二周目③



*****



 その日もクラウスがばんさんのテーブルに現れることはなく、供された食事には相変わらず家畜用のえさがまぶされ、私はうんざり気分でぜんを下げさせる。不純物を除けば食べられなくもないのだろう。ただ、このじょくを私は許すわけにはいかないし、何より、さらにやっかいな不純物――要は毒が盛られている可能性を疑ってしかるべきである。そうなれば、もはや和平どころではない。

 私は腹ぺこのまま手付かずの皿を下げさせると、食事代わりのビスケットをかじりながら夕暮れのテラスに出た。


 冬が明け、春も盛りなこの時期は、エデルガルトが最も美しく色づく季節だ。庭にきこぼれる色とりどりの花。ただ、すでに黄昏たそがれしずむ今の時刻は、残念ながらそれらのしきさいじゅうぶんに楽しむことは難しい。

 手元の指輪に目を戻し、今日の残光を受けてわずかに輝くそれを見つめる。

 リングに用いられる金の絹に似たなめらかなこうたくは、長年使い込まれたほうしょく品ならではのそれだ。年月を経て刻まれた無数の細かな傷が、光を不規則に反射してやわらかな輝きに変える。おそらく、相当の年代物だろう。ただ、不思議とふるくささは感じられない。ぼくかつ気品あるデザインは、時代をえたへん的な美をそなえている。

 ただ……さすがに、あんな力を秘めていたとは夢にも思わなかったけれど。

 昼間の実験で、改めて私は確信した。この、一見何のへんてつもない古い指輪には、装着者の魂を過去に飛ばす力がそなわっている。

 この力があれば、だれでも簡単に未来を知ることができる。その気さえあれば、自分の意のままに歴史を導くこともできるのだ。使い方だいでは、カスパリアどころか世界をしょうちゅうに収めることすらすいだろう。

 なぜ、あの人はこんなおそろしい力を敵国人である私に……?


「善は急げ、だわ」


 さっそく私は、クラウスの私室へと向かった。長いろうの先にあるごうしゃな両開きのドア。

 その奥が彼のしつ室だ。ノックすると、さっそく奥からすいの声が返ってくる。


「誰だ」

「ミラでございます。殿下におうかがいしたいことがあって参りました」

「ミラ? わ、わかった。少し待ってくれ」

「……? はい」


 気のせいだろうか、声にろうばいの色があった。でも、私に無関心なあの人が、突然の来訪にいちいち焦るだろうか……。

 やがて、ふたたび奥から声がする。


「い、いいぞ。入ってくれ」

「はい」


 一つ深呼吸。ノブに手をかけ、片側のドアをおもむろに押し開く。

 そこは彼の執務用の部屋で、奥に置かれたりょうそでの執務机を除けば、家具らしい家具はほとんど見当たらない。壁は全て作りつけのほんだなになっていて、その棚も、これまた分厚い専門書にくされている。

 ずらりと並んだ背表紙には、エデルガルト語はもちろん、カスパリア語や、そのほかの言語も見て取れる。ただ、読み取れるのは、『虫の生態』や『南方におけるちょうふんの利用の実態』といった、いまいち内容を想像しづらいタイトルばかり。

 そうしたみょうな本たちが築くじょうへきの中心で、たくじょうランプのあわい光を受けてこちらをぎょうする我が夫は、例によってひどく不機嫌な顔をしていた。

 眉間に深々と刻まれた皺。ただし、顔の造作は相変わらず息をむほどにしゅうれいで、愛情のとは無関係に、つい視線をうばわれてしまう。

 彫りの深い顔に落ちる美術品めいたいんえい。白いほおに差すまつかげは驚くほど長い。

 その頰が、だんより赤らんで見えるのは、人目をぬすんでいっぱいひっかけでもしていたのだろうか。ただ、私の記憶する彼はたしかだったはず。


「それで……たずねたいこととは?」


 長い指先が、こつ、と卓上をたたく。落ち着いているようでその実、そわそわとれる上半身。……気のせいかしら、今のクラウスは、いつもの冷淡さを欠いているようにも見える。私の知るクラウスであれば、とつぜん部屋をおとずれた妻にも終始無関心を貫

つらぬいたはず。それとも、急な訪問にいらついているのかしら?


「え……ええ。この、指輪の件なのですが……」


 するとクラウスは、今度は明らかにひょうけした顔をする。……えっと、今度のこれは、一体どういう感情?


「指輪? え、ええと……その指輪がどうかしたのか。ひょっとして、気に入らなかったのか? た、確かに、りのデザインではないのだろうが……」

「えっ? い、いえ、むしろ、らしい宝飾品をたまわりましたこと、大変光栄に思っております。ところで……その、改めて拝見しましたところ、かなり年季の入ったお品とお見受けしました。それで、その」

 できれば来歴を知りたい。そんな私の問いはしかし、またしてもクラウスが見せた意外な反応にはばまれる。


「っ、す、すまない、新しくあつらえることも考えたのだが、その、石の色が、君の瞳の色と

そっくりで、決して古物を押し付けたつもりは……」

「い、いえ、ですから、別に不満などは」


 ううむ、どうも会話が成り立たない。そもそも、この人は本当に私の知るクラウスだろうか。少なくとも、そうすればしい言葉が手に入るとばかりに両手をわたわたさせるクラウスは、この三年、飽きるほど見知った私の夫クラウスとはまるで別人だ。何事にも冷淡で、私との会話にも終始つまらなそうに応じていた―― 。

 本当に?

