二周目②
*****
「昨晩もまたお一人でございましたか」
部屋付きメイドのドロテが、新しいシーツをベッドに
「ええ。でも……殿下のお気持ちが添わなければ、私の方からはどうにも……」
「まぁ殿下もお立場上、今回の
「……ええ」
暗にクラウスに
〝ここ〞での数日に限らない。あの三年間の夫婦生活で、私が、クラウスから夜の
望まれたことは一度もなかった。確かに、ドロテの言うとおり
ところがクラウスの方は、今なお独身時代の寝室で
その後、掃除など一通りの用事を済ませると、ドロテは足早にドアへと向かう。その背中を、私はすかさず呼び止めた。
「ねえドロテ。今朝のスープ、またあの
するとドロテは、ただでさえ
「薬草なんですよ。お子を
何が薬草よ、と、
毎朝出されるスープに混入する、やけに
そんな私の
やがて草は砂になり石になり、さすがにこれはおかしいと疑い始めた矢先、ロルフがカスパリア軍に
そんな私の、未来での苦労など知る
ようやく一人になったところで、私はうんざりと溜息をついた。
「また……あんな日々を
せめて悪い夢なら良かった。いや、それを言えば、私がこの国で過ごした向こう三年の日々こそ悪夢だったのかもしれない。敵国の女として
「……
窓
ええ、冗談じゃない。あんな地獄、二度と繰り返してなるものですか。どちらが悪夢だろうと構わない。何にせよ私は、向こう三年の記憶を
それはきっと、意味のあることなのだ。
*****
とりあえず、向こう三年の大きな出来事を手帳に書き出してみる。
ディレリア暦三九五年
四月 クラウスと結婚。
ディレリア暦三九六年
八月 港の使用料を
九月 ロルフ、戦闘に
十一月 ロルフ、カスパリア側の工作により死亡。エデルガルト王、国内の諸侯に出陣を命じる。
十二月 ギルベルトを総司令官に据えた諸侯連合軍が出陣。宣戦布告とともに
ディレリア暦三九七年
一月 ギルベルト軍、カデッサを包囲。
七月 カデッサが陥落。父、
十月 クラウスが
ディレリア暦三九八年
一月 クラウスとの離縁が
私、王宮を出る↓そして過去(?)に戻る。
改めて書き出したところで、ふと気づく。
「……時間が、ない」
そう、思いのほか時間に
つまり……祖国を救うために
「もっと遠い過去に
せめてあと三年、いや五年は余裕が欲しかった。……いや、今の私が十六歳で、ここからさらに五年遡ると十一歳。三年でも十三歳だ。そんな子どもに何ができるのかと問われると、正直、厳しいものがある。
そうでなくともカスパリア時代の私は、皇族とはいえその立場は
そもそもなぜ、あの時、あの場所だったのだろう。
三年前の婚礼の日。私は、これから背負う両国の
そんな
「あるいは……何かしらの理由が」
となると、やはりヒントは過去に遡る直前にある。そういえばあの時、私は、クラウスに返そうと結婚指輪を外して││ そう、外したはずだ。なのに、気づくと指輪はもとの指に戻っていて、そして私は、なぜか三年前の婚礼の場に立っていた。
その指輪は、私の左手で今もひっそりと輝いている。
見た目は、私が三年間
ひょっとして……この指輪が
まさか。でも、すでに魂が過去に遡るなどという非常事態にも
「
意を決し、ソファを立つ。未来の出来事を記した手帳を、机の引き出しに密かに
二重底へと
もし、この力がコントロール可能なものだとして。
それは私にとって、とても、とても大きな意味を持つ。
「……よし」
小さく気合を入れると、いよいよ指輪に手をかける。
私が予想する、指輪を外すことで起きる現象は二パターン。一つは、外すことで魂が三年分の年月を遡る。この場合、私はカスパリア皇女時代の私に戻るわけだ。もう一つのパターンは、最後に指輪を嵌めた日時に魂が戻る。この場合、私は再びあの茶番めいた婚礼を繰り返すことになる。
さて、結果は……?
「……えっ」
指輪を外した私は、思いもよらない結果にしばし
戻らない? なぜ。そのまま二度三度と付け外しを繰り返す。が、やはり結果は変わらなかった。
「どうして……」
引き出しに日記をしまい、嵌め直した指輪を見下ろす。
自由に過去へ引き返すことができる――その可能性に
ただ、確実に祖国を救うには……。
そんな私の気持ちを代弁するかのように、ふっと光を落とす窓。見ると、今まさに窓の外を小鳥の大群が慌ただしく横切ってゆく。
――トルガルデ、エアリパスカ、ラミ。
そういえば。
あの時、指輪を外そうとしてクラウスに止められた。その後、何だか妙な
まさか。
「トルガルデ……エアリパスカ、ラミ」
呪文を唱え、縋るような気持ちで指輪を外す。――
「やっぱり、あの力は一度きり――」
ばさばさばさっ。
不意に耳に飛び込む慌ただしい羽音。振り返ると、今まさに窓の外を、小鳥の大群が横切ってゆくところだった。
その光景に、私は
おそるおそる手元を見ると、外したはずの指輪がいつの間にか指に戻っている。
「ひょっとして」
息を整え、改めて先程の呪文を唱える。ひと呼吸置いて指輪を外し―― 一瞬の眩暈。指輪は、やはり薬指の付け根に戻っている。
窓の外を横切る、見覚えのある小鳥の大群。
「……本当に」
静かな興奮が、足元からじわじわと背筋を
やはり……この指輪が鍵だったのだ。呪文を唱えて指輪を外せば、何度でも、そう、何度だって過去に引き返すことができる。たとえ、再び祖国の滅亡を許したとしても、そのたびに過去に戻り、歴史をやり直せるのだ。
祖国を救えるまで、何度でも。
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