二周目②



*****



「昨晩もまたお一人でございましたか」


 部屋付きメイドのドロテが、新しいシーツをベッドにき直しながらためいきをつく。


「ええ。でも……殿下のお気持ちが添わなければ、私の方からはどうにも……」

「まぁ殿下もお立場上、今回のこんを断るわけにはいかなかったものですから。何かと難しいものがございますのでしょ」

「……ええ」


 暗にクラウスにこばまれていることをされ、私はしょう交じりにあいづちを打つ。

〝ここ〞での数日に限らない。あの三年間の夫婦生活で、私が、クラウスから夜のいとなみを

望まれたことは一度もなかった。確かに、ドロテの言うとおりたがいに意に染まぬ政略結婚ではあった。ただ私に限れば、少なくとも、彼との子をなす程度のかくは持ち合わせていたのだ。

 ところがクラウスの方は、今なお独身時代の寝室できを続けている。結婚式で倒れた私をづかって、というのが表向きの理由だが、大方、好みでもない女との営みを拒むための方便だろう。

 その後、掃除など一通りの用事を済ませると、ドロテは足早にドアへと向かう。その背中を、私はすかさず呼び止めた。


「ねえドロテ。今朝のスープ、またあのみょうな草がまぎれていたのだけど……あれ、やめていただけないかしら」


 するとドロテは、ただでさえげんそうな顔をさらにしかめる。


「薬草なんですよ。お子をさずかりやすくするお薬です。殿でんのお国にはございませんでしたか。ゆうふくなお国でございますのに」


 何が薬草よ、と、のどもとまで出かかる声を私はぐっとこらえる。

 毎朝出されるスープに混入する、やけにあおくさい草。あれは、こちらの国で用いられるちく用の飼料だ。三年前も、やはり私は同じ嫌がらせを受けたのだけど、あの頃は、この国の食文化にみたい一心でどうにか料理を平らげていた。

 そんな私のこっけいな姿を、おそらくメイドたちはかげわらっていたのだろう。

 やがて草は砂になり石になり、さすがにこれはおかしいと疑い始めた矢先、ロルフがカスパリア軍にぼうさつされる。それまでかろうじて口にできた食事は、いよいよ料理のていさいすらなくしていった。虫やネズミのがいが堂々と交ぜ込まれた料理を、私は食欲のしんしょうして下げさせると、代わりに、宮殿に呼びつけたカスパリア商人からひそかに干し肉やビスケットを買い入れ、私室でこそこそと腹に入れた。

 そんな私の、未来での苦労など知るよしもないドロテは、ふん、と鼻で笑うと、そのまま何食わぬ顔で部屋を出てゆく。

 ようやく一人になったところで、私はうんざりと溜息をついた。


「また……あんな日々をり返すの?」

 せめて悪い夢なら良かった。いや、それを言えば、私がこの国で過ごした向こう三年の日々こそ悪夢だったのかもしれない。敵国の女としてれいぐうされ、挙げ句、祖国のめつぼうを、ただすることしか許されなかったごくの日々……。


「……じょうだんじゃないわ」


 窓しの空に目をもどす。あの陰鬱な冬の日とは似ても似つかない澄んだ青空をながめながら、私はつぶやく。

 ええ、冗談じゃない。あんな地獄、二度と繰り返してなるものですか。どちらが悪夢だろうと構わない。何にせよ私は、向こう三年の記憶をたずさえて〝ここ〞にいる。

 それはきっと、意味のあることなのだ。



*****



 とりあえず、向こう三年の大きな出来事を手帳に書き出してみる。


 ディレリア暦三九五年

  四月   クラウスと結婚。


 ディレリア暦三九六年

  八月   港の使用料をめぐって小規模なせんとう発生。

  九月   ロルフ、戦闘にかいにゅうすべくしゅつじん

  十一月  ロルフ、カスパリア側の工作により死亡。エデルガルト王、国内の諸侯に出陣を命じる。

  十二月  ギルベルトを総司令官に据えた諸侯連合軍が出陣。宣戦布告とともにえっきょう。カデッサに進軍する。


 ディレリア暦三九七年

  一月   ギルベルト軍、カデッサを包囲。こうじょう戦が始まる。

  七月   カデッサが陥落。父、しょけいされる。

  十月   クラウスがえんしんせいを法皇に提出。


 ディレリア暦三九八年

  一月   クラウスとの離縁がしょうにんされる。

       私、王宮を出る↓そして過去(?)に戻る。


 改めて書き出したところで、ふと気づく。


「……時間が、ない」


 そう、思いのほか時間にゆうがないのだった。クラウスに離縁されるのは結婚から三年後。だけど祖国がほろびるのは二年半後。さらに、そのえんいんとなった戦闘は早くも来年にはぼっぱつしている。

 つまり……祖国を救うためにあたえられたゆうは、実質、一年程度ということ。


「もっと遠い過去にさかのぼっていれば……」


 せめてあと三年、いや五年は余裕が欲しかった。……いや、今の私が十六歳で、ここからさらに五年遡ると十一歳。三年でも十三歳だ。そんな子どもに何ができるのかと問われると、正直、厳しいものがある。