 改めて、古い記憶をさらってみる。……ああ、そうだった。あの人も、結婚当初は必ずしも冷たいばかりではなかったのだ。廊下で出会えば短くともあいさつを交わし、そのたびに彼は、わたわたとちゅうを掻きながら言葉を探していた。今の彼のように。

 いつの間に、そんな日々を失ってしまったのだろう。

 やがてクラウスは、何かを観念したように溜息をつく。


「いや……だまっていても仕方がない。いずれバレることだ」

「えっ」


 ひょっとして、本当にほうの力が……?


「確かにそれは古い品物だ。何せ、元は私の母が身につけていたものだからな」

「……はい?」


 意外な話のほこさきに、ついけな声をらす。いや、確かに指輪がらみの話ではあるのだけども――そんな失望を何とか押し隠し、彼の話に思考を戻す。

 クラウスの母親は、エリザ゠ルクスという女性だ。元々は王宮にほうこうに出ていた下級貴族のむすめだったが、そのぼうから現国王にめられ、後宮に収められた。

 ところが彼女は、クラウスを産み落としたあと一年もたずに命を落としてしまう。いっぱんには、産後の肥立ちが悪かったとされているが、王のちょうあいねたんだ者による暗殺と疑う人間も少なくない。


「お母様、の……?」

「ああ。その母も、やはり祖母……彼女の母親からゆずけたのだそうだ。ただ、私の祖先が、いつ、どういったいきさつでそれを手に入れたのかは何も聞かされていない」


 なるほど。とにかく、相当古いものだということはわかった。……いや待て。クラウスの母方、ルクス家の領地には。


「そういえば……あの一帯は、じょ伝説が有名でございましたね」


 さりげなく、かつ慎重に、私は重要な問いを投げる。

 ルクス家の領地は、魔女の森と呼ばれる深い森を抱えている。そこには、今は失われた魔法を用いる古いたみがかつて暮らしていた――とされるのだけど。


「ああ、あの森か。確かに有名だな。だがりし日はともかく、今は無人の地でね。少なくとも私は、伝説の中にしか魔女を知らない」


 そう。すでに魔女たちはその地をはなれ、別の場所に移ってしまった。

 その行き先を、しかし、私は別の伝説を通じて知っている。


「……この指輪が、その魔女たちによって作られた、といったお話をお聞きになったことは?」


 するとクラウスは、ただでさえ深い眉間の皺をさらに深くする。今の質問は母親の形見をじゅぶつ呼ばわりしたも同然だ。クラウスでなくともこんな顔にはなるだろう。

 それでも、この指輪に関する情報だけは聞けるだけ聞いておきたい。


「いや……だが可能性はゼロではない。事実、その指輪にはあるいつが残されている」

「逸話……でございますか?」

「ああ。名前を逆さに唱えて指輪を外すと、昔の自分に戻ることができる……と」

「えっ」


 昔の自分に戻る。それは、つまり――。


「あくまでも言い伝えだ。私も、子どもの頃にこっそり試してみたが……そうした効果は一度も見られなかった」


 どこか残念そうに呟くクラウスは、うそをついているようには見えない。実際、使えなかったのだろう。でも、その事実は、私が温める仮説を否定しない。


「ところで」

「えっ、は……はい」

「こちらの暮らしで、何か不都合なことはないか。カスパリアは隣国だが、気候や暮らしぶりは我が国とは大きく異なる。不足があれば、メイドたちにえんりょなく告げて欲しい」

「そ、れは……」


 いっそ、あの薬草、、 についてこの場でこうしてやろうか。――いや。〝ここ〞での妻としての日々はまだ浅い。ちがいではと返されると、今の私にはどうにもならないのが実情だ。クラウスとしても、長年仕えるメイドをほんの数日の仕事ぶりで非難されるのはいい気がしないだろう。

 むしろ……この男がしゅぼうしゃである可能性すらある。

 仕事でいそがしいクラウスは、食事は簡素にれるものをこの部屋に運ばせ、一人で食べている。元々そういう暮らしぶりなのか、薬草、、の件を知っていてわざと食事を別にしているのか。後者だとすれば、いくら抗議したところで無意味だ。


「いえ、不足はございません」


 せいいっぱいみを返すと、私は早々にクラウスの部屋を出た。

 ろうそくが照らすだけのうすぐらい廊下を自室へと向かいながら、私は、たった今の不毛な会話を頭からはらう。今の私には、他に考えるべきことが山ほどある。そう例えば――。


「……魔女」


 ルクス領の森に、かつて住んでいたという魔女の一族。のちに彼らは、異民族に追われて南へとを移した。

 そうして移り住んだ先で、彼らはきょだいな帝国を築いた。その帝国こそは、我が祖国カスパリア。この伝説が本当ならば、皇族として始祖の血を継ぐこの身体には、彼女たちの血が今も流れているのだ。かつて、この指輪を作った魔女たちの血が。

 その血が、指輪の力を目覚めさせたのだろうか。

 わからない。ただ、どうやらこの力は、エデルガルトの技術によって生まれたものではないらしい。そして……この力を使えるのは、おそらく現状では私一人。本来の持ち主であるクラウスすら、その事実に気づいていない。つまり……。


「私だけが……未来を選べる……」


 はからずもふるえる声。本来出会うはずのなかった指輪と、魔女のまつえいである私。この、せきとも呼べる出会いは、過去を、いや未来を変えろという大いなる意思の導きに違いない。

 いや、誰に導かれずとも私は、私一人の力で辿たどいてみせる。


「そして……救ってみせる。必ず」


 にぎりしめたこぶしに、その指に輝くリングに、誰に向けるでもないちかいを私はささげた。

 その後の実験で、私は二つのルールをかくにんする。

 一つ。名前を逆さに唱えながら指輪を外すと、最後に嵌めた時点まで時を遡る。

 二つ。無言のまま外すと遡らない。

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