第20話
苦手な高音。
Gの♯。喋り方は
最も苦手な音と喋り方と言っていい。感じ方は人それぞれだが、僕はこの音と速度がどうも慣れない。
「ありがとう」
作り笑いを浮かべてさりげなく彼女から手を抜き、距離を取る。
「ヴァイオリニスト??」他の女性社員が目をぱちぱち。
「あ~そんな感じ。悔しいけどすっげぇ似合っちゃうんだよな、こいつ。慣れてるっての?
お客さんに試し弾きだってスマートにこなすし」
同僚の一人が悔しそうに、でもからかうように笑って、
僕の心臓がまたもギクリと縮まった。
「昔かじった程度だよ。そんな大それたものじゃない」取って付けたような言い訳に同僚はあまり気にならなかったようで、女性社員の意味深な発言も気にした様子がない。
そのことにちょっと安堵する。
「あたしもヴァイオリニスト志望だったんです。才能なくて諦めちゃったケド。でも紫藤先輩みたいな素敵な人に出会えたからこれは良かったかな、って思ってますぅ」
後輩女性が言い出して、僕は目を開いた。
「へぇ
さりげなく同僚が助け舟を出してくれて、若菜と呼ばれた後輩女性に笑いかけている。
僕はわざとらしくない程度に左手を掲げると、プラチナのリングを彼女に見せて笑ってみせた。
彼女が一瞬だけ目を開き、次の瞬間に悔しそうに顔を歪める。僕が既婚者だと言うことは知らない筈がないのに、彼女は『不倫』を持ちかけてくる。もちろん真正面からそう言われたことはない。ただ、それとなく匂わせてくるのだ。
実は彼女が、僕が元ヴァイオリニストだと言うことを探っている、と言うのは薄々勘付いていた。
何も知らないくせに―――
栄光の裏にどんな地獄が待っていたのか、知らないくせに―――
もう僕をあの世界に引きずり込まないでくれ。
~♪
「あ、俺この曲好き~」
不穏な空気を察したのか、店内の有線で流れた音楽に耳を傾け、同僚がさりげなく話題を逸らしてくれたが―――
その話題が僕をもっと不快にさせる。
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