 そうでなくともカスパリア時代の私は、皇族とはいえその立場はきわめてぜいじゃくだった。

 数多あまたいる側室が産んだ子の一人にすぎなかった私は、いずれ政略結婚の道具として使い

つぶされるだけの、いわば捨てごまの一つでしかなかったのだ。その意味では、王子という地位を手に入れたあの時点に引き返すのが丁度よかった、ともいえるのだけど……。

 そもそもなぜ、あの時、あの場所だったのだろう。

 三年前の婚礼の日。私は、これから背負う両国のはしとしての使命に胸をたぎらせていた。捨て駒にも意地はある。どうせ使い潰されるなら大きな使命の中で果てたい。そう、あの頃の私は心を燃やしていた。その後、エデルガルト王室にまんまと飼い殺しにされるとも知らず。

 そんなむべき日に、よりにもよって引き戻されたのは皮肉といえば皮肉だけど、そもそもあれは、ただのぐうぜんだったのか――。


「あるいは……何かしらの理由が」


 となると、やはりヒントは過去に遡る直前にある。そういえばあの時、私は、クラウスに返そうと結婚指輪を外して││ そう、外したはずだ。なのに、気づくと指輪はもとの指に戻っていて、そして私は、なぜか三年前の婚礼の場に立っていた。

 その指輪は、私の左手で今もひっそりと輝いている。

 見た目は、私が三年間めていたものと寸分も変わらない。色は、小麦色の私のはだけ入るような金。トップには、私のひとみの色と同じ緑色の小石が嵌め込まれている。色も形も、まるで私をかざるために生み出されたような――とは、さすがに言い過ぎだけど、実際、これまで私のために仕立てられたどんなドレスよりも私に馴染んだ。

 ひょっとして……この指輪がかぎ

 まさか。でも、すでに魂が過去に遡るなどという非常事態にもそうぐうした今、いくらこうとうけいもうそうであっても、まずは疑う必要がある。例えば││ そう、例えば、この指輪を外すことで過去に戻れるのなら。だとすれば……。


ためす価値は、ある」


 意を決し、ソファを立つ。未来の出来事を記した手帳を、机の引き出しに密かにしつらえた

二重底へとかくす。

 もし、この力がコントロール可能なものだとして。

 それは私にとって、とても、とても大きな意味を持つ。


「……よし」


 小さく気合を入れると、いよいよ指輪に手をかける。

 私が予想する、指輪を外すことで起きる現象は二パターン。一つは、外すことで魂が三年分の年月を遡る。この場合、私はカスパリア皇女時代の私に戻るわけだ。もう一つのパターンは、最後に指輪を嵌めた日時に魂が戻る。この場合、私は再びあの茶番めいた婚礼を繰り返すことになる。

 さて、結果は……?


「……えっ」


 指輪を外した私は、思いもよらない結果にしばしぼうぜんとなる。

 戻らない? なぜ。そのまま二度三度と付け外しを繰り返す。が、やはり結果は変わらなかった。いちの望みをめて引き出しの二重底から日記を取り出すも、記されていたのは、ついさっき書き込んだばかりの未来の記録。


「どうして……」


 引き出しに日記をしまい、嵌め直した指輪を見下ろす。

 自由に過去へ引き返すことができる――その可能性にいだきかけた希望が、指のすきをするするとすべちてゆく。もちろん、一度引き返すことができただけでもぎょうこうではある。

 ただ、確実に祖国を救うには……。

 そんな私の気持ちを代弁するかのように、ふっと光を落とす窓。見ると、今まさに窓の外を小鳥の大群が慌ただしく横切ってゆく。

 ――トルガルデ、エアリパスカ、ラミ。

 そういえば。

 あの時、指輪を外そうとしてクラウスに止められた。その後、何だか妙なじゅもんを唱えるよう命じられて……。

 まさか。


「トルガルデ……エアリパスカ、ラミ」


 呪文を唱え、縋るような気持ちで指輪を外す。―― いっしゅん、軽い眩暈めまいを覚えて、ひょっとして、と周りを見回すも特に異変は見られない。相変わらずここは冷たいクラウスの宮殿で、婚礼に使った大聖堂でも、まして、生まれ育ったカスパリアの宮殿でもない。


「やっぱり、あの力は一度きり――」


 ばさばさばさっ。

 不意に耳に飛び込む慌ただしい羽音。振り返ると、今まさに窓の外を、小鳥の大群が横切ってゆくところだった。

 その光景に、私はきょうれつかんを覚える。

 おそるおそる手元を見ると、外したはずの指輪がいつの間にか指に戻っている。


「ひょっとして」


 息を整え、改めて先程の呪文を唱える。ひと呼吸置いて指輪を外し―― 一瞬の眩暈。指輪は、やはり薬指の付け根に戻っている。おどろきを堪えつつ窓に目を向け、そして私は、見る。

 窓の外を横切る、見覚えのある小鳥の大群。


「……本当に」


 静かな興奮が、足元からじわじわと背筋をのぼる。

 やはり……この指輪が鍵だったのだ。呪文を唱えて指輪を外せば、何度でも、そう、何度だって過去に引き返すことができる。たとえ、再び祖国の滅亡を許したとしても、そのたびに過去に戻り、歴史をやり直せるのだ。

 祖国を救えるまで、何度でも。

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