第4話

「できれば私は行きたくないんだけど」


 帰宅の意思を表明するけれど、敢え無く無言で却下されてしまい、意気揚々と歩を進める朋美に引き摺られるようにして、オカ研の部室を目指す。


「まぁすぐに対処するって言うんだったら警察には内緒にしてあげてもいいけどね。恩赦ってやつ?」


 政府関係者でもなければ国主でも当然ない朋美はもちろん恩赦の意味も分からずに口にしているんだろうけれど、態々わざわざ否定するようなこともせず、私は掴まれた手を見詰めながら足を進める。


「ここだね」


 天文部のプレートがかかった教室を前に、朋美は深呼吸をひとつ、たのもー! とドアをスライドさせる。


「おわっ」


 ドアのすぐ近くに立っていた男子生徒が身体をビクつかせて飛び上がるのを見て、朋美はふふん、情けない男ねと言わんばかりの勝ち誇った視線を送り、「部長はいる?」と問う。


「部長は僕だけど……」


 驚き少年がまさかの部長で、内気っぽさ全開の相手と分かるや、朋美は先制攻撃とばかりに怒鳴りつける。


「私の呪いを解きなさいっ!」

「……は?」


 やっぱり一瞬身体をビクつかせつつも、歳下に、しかも女子に舐められるのはプライドが許さないのか、虚勢を張るかの如く、怪訝な顔を作る少年部長。


 そう、彼は私達よりも一学年上の最上級生で、小柄だけれど、よく見ると何となく上級生っぽさみたいなものも感じなくもない。


「私、あんた達のせいで呪われたんだけど。言っとくけどこれ、犯罪だからね」

「……何言ってんだか全然分かんないんだけど」


 そりゃあそうだろうって味方のはずの私が言うのは憚られるけれど、言い掛かりどころか何もないところからいきなり因縁を付けてくるようなチンピラ以下の朋美は、下手をしたらむしろ自分が立場的に危ういところに立たされそうなことをしている自覚が微塵もなくて、やっぱりこいつはどうしようもないなと思いつつ、助け舟を出すタイミングを私は窺う。


「そっちが分かんなくても、こっちは分かってんだからね」

「……何なのほんと。あんまりあれだったら先生呼ぶけど」

「どうぞ! 呼んで後悔するのはそっちだと思うけどね!」


 ぐぬぬと何故か押され気味の少年部長を後ろで見守っている部員達が誰ひとりとして援護に回ろうとしないのは、この人に人望がないからか、それとも頭のおかしな女子生徒と関わり合いになりたくないのか、とにかく私は一刻も早く帰ってアニメが見たかった。


「……分かったよ。話を聞くから説明して。いきなり僕らが悪いみたいに言われたって困るよ」

「ま、それもそうかもね」


 朋美はズカズカと部室内に侵入し、適当に余っている椅子に腰かける。


「ええとね、先ずは私の状況から説明するね。ええと……いつからだっけ……ええと……」


 要領を得ないどころか始まりから躓いている朋美に代わって、時間が気になってしょうがない私は壁にかけられた時計をチラチラと見ながらここに至った経緯を馬鹿な朋美の代わりに話す。


「――で、朋美に連れられてここに来たって感じなの」

「……ふむ、成程。漸く理解できた」


 オカルトにミステリは含まれるのか、どこぞの探偵みたいに顎に手を当てて考え込んでいる少年部長は自分に酔ってるなぁって感じがしなくもなかったけれど、意外と理解力はあるみたいで、何かに思い至ったのか、おもむろに席を立って、教室の隅に置かれている小さな金庫みたいな箱の前にしゃがむ。


「……」


 5、9、3――ジーコジーコとダイヤルを左右に何度も回し、八回目のリダイヤルでカチッと音がし、ミニ金庫の扉が開く。


「……これを見て欲しいんだけど」

「?」


 朋美に続いて金庫に立ち寄り中を覗くと、本が一冊入っている。


「なにこれ」

「本だよ。魔術のね」

「ま――」


 目を見開いた朋美。今朝はあれだけ悪魔だなんだと騒いでいたのに、いざ魔術書なるものを目前にすると、思わず絶句してしまう姿は何だか可愛気があるけれど、次の瞬間にはその魔術書は朋美の手にあった。


「あ、ちょっと! 乱暴に扱わないでよ」


 慌てる少年部長を手で制し、「わかったわかった」と流しつつ、パラパラとページを繰る。


「なにこれ。魔法陣の――作り方?」


 頁一杯に六芒星が描かれていた。そしてその横には用意するものや細かい手順が書かれていて、どうやらここにある通りに遂行すれば、術が完成するということなのだろう。


「これ、実は下巻なんだ」

「上巻は?」

「盗まれた」

「え!? いつ?」

「一週間ちょっと前かな」

「ちょうど私が不調になり始めた頃だ……」


 少年部長は私の話を聞いて、大事な本が盗まれた日と朋美の呪いと思われる症状が始まった日が近いことから、この本と何らかの関連があるのではないだろうかと察したんだろう。


「というかね、確かに君がネットで調べた通り、この魔術を成功させると、相手を死に至らしめることができる」

「でも、私はまだ死んでないけど」

「それはそうだよ。下巻はまだここにあるからね」

「? 下巻がないと殺せないの?」

「そういうこと。というより、魔法陣が完成しないんだよ。上巻だけだとね」


 未完成だから、効果も中途半端なんだよと少年部長は言った。

 成程、上巻では型を作るところまでで、下巻のどこかに死亡させるまでの効力を発揮する手順が書かれているんだろう。


「これが上下巻に別れてるのは、こういうことが起こった時に、最悪の事態が起きないようにする為の措置なんだ」

「でもさ、そんな凄い本をなんでオカ研なんかが管理してるの?」


 直接手を下さないでも人を殺せる本だなんて、たしかに漫画みたいな話だ。


「それはね、このオカ研――もとい、天文部のOBが書いた本だからだよ」

「ええっ!? これ中学生が書いたの!?」

「そう。当時十五歳だった三神みかみさんという生徒が書いたんだ」


 中学三年で魔術を完成させるなんて末恐ろしい子供がいたものだ。


「じゃあ今頃はその人は立派な魔女になってるんだろうね」

「はは、魔女って。確かに女性だけど、魔女にはなってないよ。魔女にもなれなかったし、大人にだってなれなかったよ」


――死んじゃったからね。


 朋美は音を立てて息を飲む。手に持つ本が如何に曰く付きなのかを聞かされ、僅かに震え出したみたいだった。


「そ、それって、病気か、なにかで?」

「――って言われてるけどね。オカ研では代々こう言われてるよ。『呪いの代償』だって。呪われた魔術を作り出してしまった代償に、彼女は連れていかれてしまったんじゃないかって」

「だ、誰に?」

「もちろん悪魔にだよ」


 ホラー映画や漫画ならここで雷のひとつでも落ちてきそうな物言いだったけれど、「まあそれもあくまで噂のレベルだけどね」と言う少年部長の柔和な笑顔がその雰囲気をすぐに台無しにしたので、何となく朋美の緊張感も解け、パタンと本を閉じる。


「まあ、あれだね。どっちにしろ、その三神さん? って人の人となりとかを調べてもあんまり意味なさそうだし、とりあえずはじゃあこの本がここにある間は私は死ななくてもいいってことでいいんだよね?」


 魔術本を少年部長の胸元に突き出し、彼は受け取りながら「そういうことだね」と安心させるようなことを言いつつも、「言い換えれば、これが盗まれてしまったら、君の命はないということでもあるけれど」と、今度は反対に脅すようなことを言って、朋美に睨まれる。


「……行こう、淳子」

「うん」


 立ち去り際に少年部長に回し蹴りをして、「また来るから、呪いの解き方調べといてよ」と言いながら朋美は部屋を出ていくので、私も彼の脹脛ふくらはぎを爪先で蹴り、「また来るね」と退室した。

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