第2話 バディ

 新幹線から降り立ち、バスに乗った。中多美町交差点停留所で降りると、黎明大学総合キャンパスは目の前にあった。

「でかい……」

 長い塀と奥にそびえる校舎を見て呟いたアリサに雷人は呆れた様子だ。

「いくぞ」

「リーダーみたいな口きかないの!私が提案した案件なんだからね!」

「俺が言わなきゃお前はいつまでも校舎のでかさに感心しっぱなしで夕方になる。こんなのはさっさと片を付けて帰るんだよ」

「なによ!こんなのはって!」

 歩き出した雷人にアリサは舌を出した。

 アポを取っていた相手は腰を折って二人を出迎えた。

「奥村洋二です」

 出された名刺にもそう書いてある。

「郷土史を研究されているとのことですが」

 尋ねる雷人に首肯を返した。

「専門は古近代日本文学で、郷土史は趣味の延長みたいなものです」

 そう言って頭を掻いた。フケが飛ぶのが見え、アリサは後ずさった。

「まあお入りください」

 そう言って招かれた部屋に一歩足を入れて、アリサは眉間にシワを作った。広さがよく分からない。そこは部屋と言うよりも狭い倉庫に見えた。積み上げられた本と書類のせいで壁の書棚は完全に埋もれている。必要な本があったらどうやって取り出すのか――アリサは呆れた。

「お掛けください」

 並ぶのは埃にまみれたパイプ椅子だ。その脚は書類を踏んでいる。雷人は気にする様子も無く腰を下ろした。アリサは立っていようかとも思ったが、雷人に顎で指示され、やむなく腰を下ろした。

「電話では寺に関することを知りたいと言われていましたね」

「はい。それも、廃寺のことで」

 アリサが尋ねた。奥村は頷き、一枚の紙を雷人に手渡した。

「この一年間で三つの寺が廃寺となりました」

「三つ?それはまた……」

 多いのか少ないのかアリサにはピンとこない。

「隣接する二市で三つの廃寺――は、多いと思われるでしょう?確かに常識で言えば少なくはありません。が――」

 手にしていたもう一枚の紙を渡してよこした。

「これが県内の――過去五年間の総計です」

 覗き込んだアリサは目を見張った。A4のレポート用紙は箇条書きで一杯だ。

「二十一件」

 そう呟いた奥村を二人は顔を上げて見た。顎を引き、眼鏡を光らせて奥村は話した。

「廃寺のことをお知りになりたいと言われるくらいですから説明の必要は無いと思いますが、寺にも企業で言う《倒産》はあります」

 《倒産》という言葉にアリサは驚いた。

「実際、企業倒産に似た面は多いんです。社会ニーズの変化、放漫経営、後継者不足や、そのほかにも――」

 部屋に入る前から置いてあったコーヒーカップに手を伸ばし、奥村は喉を潤した。記者に飲み物を出す気が無いようだった。部屋の汚さを見てアリサは《その方がありがたい》と思った。アリサは奥村の言葉が気になり尋ねてみた。

「そのほかというのは?」

 奥村は、うんと頷いて言った。

「管理者が消えるんです」

「消え――る?」

「ええ。失踪なんでしょうかね」

――失踪……。

 その言葉にアリサの脳が瞬間停止した。

「檀家が減る時代とは言え、それでもそれまで同様に墓を大切にする方は勿論居ます。祖先や親なども入っているのですから、当然です。だから寺として責任は永続します。その重圧なんかもあるかも知れませんが、本人たちにも個別の事情はあるのでしょうね」

 アリサは身を乗り出した。

「廃寺って、具体的にはどうなるんです?」

「いろいろです」

 奥村は天井を見た。

「継承者が不在ならば、近くの寺が《兼務寺院》として面倒を見る場合もあります。おそらくはそれがまだしも最善です。なぜなら、寺はその一つ一つが宗教法人ですから、法人格を消滅させるには法務局での手続きですとか、まあ煩雑なんですよ。残された土地などの資産はどうするとか、建造物を更地にする費用なんか檀家さんに負担がいったりとかもあって。ただ、そうしたことも為されずに放置されるケースもありますね」

 志はあったであろうに、経営不振という生々しい部分などでそれを放棄せざるを得ないことをアリサは気の毒に感じた。

――でも、だからといって失踪なんて……。

 無関係だと思いはするが、脳裏に黒田病院であった女の顔が浮かんだ。アリサはそれを振り払い、奥村に尋ねた。

「廃寺って、行っても構わないんでしょうか?」

「無論勝手に立ち入ることは出来ません。が、そう言われるかもと思って関係各所に許可は取ってあります。そのほら、最初の紙の一番下」

 指さした。

「それがこの近辺では最新の廃寺ですが、そこに付いての研究目的での立ち入り許可申請をしました。勿論そちらのお仕事も理解しますが、記事にされる時は絶対に場所や物件が分かる風に書かないでいただきたいんです。でないと私の立場がね」

