第59話

「……あ。着替えなきゃ」



通勤服に規定はないが、ブラウスに黒色のフレアパンツが舞の中では定番の通勤服。

すっかり肌寒くなった今の季節には、そこに分厚めのカーディガンをプラスする。



もう一度姿見鏡で全身をチェックして、



「うん。大丈夫」



キスマークが上手く隠れていることを確認して、自室を出た。





今日はいつもより早めに出勤して、誰もいない更衣室でささっと着替えを済ませる。



更衣室を出て厨房へ入ると、



「今日はいつもより着替えるの早いんだな」



誰よりも早く出勤していた友季が、ニヤニヤと意地悪く笑っていた。



「……誰かさんのお陰で」



友季を睨みつけながら短く答えると、友季は楽しそうに、ハハッと笑みを零す。



そういう意地悪なところが、前は嫌いだったのに。



今ではそれすらも好きだと思えてしまうから、恋とは不思議なものだと思う。



「好きだよ、舞」



「……!」



そろそろ他の誰かが来てしまうかもしれないのに、この調子ではちとマズイ。



「シェフ。そろそろ『シェフモード』へと切り替えて下さい」



「え、何それ? じゃあ今の俺って何モードなの?」



「……『トモくんモード』です」



「……ふはっ!」



ツボにハマってしまったのか、友季はしばらくの間、肩を震わせて笑っていた。



それを、舞は少し離れた所から冷めた目で眺めながらも、彼を愛おしいと思う。



そんな、始業前の幸せなひととき。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る