた朋美は、暗くて確認はし難いけれど、哀しい顔をしているようだった。


「なんでこんな、どうして、私を――殺そうとしたの?」


 朋美はちょっと混乱しているようだったけれど、考えるまでもなく朋美の策に嵌まってしまった私は自分の愚かしさをそれこそ呪ってしまいたくなる位自責した。そして同時に朋美に対する評価は上がる。


「凄いよ朋美。意外だったよ。まさか朋美なんかにおびき出されるとは思ってもいなかったから」

「その毒づきも、今は笑ってリアクションできそうにないよ。……まさか本当に見下してたとは思ってなかったけど」


 冗談だと思っていたからいつもあんな風に笑っていられたのか。成程、私は朋美を理解し切れていなかったみたいだ。分かった気になって、本心を見抜けていなかったみたいだ。


「質問に答えてよ。どうして私を狙ったの? こんな――呪いをかけるなんて」

「なんでだと思う?」

「……分かんないから訊いてるんだけど」

「私も分かんないから訊いてるんだよね」

「はぁ? ふざけてやり過ごそうとしてるの?」


 私がふざけていないこと位、朋美なら分かってくれると信じたけれど、その思いは虚しく散ってしまったみたい。私は生まれてこのかた、一度も冗談を口にしたことなんてないのに。


「でもさ、朋美は本当に心当たりがないの? 自分は人に恨まれるようなことはしてないって、品行方正で誰にも迷惑をかけずに、誰にも嫌な思いひとつさせずに、清廉潔白な人生を歩んできたという自負があるって、そういうことだよね」


「話がズレてるよ。別に私は自分が善良だなんて思ってないし、思ったこともない。駄目なとこだらけだし、才能だって何にも持ってないよ。でも、殺される程恨まれる覚えはないってことだよ。嫌われることはあっても、殺される筋合いなんてないってこと」


「朋美に殺される筋合いはなくても、誰かが朋美を殺す筋書きを立ててても可笑しくはないよね」

「だからなんで私が殺されなきゃならないの」

「朋美はなんで死にたくないの?」

「はぁ?」


 目が慣れて来たからか、朋美の表情もよく見える。眉根に皺を寄せ、私に苛立ち、威嚇的になっている。


「あのさ、いい加減にしてよ。淳子は私の――」

「ところでさ、私が朋美に呪いをかけた犯人だって、どうして言い切れるの?」


 台詞の途中で遮られたことが癪に障ったのか、それとも私を犯人扱いするには状況証拠だけでは弱いと思ったのか、朋美は数秒間黙ったけれど、「普通に考えて――」と前置きし、私の疑問に答える。


「夜中に学校に忍び込んで魔術書盗もうとしてたら、そりゃ犯人以外に考えられないでしょ」

「でも朋美の呪いを解く為に解読しようとしてたのかもしれないよ」

「それはないでしょ。だって今日の放課後に部長が『もう大丈夫』って言ってたじゃん。隣で聞いてた淳子がそれを知らないわけがない。だったら盗む理由はひとつ。魔術を完成させる為でしょ。今日中に」


