第107話 ローシェと秋津の国力差

※登場人物紹介補足:

〇三鷹兵右衛門数馬ひょうえもんかずま 41歳 髪:黒 瞳:鳶色 立花の部下 謀反騒動の時に身ごもっていた妻を紫藤の者に殺される。世話好き。連絡係としてしばしローシェに滞在していたが今は秋津へ戻っている。今回は長内を迎えに来たのだが……


※ここでいう連絡係とは、二国間で連絡を取り合うだけではなく、滞在する国の国勢や文化や事業などの情報を得ることも意味している。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 「長内おさない殿……源治げんじ殿」

 長内は薄暗い部屋で自分を呼びかける声に起こされた。


「あれ……三鷹殿?」

「もう戌四ツ(21時)ですぞ。よく寝ておられましたな」

 三鷹数馬は部屋のランタンに火をつけながら微笑んだ。旅用の羽織に手甲・脚絆を付けている。


「あー、結局私はあのあとすぐ寝てしまって……」

 夕食を食べそこなってしまったようだ。ふと見るとサイドボードの上に夕食の盆が布をかけた状態で置いてあった。


「どうぞ、夕食になさってください。某は今日はここに泊まって行きますので」

「そうか、では遠慮なく」


「その前に顔と手足をお拭きいたしましょう。今日はいったい何をなさっておられたのやら。かなり汚れておりますぞ」

 と数馬は楽しそうに言った。


「そういえば――」

 長内は今日一日あったことを話す。

 女皇に会ったこと、期待していると言われ、単独で王城へ突撃したらなぜか気を失って、気が付いたらハステアの丘でサカキと一緒に馬に乗って帝都を眺めたこと。

 そのあとは騎士の訓練を見たり騎士食堂で食べた肉がとてもおいしかったことなど、すべてを包み隠さず語った。


 数馬は目を丸くして

「それは――某がここにいたときに回った場所ですな。まさか今日一日だけで全部回られたのですか?サカキ殿も無茶なことを……」

 と言いかけて、言い直した。

「いえ、理由もなくそういうことをする御方ではありませんでした。あとで聞いてみましょう」


「おそらく、今まで私は連絡係というものをあなどってサボっていたので、見かねたサカキ殿がまとめて案内してくれたのだ」

「このお役目が初めてなのですから、それは仕方ありません。また、うまく役目がこなせなくとも、問題がないように別の者も用意しておりました」


 それを聞いて長内はガッカリする。やはり自分は役立たずなのか。

 長内は赤ん坊のころからずっと敵側に人質として取られていて、武士としても人としてもロクな作法を教えられていなかった。貴族どもが己の慰みに、と貴族のような気位の高さだけを教えていた、と、立花たちから聞いてた。


 聞いてはいたが、いまさら他の生き方などできない、と長内はここに来るまで思っていた。

「内容は詰め込み気味ですが、それよりもよい表情をなされておられる。……楽しかったですか?」

「はい、とても」

 長内は騎士食堂の料理がとてつもなく美味だったことを思い出した。

 自然に口元がほころぶ。


「初めて笑ったお顔を拝見しました」

 数馬が微笑んでいる。

「そ、そうか?」

「長内様の表情はローシェに来た時とは別人のように柔らかくなっておられます。これはサカキ殿に感謝せねばなりませんね」


 急にそういうことを言われて長内は戸惑った。

「それで、定時報告とはどうすればいいのか?」

 と、聞いた。なんだか頬が熱い。

 数馬はとうとう破顔した。

「今のお話で十分ですよ。あなた様は立派に勤めを果たされました」


「え、これで?」

「はい。サカキ殿もある程度説明してくださったようですが、軍備はもちろんのこと、音楽会を催せるほどローシェは文化にも力を入れていて、上層部の者でさえ貴方様に現在の国力を教えてくださった。


 つまり、知られて後ろ暗いところなど微塵もないのです。これほど帝都には膨大な税金が使われているのに、一般帝国民に重税が課せられている様子もない。ローシェの国力が強大である理由は、、これに尽きるのです」


「そんなことまでわかってしまうのか」

 長内は頭の中に残っていた眠気が吹っ飛んだ。


「はい。よろしいですか、これほどの経済力を持つためには、自国内で経済をまわしているだけでは不可能です。重要なのは貿易です。その貿易を支えているのがいくつもの国を結ぶ大通商路メイアの道アルス・メイアです。ローシェ帝国は大通商路の終着点、と言われています。


 ここより東にはアラストル帝国、ミンダール大王国、テストア小国群などまだまだたくさんの国があります。それらの国々が、大通商路:メイアの道(メイアは商業の神)という整備され、軍隊に厳重に守られた道を通って盛んに交易しています。その道のおかげでローシェは莫大な利益を上げています」


「そこに秋津は含まれていないのか?」

「そうです。秋津、という国がいまだ全国統一がかなわず、大規模な隊商が訪れるには道も整っておらず、という有様です。それゆえに国益は一部の者たちが占めていて、末端の農民や素浪人(主君のいない武士)にまで届かないのです」


「……」

 長内はすぐには言葉が出ない。自分は下々の生活を知らない。

 だが、粗末な着物を着、毎日食べることに苦労し、過酷な労働を強いられている、という話だけは聞いた。


 やがて長内が口を開く。

「……なぜ、秋津は大きな道を作らない?」

いくさのせいです。大きな道を作れば、大勢の軍が攻めやすくなる」


「……確かにそうだ」

「それに、たとえ道を作れた、としても野党や盗賊団に襲われる、そういう道を商人たちが通るでしょうか?」

「……嫌だな」

「そういう訳です」


 長内は長く考え込み、それから顔を上げた。

「どうすれば戦の世が終わる?」


 数馬は目を見開いて長内を見つめた。驚いているようだ。

「それは――全国統一あるのみです。それも隅々まで支配を及ぼせるような強力な人物が必要です」

「それが光川殿か」


「我々陣営ではそうです。今は紫藤しとう殿と勢力を二分しておりますが、統一されれば戦の世はいったん終わります。もちろんその後始末もありますが」


「……ひょっとして、私は光川殿にとって邪魔者になってしまうのでは……」


 数馬の顔が険しくなった。


「私の出自……そのせいで――もがが」

 数馬は手を伸ばして長内の口を塞いだ。

 長内の目が大きく見開いてパチパチ瞬きをする。


「ご無礼をお許しください。しかしそれ以上はなりません。この件にローシェの皆様を巻き込んではダメです」

 そう言ってから数馬は手を戻した。


「そう……だった。これは私たちの国の問題――」

「はい。今日はこれくらいにしておきましょう。まだお疲れが残っているようです。さあ、着替えをお手伝いいたしましょう」

「……ありがとう」


 礼を言って自分で驚いた。

 長内は貴族どもに『礼を軽々しく言ってはならぬ。言えば相手は調子に乗るからの。侮られないよう、うむ、と言うにとどめておくのが武士の作法よ』などとでたらめばかりを教えられていた。


 今の言葉はすんなりと己の内からでてきた。

 この国での生活は長内にとって良い方向へ向かっているようである。

 だが、物事が見えてきたせいで、知らずにいた方がよかったことまで知れるようになってしまったかもしれない。


 長内の心は暗い方へ傾いた。

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