唯一無二の存在

第25話

加茂井くんと一緒にカフェが入っているビルを出ると、外は小雨がパラついていた。

 そのせいもあって、通行人の歩くスピードが上がっている。

 彼は軒下で空を見上げながら手を上向きにかざした。



「粋、傘持ってる?」


「折りたたみなら」


「じゃあ、駅まで傘に入れて」


「えっ!! 加茂井くんと同じ傘に入ったら、相合い傘になっちゃいます……けど……」



 私は頬を真っ赤に染めながらカバンから折りたたみ傘を取り出すと、彼は吹き出した。



「ぷっ!! 反応がいちいち可愛すぎるだろ。相合い傘を深読みしすぎ」


「……からかってるんですか? もしそうなら、傘に入れてあげません」



 口を尖らせてそっぽを向くと、彼は私から傘を奪ってから開いた。



「”加茂井くん”じゃなくて、今日から”朝陽”だよ。ほら、もたもたしてないで早く入って」


「はっ、はいっっ!!」



 若干誤魔化された感はあったけど、小さな傘の中に入り込んだ。

 肩が触れ合わなきゃお互い雨に濡れてしまうほどの距離。心臓が胸から飛び出しそうなくらい爆音を立てているから、彼に触れた部分から緊張している様子が伝わっちゃうかな。

 つい先日までここにいたのは赤城さんだったのに、いまはどんな気持ちで私を傘の中に入れてるのだろう。


 次第に雨足は強くなり、彼の反対側の左肩が濡れていることに気づいた。



「加茂……あっ、朝陽……くん」


「あはっ、初めて名前呼んでくれた」


「もう! それ言わないで下さいよ」



 私はそう言いながらカバンの中に手を突っ込んでハンドタオルを取り出す。



「傘をもっと左側に寄せていいですよ。朝陽くんの肩が濡れちゃってるし」


「えっ、あ、ほんとだ。気づかなかった」

 

「優しいんですね。私の方に傘を傾けてくれるなんて」



 私はそう言いながら足を止めて彼のブレザーを拭き始めた。



「粋こそ肩が濡れてることによく気づいたね」


「だって、ずっと加茂井く……朝陽くんを見ているから」


「また間違えた。次に加茂井くんって言ったら罰ゲームでもしようか?」


「どっ、どんな罰ゲームですか?」


「キスのふり……とか?」



 そう言われた瞬間、私は赤面したまま肩にかけているカバンを地面にドサッと落とした。

 もちろん、そのキーワードによって初めて唇を近づけたあの日のことを思い出してしまったから。



「そそそそそ……それはなしです!! 絶対絶対!! 心臓が持ちませんっっ!!」


「あははは……。冗談だよ。なに真に受けてんの?」



 彼はケラケラと笑いながら濡れた地面から私のカバンをすくい上げていると、私の背中にドンっと人がぶつかった。

 振り返ると、そこには傘をさしていない別の学校の女子高生が雨に濡れた顔で見ていた。

 しかし、その顔に見覚えがある。



「あれ……、矢島さん?」


「……え」


「うわぁ、やっぱりそうだ! 中学ん時に3年間パシりだった矢島さんよね? 絶対そう! この顔は間違いない」


「……」


「あんなに長かった髪をばっさり切ったんだ〜。黒縁メガネもしてないし見た目が変わっちゃったから一瞬わかんなかったけど、よく見たら面影が……」

「申し訳ないけど、そーゆー話はされたくないです……」



 私はこの時間を断ち切るかのようにそう言うと、傘から飛び出して走り出した。ザーザー降りの雨に包まれながらひたすら前を突き進んでいく。


 彼女は同じ中学出身の子。中2の時に同じクラスになったけど、いじめグループの一員だった。卑劣に笑っていたあの時の顔が心の中から呼び覚まされていく。

 いまは違う高校に通っているから二度と接点はないと思っていたのに、まさか街中で偶然会うなんて。



「粋っっ!! 粋っ!!」



 30メートルほど進んだところで彼が後方から声を上げながら追いかけてきたので振り返った。

 いまや、雨か涙かわからないほど顔がびしょびしょになっていて、彼に向けることさえ辛くなっている。

 彼ははぁはぁと息を切らしながら傘をサッと差し出した。



「大丈夫? さっきの子、粋の中学生の時の同級生だったの?」


「はい。さっきの話……聞きましたよね」


「うん」


「実は私、中学の時に嫌われてたんです。何も悪いことをしてないのに、コミュ力が低いから近づきがたいって噂されていて。ぱっつん前髪だからこけしみたいだって野次られてました」


「粋……」


「あの時は目を閉じることが出来なかったからヘッドホンで耳を塞ぐしかなくて。音楽を大音量で聞いていれば、それだけでも気が楽になっていたから。いまでも雑音が嫌いなのは、あの時のいじめがあったから。私は自分を守ることが精一杯なんです」



 全身ずぶ濡れになっている私が肩を震わせながらそう言うと、彼は私の身体を両手でギュッと抱きしめてきた。そしたら、持っていた傘がコロンと落ちていく音がした。



「だったら、ヘッドホンで心を塞ぎ込む前にちゃんと言えばいいじゃん。言いたいことをさ」


「えっ」


「粋は言えるんだよ。自分の気持ちを……」


「……」


「校庭からメガホンで叫んだあの日はカッコ良かったよ。周りの目なんて一切目もくれずに堂々としててさ」


「朝陽くん……」


「人の運命を変える為にそこまでできるなんて凄いなって。あの時は雑音を浴びる覚悟で告白をしてくれたんだなと思ったら余計嬉しくなったよ」



 直前まで怒っていたのに、彼の胸の中は世界で一番平和な香りがした。

 そしたら、怒っていることさえ忘れて、心が幸せに満ち溢れていた。



「私を抱きしめてたら雨で制服が濡れちゃいますよ」


「別にいい。粋の心の雨が止むまでこうしてるよ」


「……じゃあ、一生止みませんよ。ずっとこうしていて欲しいから」


「ばーか。本当は人一倍弱いクセに強がり言ってんじゃねーよ」



 ――たとえこの想いが繋がらなくても、私はやっぱり彼が好き。

 私自身を見ていてくれる唯一無二の存在だから……。

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