二周目③
*****
その日もクラウスが
私は腹ぺこのまま手付かずの皿を下げさせると、食事代わりのビスケットを
冬が明け、春も盛りなこの時期は、エデルガルトが最も美しく色づく季節だ。庭に
手元の指輪に目を戻し、今日の残光を受けて
リングに用いられる金の絹に似たなめらかな
ただ……さすがに、あんな力を秘めていたとは夢にも思わなかったけれど。
昼間の実験で、改めて私は確信した。この、一見何の
この力があれば、
なぜ、あの人はこんな
「善は急げ、だわ」
さっそく私は、クラウスの私室へと向かった。長い
その奥が彼の
「誰だ」
「ミラでございます。殿下にお
「ミラ? わ、わかった。少し待ってくれ」
「……? はい」
気のせいだろうか、声に
やがて、ふたたび奥から声がする。
「い、いいぞ。入ってくれ」
「はい」
一つ深呼吸。ノブに手をかけ、片側のドアをおもむろに押し開く。
そこは彼の執務用の部屋で、奥に置かれた
ずらりと並んだ背表紙には、エデルガルト語はもちろん、カスパリア語や、そのほかの言語も見て取れる。ただ、読み取れるのは、『虫の生態』や『南方における
そうした
眉間に深々と刻まれた皺。ただし、顔の造作は相変わらず息を
彫りの深い顔に落ちる美術品めいた
その頰が、
「それで……
長い指先が、こつ、と卓上を
つらぬいたはず。それとも、急な訪問に
「え……ええ。この、指輪の件なのですが……」
するとクラウスは、今度は明らかに
「指輪? え、ええと……その指輪がどうかしたのか。ひょっとして、気に入らなかったのか? た、確かに、
「えっ? い、いえ、むしろ、
できれば来歴を知りたい。そんな私の問いはしかし、またしてもクラウスが見せた意外な反応に
「っ、す、すまない、新しく
そっくりで、決して古物を押し付けたつもりは……」
「い、いえ、ですから、別に不満などは」
ううむ、どうも会話が成り立たない。そもそも、この人は本当に私の知るクラウスだろうか。少なくとも、そうすれば
本当に?
改めて、古い記憶を
いつの間に、そんな日々を失ってしまったのだろう。
やがてクラウスは、何かを観念したように溜息をつく。
「いや……
「えっ」
ひょっとして、本当に
「確かにそれは古い品物だ。何せ、元は私の母が身につけていたものだからな」
「……はい?」
意外な話の
クラウスの母親は、エリザ゠ルクスという女性だ。元々は王宮に
ところが彼女は、クラウスを産み落としたあと一年も
「お母様、の……?」
「ああ。その母も、やはり祖母……彼女の母親から
なるほど。とにかく、相当古いものだということはわかった。……いや待て。クラウスの母方、ルクス家の領地には。
「そういえば……あの一帯は、
さりげなく、かつ慎重に、私は重要な問いを投げる。
ルクス家の領地は、魔女の森と呼ばれる深い森を抱えている。そこには、今は失われた魔法を用いる古い
「ああ、あの森か。確かに有名だな。だが
そう。すでに魔女たちはその地を
その行き先を、しかし、私は別の伝説を通じて知っている。
「……この指輪が、その魔女たちによって作られた、といったお話をお聞きになったことは?」
するとクラウスは、ただでさえ深い眉間の皺をさらに深くする。今の質問は母親の形見を
それでも、この指輪に関する情報だけは聞けるだけ聞いておきたい。
「いや……だが可能性はゼロではない。事実、その指輪にはある
「逸話……でございますか?」
「ああ。名前を逆さに唱えて指輪を外すと、昔の自分に戻ることができる……と」
「えっ」
昔の自分に戻る。それは、つまり――。
「あくまでも言い伝えだ。私も、子どもの頃にこっそり試してみたが……そうした効果は一度も見られなかった」
どこか残念そうに呟くクラウスは、
「ところで」
「えっ、は……はい」
「こちらの暮らしで、何か不都合なことはないか。カスパリアは隣国だが、気候や暮らしぶりは我が国とは大きく異なる。不足があれば、メイドたちに
「そ、れは……」
いっそ、あの
むしろ……この男が
仕事で
「いえ、不足はございません」
「……魔女」
ルクス領の森に、かつて住んでいたという魔女の一族。のちに彼らは、異民族に追われて南へと
そうして移り住んだ先で、彼らは
その血が、指輪の力を目覚めさせたのだろうか。
わからない。ただ、どうやらこの力は、エデルガルトの技術によって生まれたものではないらしい。そして……この力を使えるのは、おそらく現状では私一人。本来の持ち主であるクラウスすら、その事実に気づいていない。つまり……。
「私だけが……未来を選べる……」
いや、誰に導かれずとも私は、私一人の力で
「そして……救ってみせる。必ず」
その後の実験で、私は二つのルールを
一つ。名前を逆さに唱えながら指輪を外すと、最後に嵌めた時点まで時を遡る。
二つ。無言のまま外すと遡らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます