第32話
「疲れたよ。飲み過ぎたかも。眠い…」
と、零しながらネクタイを緩めると、
「あ、待って!そのまま横にならないでよ。スーツが皺になっちゃう」
妻は僕の腕からやや強引とも呼べるような仕草でスーツを剥ぎ取ると、
「ちゃんとお風呂入って歯を磨いてから寝てよ」としっかり言いながらも、受け取ったスーツをハンガーに掛けてくれる。
可愛いけれど、かなりしっかりした…働き者の良くできた嫁さんだと思う。
僕にはもったいない気がする。
だけど一人で居るより、こうして誰かを求めるのは―――
僕が狡い人間だからだ。
僕は寂しさを埋めるため、彼女と結婚した。
妻との出会いは五年程前。入社して数年経って、僕が神戸支店から異動になったとき、彼女は今現在僕が販売スタッフとして勤務するフロアに入ったばかりの新人だった。
彼女は入社したてで、客から派手なクレームをつけられ、それを対応したのが僕だった。
出会いはありがちだけれど、
以来、親しく食事などに行く関係になり、そこから深い付き合いに発展するにはそれほど長い時間がかからなかった。
実年齢よりも幼く見える彼女は可愛らしく、少しおっちょこちょいなところもあるがそこが支えてあげたいと言う男性スタッフも少なくなく、
彼女は言わばフロアのアイドル的存在だったのだ。
結婚を決めたときは、随分と羨ましがられたが、
「美男美女でお似合いだな」とみんなあっさりと頷いた。
結婚の決め手はこれと言ってなかった―――
ただ、取り立てて悪いところが見当たらなかったということだけ、だ。
僕は忘れたかったのかもしれない。
もうずっと棲みついて離れない、愛しい彼女を―――
たった一度、犯した罪の重さを―――
“妻”と言う存在を手に入れられれば、
花音のことを忘れられる気がした―――
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