第3話


彼女のスマホに一本の電話が掛かってきたのは今から三時間程前。



それから車を飛ばし、かなりの制限速度オーバーだったが、途中パトカー等にも捕まらず予定より1時間も早く到着することができたことは今の状況下、不幸中の幸い。



彼女は目の前に聳え立つ西洋風の館を見上げ、自嘲じみた笑みが浮かんだ。何度もこの館に来たことがあるが、今の今までこの館を好きになれなかった。まるで明治ロマンを思わせる建物は悪趣味だったし、この田舎町に酷く不釣合いだ。滑稽とも言える。



車は目立つ表の駐車場に停めるわけにはいかないので、彼女は屋敷の背後に車を回し、夏の陽射しにさらされて干からびた木の陰に停めると、運転席から出て改めて屋敷を見上げた。



二階の南側の最奥の部屋の出窓がわずかに開いているのだろう、カーテンが風で揺れていた。



彼女は小さく意を決して、屋敷の裏手から中庭に入る通路に忍び込んだ。庭にはあまり手入れをしていないだろうにきれいに咲き誇ったピンク色の花々を散らせた木々が生い茂っている。



身を低めてその木々の連なりの中を這うように歩き、やがて家人がこの時間帯通らない部屋……彼らが『貴賓室きひんしつ』と呼んでいる、所謂リビングルームのデラックス版と考えてもらえばしっくりくるかもしれない…その、ガラス戸から中をこっそり確認すると、やはり狙い通り誰かがこの場所を通る気配はなかった。



そしてこの時間帯、空気の入れ替えとかでこの扉に鍵が掛かっていないことも知っている。そろりと扉を開け、逸る気持ちを抑えながら手馴れてた様子で二階に上がっていった。逸る気持ちがまるでチェロのエンドピンを思わせるヒールの足音に現れていて、彼女は慌ててパンプスを脱いで靴を手に持ち裸足のまま階段を昇った。



ほとんど自分の家でもあるような場所なのに、妙にこそこそ後ろ暗い気持ちになるのは、やはり自分がしようとしていることに少しでも罪悪感があるからなのだろうか。



目的の部屋の一室手前の部屋は僅かに開いていて、オーディオからヴァイオリンのメロディが聞こえてきた。バッハのG戦場のアリアだ。



どうやら彼女が電話を受け取ったとき、彼女自身が真っ先に指示したことを実行してくれたようだ。



廊下の一番奥、目的の部屋に辿りつくと、扉がそっと内側に開き、彼女は足を止めた。一瞬誰かと出くわせたのかと思ってドキリとしたが、



「良かった、こっちこっち」



と部屋の中から見知った顔を出した女に手招きされて、ほっと安堵した後、彼女は足を速めた。



裸足の足裏がやけに冷たく感じた。



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