 苦笑する奥村は髪を掻いた。アリサは約束をし、大学を辞去した。

「どう思う?」

 運転手役の雷人に尋ねた。

「お寺ってこんなに潰れてくものなの?なんか印象と違ったなぁ。お寺っていうのは神社なんかもそうだけど、ずっとその地域で――」

 見ると雷人は前方に視線を向けたままだ。運転なのだからそれも当然だが、その横顔にアリサの言葉を聞いている様子は無い。

「ちょっと!人の話聞いてる?」

「え?あ、ああ、聞いてるぞ」

「どうだかねえ…」

 アリサは膨れて視線を紙に落とした。奥村から受け取った、寺の所在地が記されたものだ。

「割と近いわね」

「その交差点を坂の方に入った場所だな」

 ナビを見もせずに雷人は呟いた。

「結構住宅があるのに……ふうん、ここにはもうお寺が不要なのかぁ」

 雷人はまた黙り、ハンドルを回した。

 クルマがどうにかすれ違える坂を十分ほど進んだ。左右にはクマザサが生い茂り、杉も多いせいで陽も入らず、薄暗い。

「あ、出た」

 突然視界が開け、山門が見えた。手前が駐車場になっている。とはいえ三台も入れたら一杯になりそうな狭さだ。

 二人はクルマを降り、山門の手前で中をうかがった。

「規制線とかは――無いわけね」

「事件現場かよ」

 アリサは苦笑し、石階段を上がった。背後でシャッター音が聞こえた。振り返ると雷人は手にしたデジカメでアリサを撮っていた。

「なにしてるの?」

「ただ撮ってるだけだ」

「私まで?」

「まあ、たまたま」

「ふうん……あんまり撮らないでよね」

 雷人はコクリと頷いた。

 中に入るとアリサが声を上げた。

「えー?これが廃寺?なんかこれもイメージと違うなぁ」

 石畳を抱くコケはきれいに整理されている。多少の雑草はあるが、前庭は上品なものだ。奥に見える本堂も歴史を感じさせる風格がある。

「規模は大きいと言えないけど、でも、立派なお寺よね?」

「まあそうだな」

 なのにどうして――そう言いかけ、アリサの視線が止まった。

「どうした?」

 同じ方向を見て雷人が尋ねた。アリサは墓石の並ぶ方向を見ていた。

「なにかしら」

 歩き出した。まるで何かに誘われるように。シャッター音が聞こえたが気にしなかった。

 数本の黒松が枝を張って通路に掛かっている。その下を行った先に墓石が並んでいた。通路は真っ直ぐに奥まで伸びている。墓の数も多いとは言えないが、荒れた様子は無い。

「誰もいないよね……」

 ゆっくり見回しながら進む。古びてはいても汚れた様子は無い。

「管理してたのよね」

 それでも経営で倒産することはあるのかもしれないとアリサは思った。

「あれ?いきどまり?変だな。こっちで何か動いたような気がしたのに」

 ふと足下を見た。

「なにこれ」

 そこだけがすすけたように黒い。

「こんな場所で焚き火はしないわよね」

 ロウソクや線香といった火の気はある場所だが、それにしても面積が広い。それはまるで――。

「まるで……人でも燃えたみたいな」

 急いで離れ、もう一度見た。

「人の形!」

 何かが燃えたような跡は、倒れた人の姿に見えた。

「ねえ!ちょっとこれ見て!」

 振り返ったアリサの目の前が一瞬で暗くなった。アリサは雷人の腕の中で意識を失っていた。


《感応する……やはり、強い……》

《排除》《排除》

《まだ確定出来ない……もう少し観察を……》

《排除》《排除》

《厳重に監視する……今回も……力が漏出する前に防いだ……》

 その《声》をアリサは聞いている。闇の中に居る自分を感じる。うずくまって動けない。動けば動けるが、懐かしい声が動くなといっているのが聞こえた。

――おばあちゃん……こわい……。

 再び外の《声》が聞こえた。

《再確認を……》

《固執するのはなぜだ》《異種は危険……》《この異種の周囲は酷く不規則だ……》

 奥底にうずくまるアリサには《それら》がアリサの写真を見ているのも感じられた。

《歪んでいる……》

《変則で……危険……記憶……洗浄……》

《解放した個体が刺激となったが……それだけかもしれない……あの個体も……変則……》

《……この異種は違う……アレ以上に検知出来ない……完全洗浄でいない個体は……見つかってはならない》

《あと一度……》

 沈黙のあと、再び聞こえた。

《この異種が鍵だった場合……即時排除……》

《わかった……》

《こんなものは見たこともない……危険……》

 そこで《声》は聞こえなくなった。アリサは闇のさらに奥深くへと落ちていくのを感じたが、同時に何かが自分を支えている感触にも気づいていた。それは細いが、温かな手だった。


「じゃあ取材に行ってきます」

 バッグを肩に掛けたアリサにデスクが声を飛ばした。

「いい加減誰かと組め!」

 それには先輩記者が応えた。

「デスク、コイツは大丈夫ですよ。なにせこの間なんか門陣会の引退した古参に一人で突撃インタビューしたんですから。肝は据わってますって」

 デスクは口をへの字に曲げた。

「だから!嫁入り前の女がだな――」

「なんすかそれ?そんなの今のご時世ではかなりマズいですよ」

 室内に笑いが起きた。アリサも苦笑し、部屋を出かけたが振り返った。自分の席を見た。その向かいは空いている。誰も使っていないので資料が山と積まれている。その何が気になったのかは分からない。アリサは首を傾げ、取材へと出て行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

終末の猿 狭霧 @i_am_nobody

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