咲良ひより — 第3話
第3話 ー 1
食堂を後にした私とワタル先生は、“ホーム”に向かって歩いていた。
『“ホーム”とは、学校の敷地内にある私たち生徒の宿舎だ。1DKの1人部屋。生徒たちはそこで寝泊りをしている』
……だけど。
また私は、その“ホーム”の場所を“覚えていなかった”。
自分の部屋なのに。どこにあるのか……全く分からない。
「ワタル先生、本当にすみません。何で覚えていないんでしょうね、私」
「大丈夫、気にしないで。そういうこともあるよ」
敷地内を先生と並んで歩く。
何だか分からないけれど、今日1日は凄く長かったような気がする。
不思議なことばかりだった。
今日起きたこと、何もかもが“初めて”な気がするのに、“ずっとここで生活をしているのも事実”で。でもこの学校の配置などを“何も覚えていなくて”。何だか……何かが引っ掛かるような。違和感があるような……。
だけどそんなことを気にすることすら無駄な気もして……何だろう、この感覚。そう思ってどれだけ考えても、結局分からない。
歩きながら、ふと制服のポケットに手を入れる。すると、中には何かが入っており、それが手に触れた。
「……ん?」
「どうしたの、ヒヨリさん」
「……いや……」
ポケットに入っていた物をゆっくりと取り出す。中から『チェック柄のえんじ色のネクタイ』が出てきた。
「……?」
見覚えのないネクタイ。これ、何だろう?
私は手に持ったまま首を傾げると、それを見たワタル先生は酷く驚いた表情をした。
「えっ、それ……!!!」
「ワタル先生、これが何か知っているのですか?」
「……あ、えっと……」
驚いた表情のまま頬を掻く先生。歯を食いしばり一筋の汗を流しながら「だから“記憶の構成”が完璧じゃないのか……っ」と呟いていた。
「………」
何のネクタイなのか。誰のネクタイなのか。全然分からないけれど。
何だか……“手放してはいけない”ような気がする。
胸に引っ掛かる、微妙な感情。
何だろう、何だろう。私の制服に入っていたこのネクタイ……何だろう。
頭を悩まして首を傾げていると、ワタル先生は私の手からネクタイを取り上げた。
そして少しだけ声を震わせながら言葉を継ぐ。
「わ……分からないものは、僕が預かっておくよ。ね、いらないでしょ?」
取り上げられ、何だか湧き上がる不安感。
“持っておかなければならない”気がする、そのネクタイ……。
「だめ」
「えっ?」
「だめ。やっぱりそれ、私が持っておきます。返して下さい」
「ヒヨリさん……」
無意識に強まった口調。
それに気付いた時、ワタル先生の表情は曇り、何だか泣きそうだった。
「あっ……ごめんなさい。言い方が悪かったかもしれません」
「いや、うん……大丈夫」
黙り込んだまま考えていたワタル先生。
暫くすると、諦めたように息を吐き、ネクタイを私に渡してくれた。
「“記憶の再構築”はできないし、もう仕方ない。……“記憶の不完全さ”がずっと気になっていたけれど、これで納得だよ」
「…………」
「君が“食堂やホームの場所が分からない”のも、要所要所で“何も覚えていない”ってなるのも、“全てそのネクタイが原因”だったんだね」
「…………」
ワタル先生は冷たい目付きで、私に向かってそう言い放つ。
本当に、何を言っているのか分からなかった。
ネクタイが原因。
そしてさっきから出てくる“記憶の構築”って、一体何……?
「……ヒヨリさん」
「……はい」
「僕は君のことが心配だから。定期的に様子を見させてもらうね。大丈夫、何かをするって話じゃない。ただ、“様子を見させてね”ってだけ」
「……」
「さて、“ホーム”に向かおう」
不自然に微笑んだワタル先生に手を引かれ、小走りで“ホーム”に向かった。
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