第96話 羽角老人の話と女皇の餞別

「なるほど、納得した」

 一同からため息がもれる。妖の実態についてこれほど詳しく知る人物が生きていてくれたことに感謝するしかない。まさに値千金の情報だ。


「マトの場合もそうだったが、面の所有者になったところで、精神が支配されたりする、ということはなさそうだな?」

 サカキが問う。


「それは面のさじ加減なのかもしれません。異聞によると、もっとも強力な妖力を持つのが『右』『左』と言われる面で、それらに支配されると元の人間性は失われる、とありますので」


「ひょっとして、それが右近次と左近次か?彼らは翁面に支配された人間ということになるのだろうか――だが、ウツロは翁面という感じはなかったな。屍四季舞ししきまいという異能を持つ人間のようだったが」


「それは、彼が翁衆の首領として選ばれたからでしょう。『右』と『左』は、活動をするときは人間を首領に選ぶそうです。面たちは黄昏時から明け方までしか妖力を用いた活動ができないゆえに、人間の手下を何人も抱えているそうです。とはいえ、面たちは昼間でも話くらいはできるそうですが。


 面は全部で13面存在していた、と富姫異聞にはありました。サカキ様のお話によれば1面が消滅し、1面はここに。残り11面ということになりますかな。彼らは普段は眠っていますが、何か事を成そうとするときに目覚め、配下の面とともに動き出すとのことでございます」


 しん、と一同が黙り込む。

 おとぎ話のような内容が現実のことだった。それに言葉を失ったのだ。


「本当に、驚く内容ばかりだな……羽角とやら。よくぞ多くの知識を与えてくれた。礼を言う」

 シャラン、と錫杖を鳴らして女皇が声をかける。

「これは、もったいなきお言葉。此のおいぼれが少しでもお役に立てたのならうれしきことでございまする」

「知識は1万の軍勢にも匹敵する力ぞ。敵を識るためには我らローシェはいかなる情報も歓迎する。此度の書物の件、褒美を取らせる」


 立花たちが恐縮しつつ

「「なんと……ありがたき幸せにございます」」


 女皇の合図で屈強な騎士たちが運んできたのはぎっしり中身が詰まった千両箱が5つ。

 〆て2億ギラ(円)。


 羽角たちは目を剝いた。

「これは……金小判で?」


「この額のローシェ金貨をそなたらが両替するのは骨が折れるであろう。ロルドに頼んですべて小判にしておいた。この先、しばらくは戦の日々になるであろう。ローシェは兵は出せぬがその代わりである。足しにせよ」


 女皇の心からの気遣いではあったが、この膨大な金額のせいで後に秋津で起こる大事件のきっかけになることは女皇もロルドもこの時はわからなかった。


「……何から何まで……誠にありがとう存じます」

 立花一同は深々と両手をついて頭を下げた。もう何度こうやって感謝を述べただろう。どれほど言葉を述べても感謝を表しきれるものではない、と立花は心苦しく思う。


「羽角殿は、やはり共に行かれるか?」

 女皇が羽角の痩せた小さな体を見つめながら言った。


「はい。某はこのような身形みなりではありますが家老であった身。最期まで立花家にお仕えしたく存じます」

「そうか、それならば止めはせぬ。……御身おいといなされよ」


「ありがたきお言葉でございます。翁衆について、某が知っておることはすべてこの一冊にまとめ書きました。富姫異聞の原本とこの面と共にお納めを。ローシェ帝国と美しき女皇に心からの感謝と、この先の安寧をお祈り申し上げます」


 羽角が懐から書物を2冊取り出し、テーブルの上に置き、また頭を下げる。

 自分の歳とこの先のことを考えると、恐らく、もう二度とこの、日の神のように美しい御方には会えないだろう、と羽角は思う。


「それではこれにて。必ずや、良き報告を持って再びこの場へ戻ってまいります」

 立花が別れの辞を述べようとすると。

「立花……その頬の傷、残したのか」

 女皇が苦笑している。襲撃の時、上忍モードの女皇が付けた傷だ。


 立花の右頬はえぐれた肉が繋がり、引き攣れた傷あとになっていた。

「はい。此度の某の罪、決して忘れぬように、と」

 立花はほろ苦く笑いながら、女皇の顔を見た。


 立花もまた、これで今生の別れになるかもしれない、と美しい姿を目に焼き付けた。松崎城には屈強な侍衆が大勢待ち受けている。城攻めは過酷な戦いになるだろう。


 サカキは彼らの表情を見て察する。武士たちは覚悟を決めている。

 これから死地へ向かおうとする彼らにかける言葉は「ご武運を」としか言えなかった。

「もう二度と仕事の請負先を間違えるでないぞ?」

 女皇は口元に笑みを浮かべて言った。


 立花は、はっ、と目を開き、破顔した。

「御意!心よりお誓い申しあげる」

 その声は感極まって少し震えていた。


 サカキは思う。

 まるで自分が経験したことを、別の立場から見るような不思議な出会いだった。

 サカキが女皇の寝室に忍び込み、指輪を盗もうとしたとき、ローシェの者たちが思っていたであろうことを自分も多少感じることができた。敵対するものではあるが、その力量は殺すには惜しいと。


 女皇は襲われるたびに敵から味方を得る。それも強力な力を持つものばかりがやってくる。

 キーリカとパシュテもそうだ。女皇のもとに闇が引き寄せられ、その闇が光の方へ変容していっている。

 なぜかそういう考えが浮かんだ。


 それに――

 16年前、山吹の里を訪れていた翁衆。里の誰かが面を受け取っていたとすると。

 それはすでに亡くなっているか、面も焼失してるかもしれないが、今生き残っている者たち全員に聞かねばなるまい。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 立花一行が去ったあと、女皇は悪い笑みを浮かべた。

「私はローシェ軍は出せぬ、と言った。一兵たりとも。ローシェ軍はな」


 その顔と声音でサカキは察した。

「……なるほど。白露に――彼らに恩を売っておいてよかったな」


 ロルドが笑いながら頭を抱えた。

「あーやっぱりぃ」

 ロルドの穏便な献策だけでは女皇は満足していなかった。また忙しくなりそうだ。


 女皇はサカキに視線を向けて言った。

「サカキ、人選は任せる。まだ1年は先になるだろうが、城攻めに極秘に行動せよ」

「御意!」

 サカキの瞳に刃のような光が宿った。

 松崎城落しは夜香忍軍がやらねばならない、とのイリアティナの判断を、サカキは正確に読んだ。

 イリアティナは松崎城を、そして山吹の里を取ることを諦めてはいないのだ。

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