二周目④


*****



 翌日。さっそく私は行動を開始する。

 向かったのは王都内の、とある小さな教会。そこは、戦争や流行り病で親を失った子どもたちを収容する救護院もねていて、十日ごとに貴族階級の女性たちがつどってはぜん活動をおこなっている。


「あら、めずらしいお客様ね」


 私の姿に気づいた貴婦人たちが、一様に笑みをかべる。ただ、それらの笑みが含む色合いは多種多様だ。こう心にあざけり、けんを隠すためのぎこちないそう……何にせよ、そこにじゅんすいな好意をいだすのは難しい。


「ミラ゠カスパリア゠エデルガルトです。どうぞよしなに」


 両手でスカートを軽くつまみ、いちゆう。言葉も、正確かつ美しいエデルガルト語を心がける。すでに三年この国で暮らした私のエデルガルト語は、それなりに聞ける水準にはあるはずだ。


「あら…… れいなエデルガルト語でございますわね」


 ゴドフリーはくしゃくじんが、きょかれた顔で私の言葉をめる。ただ、その顔はどこかしらけたふうでもある。どうやら、というかやっぱりというか、私のカスパリアなまりをとなりのリッターだんしゃく夫人と嗤い合うつもりだったらしい。

 改めて、ここは戦場なのだと私は自分に言い聞かせる。

 社交界という、この世で最もゆうな戦場。三年前の私も、決してあなどったわけではなかった。事実、可能な限りの準備を整えてこの戦場にいどんだつもりだった。貴族たちの序列や重要人物のあく、エデルガルト語の習得、等々……。

 ただ、そうした努力を重ねてもなお、この国の人々のカスパリア人に対する敵意を前に、三年前の私はなすすべなく引き下がるしかなかった。


 そして、今。

 私は、新たな武器を携えて再びこの戦場に挑んでいる。一つは未来の知識。そしてもう一つは、必ず祖国を救うのだという断固たる意志だ。


「はい。殿下のはじにならぬよう努力いたしました」


 そう、心にもない返事で茶をにごす。何にせよ今は、この分厚い敵意の壁をとっし、彼女たちのコミュニティに取り入らなくては。一人の味方も得られずに失敗した前回と同じてつを、二度もむわけにはいかない。

 その翌日には、バルト伯爵夫人のしゅさいする茶会に参加する。そのさらに翌日にはシュペール女史主催の読書会。……そうして、何とか人脈作りを始めたはいいものの、ほどなく私は三年前と同じ壁に行き当たってしまう。

 いくら慈善活動をがんっても、それに茶会に参加しても、いっこうに彼女たちの輪に馴染むことができない。会話は当然のように無視され、茶会ではすっかり置物あつかい。

 なぜ? こっちは嫌な顔ひとつせず(多分)、無害な追従笑いにはげんでいるのに。

 そうして、骨折り損を終えてようやくしきに帰ると、今度はメイドたちが冷ややかに私をむかえる。

 屋敷の外であれ中であれ、私をいやすぬくもりなどどこにも存在しない。……わかってい

る。これは、そういうたたかいだ。たった一人、未来を知る私が、たった一人で絶望の未来か

ら祖国を救う闘い。

 部屋に戻ると、私は、ここよい風に招かれるようにテラスへ出た。

 暮れなずむ空の下では、庭の木々が黄昏時のあいまいやみに融けている。その薄ら闇の奥から、折しも見覚えのあるひとかげがうっそりと現れて、気の早い夜風を楽しむつもりだった私は軽く閉口する。

 見事な長身。あかねぞらの光を吸って燃えるように輝くぎんぱつ

 クラウスには数日に一度、日中を庭の奥で過ごす習慣がある。どれほど本業がぼうな時でも、不思議とこの習慣は変わらない。おそらく……愛人か、それに類する存在と密かに会っているのだろう。

 一方で、私との夫婦関係は相変わらず有名無実の域を出なかった。政略のためにあてがわれた女などにく情はない。そんな本音が透けて見えるほどに、日常生活ではなおもぼつこうしょうが続いている。

 これが彼女――エレオノーラなら、事情は違っていただろう。

 エレオノーラとは、現在は第二王子ロルフのきさきに収まる女性だ。元は弟クラウスのこんやくしゃだったのを、何事につけごういんなロルフが半ば奪い取るかたちでめとったのである。そのエレオノーラは、つややかなきんぱつすみれいろの瞳を持つ典型的なエデルガルト美女で、彼女と順当に結ばれていれば、あるいはクラウスも、他の女性とのうわうつつを抜かすことはなかったかもしれない。

 もっとも……今次の私に限れば、それ以前の問題が大きかっただろう。

 ふと、クラウスが顔を上げるのが遠目に見える。その視線からげるように部屋に引き取ると、私は小さく溜息をついた。

〝ここ〞のクラウスに罪はない。頭ではそう理解していても、未来におけるあの人のれいこくな振るいが、どうあっても嫌悪といかりをさそうのだ。まれに顔を合わせても、目をらし、最低限の挨拶にとどめている。

 不敬は百も承知だ。ただ、そうしなければ余計に無礼な態度を取ってしまいそうで、それがこわい。今更あの人に取り入りたいわけじゃない。かといって不興を買えば、前回の歴史ではなかった障害を新たに生むこともありうる。

 そんなことを考えながら、ベッド下からビスケットを取り出す。どうせ、今夜の晩餐も食べられたものではないのだろう。


「……帰りたい」


 ふと、そんな呟きが漏れる。……帰りたい。今はまだ健在な祖国に。その気になれば帰ることのできる、私のゆいいつの故郷に――。


「でも」


 その祖国のためにこそ、私は闘わなくちゃいけない。


 どくでも、みじめでも、救えるまで何度でも。



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