第81話 薪能
――宰相執務室――
ロルドは考える。
「姫のためにも、嫌なことはまとめて処理してしまうのがいいですね……」
見合い、愛人、結婚の申し込みの3件はできるだけ早く、しかもあとくされなく処理してしまいたい。
早く片付けて、アラストルの喪が明けるまでに軍備を万全にしたい。
よし、まとめちゃおう!
とロルドはまた思考の渦に没頭して行った。
――王城内ハプス(石の神)の中庭:夜――
※ハプス=石の神 ローシェ王城や民家は主に白っぽい花崗岩が多く使われており、その石を作ったのがハプス、とされている。ハプスの中庭のところどころに、腹がでっぷりと出た禿頭の男神の像が立てられている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
1月中旬。
月もない暗い夜であったが、中庭にはところどころに松明が焚かれていて、炎の揺らめきによってできた影が幻想的な空気をかもしている。
木で作られた低い舞台の上には中将面を付け、袖も袴も幅が広く裾の長い秋津の着物を着たサカキが秋津舞いを披露していた。
音楽は、アゲハの鼓とマソホの太鼓、それにケサギとムクロの横笛。
詠(うたい)はヒムロが担当している。
朗々と響く声は闇の合間を縫って、聞く者の耳に心地よく届いた。
いわゆる、薪能である。
普通は夏の夜に行われるものであるが、白魔法によってこのあたりの屋外の気温も夏の夜と同じように調節されているので肌寒くはない。
貴賓席にはユーグ、スパンダウ、ロルド、ヴァレリー公爵、コンラード公爵、それにお忍びの招待客・バハールガルのギルバットとアラストルの第2皇子ムーンダムドまでロルドが呼びつけていた。
厄介ごとは一度にまとめてやっつけよう、という趣旨の催しである。
「……これは悲恋の演目か……」
客の中でもひときわ大きな体で目立っているのはギルバット。
バハールガル17部族の頂点に立つ、草原の暴狼と称される蛮猛な男である。
今日はお忍びであるので、ローシェ側が用意したローシェの貴族の服装である。
黒を基調とした、豪華な金色の刺繍入りの上着にはバハールガルを象徴する狼の牙の意匠が施されていて、襟には毛皮があしらわれ、険しい顔の彼に良く似合っていた。
彫りの深い顔立ちに、赤味を帯びた金髪は野生の獣の鬣(たてがみ)のようで、あご顎も同じ色。
目も髪と同じように赤味を帯びた茶色で爛々と輝き、静かで美しい舞に見入っていた。
能の中盤からは小面(姫君)を付けた演者との2人舞になる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なんと神秘的で美しい……幽玄とはこのことか――」
うっとりと演目を満喫しているのはカイル・コンラード新終生公爵である。
25歳とまだ若く、武芸にも秀でており、金髪と青い瞳のかなりの美形で、周囲にも女皇の結婚相手として最も有力視されており、父親にも早く結婚を、とせかされていた。
カイルは夜の出し物は初めてで、もちろん薪能、というのも初めて見た。
夜の闇の中に浮かぶ薪の火の光はまるでこの世のものでない空間を生み出している。
(今日は結婚の申し出の返事をくださる、ということで来てみたが、これが女皇の意向なのか……いや、それよりも物語の中に自分が囚われてしまっているようだ)
中将の面を付けた若者と、小面を付けた位の高い姫君の悲恋の物語。
2人は愛し合っていたが、身分の違いによって双方の家の者によって引き裂かれる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「女の足の動きだけで悲しみがわかる――手の動き、首の傾げ方で、表情のない面がまるで涙を流しているようだ……」
そうつぶやくのはアラストル帝国第2皇子ムーンダムド。
ヨシュアルハン前皇帝によく似た白に近い金髪と青灰色の瞳、肌はアラストル人にしては白い。
スパンダウの予備調査では表には出ないタイプの策略家だが、芸能文化に力を入れている、とのことで、ロルドがヒムロに打診した結果、薪能を、という流れになった。
愛人志願、見合い希望、婚約希望の3名は箱席という、貴人用の独立した桟敷部屋にいるので互いの様子は見えない。また、席ごとに防音魔法を施しているので隣の席の話し声はまったく聞こえない。
(おお、姫君がだんだん弱っていく)
(なぜ男は迎えに来ないのだ)
(はやく来ないと姫君が死んでしまうぞ)
姫君は弱々しく手を闇に伸ばし、伸ばしては顔を覆い、そしてまた手を伸ばす、という動作で男を待っている気持ちを表現している。
そして、ついに闇から男の手が伸びる。
と、同時にアゲハの鼓がカッポン!と強い拍子を打ち始める。
笛も太鼓もそれに合わせて早いリズムになる。
(男が来た!)
(おや、様子がおかしいぞ?)
(なんだ、あの歩き方は?)
闇の中から手を伸ばし、現れたのは。
着ているものは元の男の着物ではあるが、色が濃くなっており、歩き方はまるで床を滑るようだ。
そして、男が観客席を振り向くと――
(うわっ、怨霊の面?)
(人間じゃない!)
(そうか、死んで、化けて出て来たのか……哀れな……)
姫君は変わり果てた男の姿を見ておののく。
男は怨霊になり果てても姫君を連れ出そうとするが、姫君は後ずさりをし、首を振る。
(あんまりだ……)
(あれほど待っていたのに)
(なんとかならんのか)
とうとう姫君は両手で顔を覆い床に伏せてしまう。
その様子を見て男はしばらく動きを止めていたが、その立ち姿だけで男の深い悲しみが伝わる。
3人の賓客の目から涙が溢れて来る。
(((なんとかなってくれー!)))
男は姫に背を向け、懐から笛を取り出し唇にあてる。
静かで悲しい笛の音だけが流れる。
面では吹けないので実際にはムクロが吹いているが。
笛を吹きながら男が闇の方へ歩いていく。
男の姿が闇に飲まれようとしたそのとき――
姫君が顔を上げる。耳に手を当て、立ち上がり、男の方へ振り返る。
(((いいぞ!笛の音に気づいた!)))
姫君の手が、まっすぐに男の方へ向かって伸ばされる。
ごくり、と3人の喉が鳴る。
しばらくはなにも起きない。音楽も止まっている。
やがて――
姫の手に男の手が重なった。
(((やったーーー!!!!!!)))
3人とも狂喜している。
音楽が再び流れ始める。
最初の2人の愛の逢瀬で流れた曲である。
再び戻って来た男の面は最初の中将の面に変わっていた。
(((怨霊が鎮まったんだ……)))
姫君と男は2人で喜びを表す舞を踊る。
2人の面はおだやかにほほ笑んでいるようだ。
そして、姫君は上衣を一枚脱ぎ、床に落とす。
2人はお互いの顔を見ながら、手を繋ぎ、闇ではなく灯りが灯る舞台袖へと退場していった。
ヒムロの詠が〆る。
「この後、2人の姿を見たものはおらず。また恋の行方も知らず。残るのはただ1枚の衣のみ。
2人がどうなったかは、観客の皆様の御心にお任せいたすことといたしましょう。これにて終劇にございます」
ヒムロが正座をし、両手をついて深々と頭を下げ、拍子木が打ち鳴らされる。
「おおお、すばらしいものを見せていただいた!!」
「よかった、本当によかった……」
「こんな、結末だとは……感動した!」
3人の貴賓たちは涙でデロデロになっていた。
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