第3話  直接監視

 取材先から出てきたアリサは肩を叩かれた。驚いて振り返ると、高校で同級だった藤沢璃子が笑顔で立っていた。

「璃子!何してるのよ、物理オタクがこんな場所で!」

 官庁街だ。大学は物理学部を選び、研究畑に進むと公言していた璃子に用がある場所とも思えない。

「仕事でね。そっちこそ何やってんの?確かゴシップ誌の記者やってなかったっけ?」

「失礼なこと言わないで!誰がゴシップ誌の記者なのよ!」

 そう言い、手を取り合って笑った。二人は近くのカフェでテラス席に陣取った。

「文科省?何で璃子が文科省の嘱託なワケ?」

 初耳にアリサは驚いた。ラテを一口飲み、璃子は頷いた。

「まあ色々とあンのよね」

 それ以上訊くのをアリサはやめた。

「で?アリサはなによ。官僚の汚職でも追ってるわけ?こんな――」

 辺りを見回す。行き交う男も女も何処か似ているが、明らかに原宿界隈のそれでは無い。

「こんな場所でさ」

「それもいいんだけど、今回はちょっと違ってさ。おかしな失踪事案だのお寺の――」

 言葉を止めた。

「ん?どした?」

 覗き込んだ璃子が首を傾げた。

「あ……いや、なんでもない」

「ふうん?」

 アリサは自分のグラスを握った。冷たさはリアルに感じる。

――頭の中にモヤがあるみたいに、なんだかハッキリ見えない……。

 口からは《失踪》や《寺》といった言葉が出る。だが《そんな取材をした記憶》となると細部は実に不確かなものだ。本当にそんな取材をしたのか――自信が無い。あやふやな記憶にはどこかリアリティーが欠けている。記憶そのものが曖昧なのか、それとも自分の思い出す力に問題があるのかも分からない。思い出せない記憶には思い出せない理由がある。見えない場所を凝視しようとすればするほど、モヤは濃く広がる。その奥から、微かに聞こえた声があった。

《……逃げなさい……》

 顔を上げた。璃子は何か話し、笑っている。アリサを気にする様子は無い。周囲の客たちも店員にもおかしなところは無い。通行人は目的地に向かってただ歩いている。平和そのものだ。アリサは立ち上がった。

「どうしたの?」

 璃子は微笑んだままで尋ねた。

「ごめん……また今度……」

 そう言い、席を離れようとしたアリサの手首を璃子が掴んだ。

《……声を……聴いたな?》

 驚いて璃子を見た。椅子に掛けたまま、微笑んでいる。だがその手の力は強く、振りほどけない。見回すが、誰にも二人を気にする様子が無い。

「璃……」

《声が聞こえるのだろう?私には聞こえない……誰の声だ…誰と話している?まさか、――と話せるのか?》

 意味の取れない部分がある。アリサは恐怖で叫ぼうとした。だが声が出ない。身体は動くが、声だけが自由にならない。

《解放した者全員とも違う……監視してみたが……やはり思った通り……お前が……》

「璃子……!」

《知りたい……どうすればそれが出来るのか……お前の本質は何処に居る……脳では無い……》

「璃子に何をしたの!」

 自分の声に間違いない。だがそれは喉から出ていない。それでも璃子の姿をした《それ》が微かにひるむのを感じた。

《強い……恐るべき強さだ……教えるんだ……それは一体なんだ……お前のその……本質を隠すものは……》

「知らないわよ!それより璃子は?璃子をどうしたの!」

《女ならば問題は無い……お前が協力するならば……すべて洗浄して返す……》

 璃子は微笑んでいる。だが何物かが親友を利用しているというなら、それは看過出来ない。アリサは唇を噛み、訊ねた。

「あなたたちは一体何なの?何の目的で――。病院の彼女もあなたたちがしたことね?私に何をしろというの?私は一体――」

《お前の声も存在も検知されていない……直接監視している私以外にお前の声は聞こえない……だが私の声は聴かれている……場所を……替える》

 璃子は立ち上がるとテーブルをの間を歩き出した。アリサの手首は掴んだままだが、その力は最初よりも格段に弱まっていた。

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終末の猿 狭霧 @i_am_nobody

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