白崎蓮斗 — 第5話
第5話 ー 1
意味不明な世界でも、そこに居れば不思議と慣れてくるもので。
俺は天乃岬学園高校の一生徒としての生活を全うしていた。
記憶が無いひよちゃんと一緒に。
「レントくんって、絵が上手いね。プロみたい」
美術の授業後、教室に戻る時のこと。
俺のクロッキー帳を眺めながら、ひよちゃんはそう言った。
「でも、ヒヨリちゃんも上手くない!?」
「自分ではそう思ったこと無いけど。レイカちゃんがそう言ってくれるなら、そうなのかな?」
ここにいるひよちゃんは、自分が美術部だったことを覚えていない。それどころか、本当に俺にまつわることを一切覚えていない。
ここでの“現実”に、やっぱり胸が苦しくて……涙が出そう。
最初、接点の無いひよちゃんと関わりを持つまで、かなりの時間を要した。
新入生で、何も分からないフリをして……。と言うか、本当に何も分からなかったのだけれども。ここでのことを教えてもらうことを口実に、俺はひよちゃんに近付いた。
最初こそ「何でこの人話しかけてくるの?」とでも言いたげな態度が辛かったけれど、最近はそれも無くなってきた。むしろ美術部で初めて出会った頃のような距離感を思い出して、懐かしささえ感じる。
「いやぁ、ヒヨリさんは美術コンテストとか出せるレベルだよね」
「本当ですか? ワタル先生……!」
「僕はお世辞を言わないよ。本当、本当」
ひよちゃんの傍に、いつもこの男が居ることだけが気に入らないけど。
授業の合間も、食事の時も、“ホーム”に帰るまでずっと、この男はひよちゃんの隣に居る。
何で1,000人以上も生徒がいると言うのに、よりによってひよちゃんと一緒に居るんだよ。
そう思って、女子3人と別れて男と2人になったタイミングで聞いてみた。
「……お前さ、何でひよちゃんの傍に居るの?」
「え、気になる?」
「……」
キョトンとした顔がムカつく。
男の言葉に返答せず、無言で睨み付けていると、はぁ……と大きく溜息をついて腕を組んだ。そして首を傾げながらゆっくりと言葉を継ぐ。
「ヒヨリさんね。ここへ来た時、元の世界の制服を着ていたんだ。で、君と同じようにここの制服に着替えて貰ったんだけどね。“想定外”なことが起きたんだ」
「……想定外?」
「着ていた服は全部カゴに入れてねって言ったのに、制服のネクタイだけを持っていたんだ。僕はそれに気付かずに“記憶の構築”を行ったんだけどさぁ。やっぱり、そのネクタイが原因で“不完全”な“記憶の構築”をしてしまったみたいなんだ」
「…………」
「“記憶の除去”は98%くらい。“記憶の構築”は75%くらいかな。ヒヨリさんは“知っているはずなのに、その事を忘れている”状況になってしまってね。僕も初めての経験だったからさ。その不完全さがどう出るのか、様子見させてもらってるってワケ」
“記憶の除去”だの“記憶の構築”だの……意味不明な言葉に目眩がする。
しかし、これがあれか。
前は教えて貰えなかった“記憶の構築”の正体。
“こいつの作った設定”を“最初から知っていたかのように埋め込む”んだ。そしてそれが俺には出来なかった。
そしてひよちゃんは……不完全な状態で“構築”をしてしまった……ってこと?
……って、改めて考えてみても理解はできない。
死んでいるとはいえ、そんな何でもアリな世界があってたまるかよ。
「ヒヨリさんね、その例のネクタイを今も持ち歩いているの。ヒヨリさんは“そのネクタイが何なのか”を覚えていないんだけどね、“手放してはいけない”と思っているっぽい。しかもネクタイを僕が預かろうとしたら、ダメって言われちゃって。これが“記憶の除去”が98%だと思う理由。だからさぁ、何かの拍子に記憶戻ったりして」
「……因みにさ、そのネクタイの色って?」
さっきから出てくるネクタイ。
ひよちゃんが持っているというネクタイって……。
「え? 『チェック柄のえんじ色のネクタイ』だけど」
「……」
やっぱり、そうだ。
東三隅高校のネクタイ。
俺がひよちゃんに貸していた、俺のネクタイで間違いない。
今の俺とひよちゃんを結び付ける、唯一の物。
こいつも言っていた通り。
記憶が不完全なら、何かの拍子に記憶が戻るかも……。
でも、どうすれば良いのだろう。
少し考えてみるも、良い案が浮かばない。
「ふーん……なるほど」
「……因みに言っとくけど、無理やり思い出させようとしたらダメだよ」
「は?」
「ヒヨリさんのポケットからネクタイが出てきた時、“ヒヨリさんから預かった元の世界での記憶”を調べさせて貰った。……だから、僕は知っているよ。あのネクタイが君のネクタイであり、君たちは恋人同士だったこと」
「…………」
こいつ人の記憶を調べることまでできるのかよ。
何だよマジで。
ニヤッとしている男の表情がムカつく。
てかそれを知った上で、俺の前でひよちゃんにくっ付いていたと思うと、益々ムカつく。
「無理やり思い出させてはいけない理由だけど、“ここでの人生”の途中で僕が“除去した記憶”が戻ったらどうなるのか、経験したことが無いからどうなるか分からないんだ」
「どういうこと?」
「ここでは“卒業の日”に“除去した記憶”を返すことになっている。だから途中で戻るなんて普通は考えられない。あくまで予測だけど、もし記憶が戻ったら“卒業の日”を迎えずに魂が消滅するかもしれない。とはいえ本当にどうなるのか僕にも分からないけどね。“僕の学校”なのに」
“卒業の日”という訳の分からない単語が再び出てきた。
しかし、それが何なのか聞く気力も無い。
今聞いた情報が多すぎて思考が追い付かない。
「……頭が痛い」
本当に何でもアリの世界なんだな。
というか、この世界は本当に……こいつの手のひらの上で回っている。
意味不明すぎて、もう何も分からない。
「……しかし…記憶を覗くとか、趣味悪いな」
「僕の仕事だからね」
「……」
もう、考えるのをやめよう。
ここでの仕組みを理解するには、少々難しすぎる。
元いた世界では考えられない、ここの世界観。
俺の常識で物事を考えようとしても……何一つ理解が出来ないから思考が勝手に停止する。
「まぁ、今は良いじゃん! 白崎くんも色々思うことがあるだろうけれど、せっかくなんだからここでの生活を楽しんでよ」
「……うっせぇ」
「そうやって反抗しない! ほら、お昼ご飯食べに行こ」
「はぁ!? 何でお前と行かなきゃいけねぇんだよ!!」
「良いじゃん、たまには」
男は俺の腕を引っ張って、食堂に向かって走り出す。
その道中、沢山の生徒が男女関係なく男の元に駆け寄り、笑顔で座談をしていた。
これも“記憶の構築”なのだろうか。
男自身が生徒から好かれている、という……記憶。
これはあくまでも俺の仮定だけど。
本当にそうだとしたら、可哀想な男だな。
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