 成程。ということは少年部長もグルか。どちらの発案か分からないけれど、恐らくあの場にいた誰かが犯人であると目星を付けて、こうやって誘き寄せる作戦だったのだろう。


「あそこにいなくても、盗聴してる奴がいたかもしれないからね。部長には大袈裟に喋ってもらったんだ」


 今考えると不自然な芝居染みた物言いだった気もするけれど、彼にしてはそれなりに上手に役をこなしたのではないだろうか。


「それじゃああの説明書も嘘?」

「あれは私が書いたんだよ。私の字だと淳子にはバレるから他の子の字を真似して書いたの」


 確かに、魔術所に比べてあのノートだけ新し過ぎた。上下巻はそれなりに経年劣化しているのに、あの説明書はどの頁も真っ白で、如何にも昨日今日買ってきたものであった。


「ねぇ淳子。私哀しいよ。友達だと――」

「私は嬉しいよ。朋美の意外なところが見れて」


 ――最後にね。


 朋美の言葉が途切れたのは私が口を挟んだからではなくて、目を剥いて痙攣し出したからで、お腹を押さえたまま上下に身体を揺さぶりながら私を見遣る。


「あ、ちょっと、まててて、こ、こで――あに……?」


 よだれまみれになった口元は上手く動かないみたいで、舌も痙攣しているのか、辛うじてしか聞き取れない朋美の質問に私は答える。


「タイムリミットってことだよ、朋美。さようならだね」


 既にあうあうしか言えない朋美がなんだか哀れで、状況をもう少しだけ詳しく説明してあげることにする。


「あのね、呪いの魔術はとっくに完成してたんだよ。上巻は結構前にもらってたから――まあ勝手に持ち出したんだけど――そっちは完全に成功してたんだけど、下巻は最近まで存在も知らなかったから、なんでなかなか死なないのかなぁって心配してたんだ。――なんでお祓いに一緒に行ってくれたのかって? あんななんちゃって坊主じゃ解呪できないって分かってたからだよ。万が一、すっごい修行僧みたいな人が出てきて、バッシューンって呪いを解かれちゃったら、その人を殺してもう一度朋美に呪いをかけなきゃいけないから、その偵察も兼ねてって感じだけどね。でも、少年部長が言ってことが正しいなら、この呪いって一度解かれたらもう二度とかからないかもしれないんでしょ? あの時はそんなこと知らなかったから多分効果が出るまでやり続けたと思うんだけど、でもまあ予想通りに朋美は苦しみ続けたし、――でも決定打にかけてるのは私も分かってて、さてどうしようと思案してたんだけど、でもこのまま長い間苦しむのも悪くないのかなとか思ってて、じゃあもう少しこのまま様子を見ようかと思ってた矢先に、朋美が訪ねてきて、辛い苦しいって煩いからじゃあ調べてみようかってなって、なんと下巻の存在を知ってしまったんだよね。それもこれも朋美のお陰だよ。で、朋美はいつの間に呪いを完成させたのかって訊きたいんでしょ? それはね、凄く簡単な話でね、ここで色々話し合いながら何回か見たでしょ? 下巻。その時に見て覚えたんだ。私、記憶力はいいみたいだからね。あくまでも朋美に比べてだけど。で、毎日家で第二の魔法陣を書いて、供物も用意して、祈ったんだ。朋美の死を。その結果は今の朋美の状態なんだけど――。え? ああ、そうそう、なんでここに来たかだよね。正直ね、そこは朋美に騙されたんだ。悔しいけど。朋美と、少年部長の二人にだけどね、正確には。呪いの効果に期限があるなんて聞かされたらビックリしちゃうよ。だからね、慌ててこうしてやってきたんだよ。何か見落としてる点はないかとか、止めを刺すには何かもうひと押し必要だったりしないかって。そうしたら朋美がここにいて、私を糾弾し始めたって感じで今に至るんだよ。大まかな流れは分かった? ――あれ?」


 相槌ひとつ打たないなんて失礼な奴だなぁと、今度はこっちが糾弾し返したい気持ちになったけれど、私はすぐに朋美を許してあげることにした。


 呪いを受けてから数日間は何事もなく、発症してからの数日間はたくさん苦しんだ朋美は、私の話を最後まで聞かずに事切れていた。


「……あのね、朋美はさっき『なんで私を殺すの』って聞いたでしょ? あれね、本当に理由は分かんないんだよ、私も」


 死ぬことが悪いことだと思わないし、もちろん善いことだとも思わない。


 でも、私は朋美に死んで欲しかったんだ。お姉ちゃんに死んで欲しいように、朋美にも死んで欲しかったんだ。


「バイバイ、朋美」


 親友の亡骸を見下ろしながら、途方もない寂しさに襲われ、私は少し泣いた。

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