第75話

――初めて、直人を怖いと思った。



少し前に直人にキスをされる夢を見たと思っていたが――あれは、夢ではなかったのだ。



リアルな夢だと思っていた感触は、先程のものと全く同じで。



直人は人の寝込みを襲うような人ではないと信じていたのに。



裏切られたような気持ちになり、それが悲しくて辛くて、舞の目からは涙がとめどなく溢れてくる。



別に今は、好きな人などいない。



夢を叶えるのに毎日必死で、そんな心の余裕などどこにもないのだ。



だからなのかは分からないが、何度考え直しても、自分が直人と……なんて全く想像も出来なかった。



扉の外で騒いでいた直人の声が聞こえなくなり、



「……」



舞は、恐る恐る毛布をから顔を出した。



そして、



「……!」



ベッドの足元に放置されているバッグが目に入る。



ベッドに潜り込んだ時に、舞が足で蹴ってしまったのだろう。



横に倒れて中身を床にぶちまけてしまっていた。



ぶちまけた中に、



「あ……」



友季からもらった、不良品のマドレーヌが入った袋もあった。



彼は“ルームメイトと一緒に”と言ってくれたが、とてもではないが、今はそんな気分にはなれない。



けれど、こんな時こそ、彼の作ったお菓子が食べたいと思った。

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