二周目①


 目を覚ますと、やけに見覚えのあるてんじょうが目に入った。

 クルミ材の黒く太いはりとなめらかな白しっくいかべは、やはりクルミ材のこしいたを除けば漆喰で塗り込められ、柱には果物をモチーフとしたちょうこくがそこかしこにほどこされている。

 かつて部屋付きのメイドに、あの果物は子孫はんえいを願ってられたものだと聞かされたことがある。が、今思えばあれは、いつまでも子をなせない私に対する当てつけだったのだろう。

 このしんしつには他にも、うんざりするほどいやおくがいくつもみついている。

 そう、確かにここは、私がエデルガルトにとついで以来暮らし、そして、つい先刻追い出されたふうの寝室だった。

 さきほどけっこんしきといい、一体、何が起きているのかしら……?


「ん?」


 そういえば、窓からき込む風がやけに気持ちいい。

 風をはらんでゆるく波打つのは、輿こしれのときに祖国カスパリアから持ち込んだレースのカーテン。その、うすくかろやかな布地にけて見えるのは、どう見ても冬のそれには見えない青々とんだ空だ。

 雪深いエデルガルトでは、冬に入ると何カ月もいんうつくもぞらが続く。

 それは、一年の大半が晴天にめぐまれる国に生まれた私には、気がるほど嫌な季節だった。そして……今はまだ、そのなかのはず。

 なのに。この気持ちよくわたった青空は。

 ふとドアの開く音がして、まくらの上であわててかえる。見ると、ドアの戸口に、ついさっき私をこのきゅう殿でんから追い出した――そして、なぜかふたたび私とのこんれいいられた元夫、クラウスの姿があった。

 相変わらずいんな顔。まゆに刻まれた深いしわは、私たちの間に横たわるみぞしょうちょうするかのようだ。


「起きていたのか」

「え、ええ……ここは……?」


 するとクラウスは、ただでさえ深いけんの皺をさらに深くする。


「式のちゅうたおれたのだ。……覚えていないのか?」

「式? それは……婚礼の、で、ございますか」

「ああ」


 他に何がある、と言いたげにうなずくクラウスに、いよいよ私はこんわくを深くする。ということは、やはり、あれは……。

 身を起こし、ふたたび部屋をわたす。

 部屋には、書き物机と朝食用のテーブルセット、それから、今私がせんきょする夫婦用のベッドが一つ。いずれも、うんざりするほど見慣れた品ばかりだ。サイドボードに置かれた東洋のびんすらも――……。

 いや、ちがう。

 あの花瓶だけは、ここにあるはずのないものだ。あれはけっこんから間もなく、そうの途中でメイドがゆかに落とし、割ってしまった。その花瓶は、私が祖国から持ち込んだ調度品の一つで、貿易国家ならではのさいな文化を象徴するそれは、へいてきなこの国での暮らしにささやかな異国の香りをえてくれていた。……だから彼女はこわしたのだろう。敵国の豊かさをするものとして、おそらくはわざと。

 その花瓶が、なぜここに? いや、それを言うなら、あの結婚式も――。

 まさか。


殿でん


 とんに置いた左手を見下ろしながら問う。その薬指では、雪の中、一度はったはずの結婚指輪が何食わぬ顔でかがやいている。


「今年は……ディレリア暦何年でしょう」

「三九五年だ。それが何か」


 当然とばかりに返された答えに、改めて私はがくぜんとなる。

 それは、今から三年前、私が祖国カスパリアからここエデルガルトに嫁いだ、まさにその年だった。



*****



 クラウスとの二度目の結婚式から十日が過ぎた。

 その間、私は、こっそりびょうしょうを抜け出してはしんちょうに情報を集めて回った。宮殿に勤めるメイドたちのうわさばなしから、出入りの商人がわす世間話まで、おおよそ会話と呼ばれるものには何にでも聞き耳を立てた。時には、私に対するきついかげぐちも聞こえてきたけれど、そのたびに「何をいまさら」と自分にむちを入れ、情報収集を続けた。

 陰口なんて、この三年、それこそきるほど聞かされたじゃない。

 そうして得た答え。やはり〝ここ〞は、三年前のエデルガルトでちがいない。だとすれば……なぜ、私は今〝ここ〞にいるのか。

 単に予知夢として、三年分の未来を見せられただけなのか。それとも、何らかの事情でたましいだけが時間をさかのぼり、三年前の私に乗り移ったのか。何にせよ今の私は、向こう三年

に起きる出来事の記憶をかかえて〝ここ〞にいる。〝ここ〞、すなわちディレリア暦三九五年からわずか二年半後、私の祖国カスパリアていこくは、その一千年の歴史に幕を下ろす。

 かつては南方のアデルネ海をうちうみとするほどにはんを広げた我が国も、父がこうていの座をころには、ていふくむ半島と、わずかな植民地を残すのみとなっていた。

 だがおとろえはしても、我が国はなおろうかいな貿易国家として、周辺国からあおがれる地位を何とか保っていた。北のりんごくエデルガルトが、そののどくびき切るまでは。

 きっかけは、エデルガルト第二王子ロルフの死だ。

 エデルガルトには当時、三人の王子がいた。第一王子で王太子のギルベルト。第二王子ロルフ。それから、私との政略結婚を強いられた第三王子クラウス。

 その第二王子ロルフは、とにかく血の気が多いことで有名で、戦いと聞くや手勢を引き連れ、えたいぬよろしく戦場にさんじるのが常だった。歴史上、我が国とエデルガルトは平時でもいが絶えず、この時もロルフは、血のにおいをぎつけてふんそう地域へとおもむいた。

 ところがその最中、ロルフは思いがけない不運にわれる。国境近くのかいどうがけくずれに巻き込まれ、手勢もろとも命を落としてしまったのだ。

 それだけなら、不幸な事故ということで話は片付いただろう。

 しかしのちに、この崖崩れが、実はカスパリア側の工作だったことが判明する。

 王子の死。それもきょうきわまるだまち。しらせを聞いたエデルガルト王はげきした。むすの遺体が王都に無言のかんを果たしたその日、彼は国内の貴族しょこうに挙兵を命じる。

 その後の展開は、まさに電光石火だった。

 王太子ギルベルトを総司令官にえた諸侯連合軍は、大挙して国境をしんぱんした後、いっせいに街道を進み、カスパリアの帝都カデッサを包囲してしまう。私のどうほうたちは、精強で知られるエデルガルト軍を相手にかんに戦った。貴族も平民も、兵士もそうでない者も――だが、そうした戦いも長くは続かなかった。ろうじょう戦の開始から六カ月後、なんこうらくだいじょうへきほこるカデッサはついにかんらくする。

 住民は、貴族も皇族も動ける者はすべてれいとしてつながれ、それ以外の者は殺され海に投げ捨てられた。我が父ことカスパリア皇帝レオン十一世は、見せしめとして帝都の広場で首をねられ、その首はカスパリア港の灯台に長らくさらされたという。

 こうして、私の祖国は地図の上から姿を消し、私も、その政治的な価値を失った。

 ただでさえれいたんだった夫は、いよいよ私への関心をくしていった。私の身体からだが酒を欠かせなくなったのもちょうどこのころだ。日に日にせ衰えゆく身体は、もはや女としての価値すらも失っていた。

 やがて、教会に私たちのこんが受理される。そうして宮殿を追われた私は――。

〝ここ〞、つまりディレリア暦三九五年に、なぜか、いる。

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