二周目⑤ 


*****



 その後もどうにか人脈作りを試みるも、結局、はかばかしい結果は得られなかった。

 相変わらず私は社交界からつまはじきにされる始末。一体どうすれば、とあせりを持て余すうちに、季節だけが春から初夏、せいへとむなしく移ろってゆく。

 それは、八月の暑いさかりの夜だった。

 この夜、私とクラウスは王太子ギルベルトが主催するとう会に招待されていた。彼の誕生日を祝うためのもよおしで、〝ここ〞では初となる正式な舞踏会へのお招きだ。

 エデルガルトでは、王子たちにはそれぞれ宮殿が与えられる。私が暮らすのは、冬の宮殿と呼ばれるクラウスの居城。クラウスが冬生まれであることと、その美しい銀髪が冬の雪を連想させることからその名がつけられたそうだ。

 一方、ギルベルトの宮殿は夏の宮殿と呼ばれている。ギルベルトの、豊かに実った麦畑に似た美しい金髪と、しゃくねつの太陽を思わせる真っ赤な瞳に由来するらしい。


 その王太子ギルベルトが住まう夏の宮殿は、私たちがとうちゃくした頃にはすでに多くの客でにぎわっていた。馬車回しロータリーは招待客が乗りつけた馬車でだいじゅうたい。ポーチやエントランスは挨拶を交わす貴族たちで混み合い、さらにその奥の大広間に至っては、身動きが取れないほど人、人、人であふれかえっている。

 何という人望。事実、後のカスパリアせんえきでは、多くの諸侯が彼のために力をしまず働いたという。戦後、この王太子は名実ともにえいゆうとなり、その名声は、冬の宮殿に閉じこもる私の耳にすら届いたものだ。

 ぎちり。

 あの地獄のような日々がふとのうをよぎり、胸をきしませる。


「どうした」

「……いえ、何でもございません」


 隣を歩くクラウスに辛うじて笑みを返すと、改めて、よいの戦場に目を戻す。

 美しいしっくいそうしょくいろの大理石を惜しげもなく敷いた床。ほしくずを束ねたシャンデリア……何度見ても、このけんらんさには溜息が出る。次期国王の住まいということで、やはり第三王子に対するものとはされる財のけたが違うのだろう。

 その大広間は、早くもしんしゅくじょのファッションの博覧会と化していた。

 流行のデザインや素材を取り入れたドレスを、ここぞとばかりに見せつける女性たち。その姿は、パートナーの地位と財力とを示すカタログでもある。力のある家の女性は、最新の流行をまとい、すでにしゃようにさしかかった家の女性はだいおくれのドレスやアクセサリーでどうにか体裁を整える。唯一の共通点といえば、双方とも相手を見下す目をしていること。前者の女性は後者をびんぼうにんと嗤い、後者の女性は前者を下品な成り上がりとさげすむのだ。

 そんな中、私もまた女性たちの品評に晒されていた。

 ただ、三年前の私ならともかく、今の私は、こうした場での身の処し方を多少は心得ている。今夜のドレスは、やや時代遅れの、それでいて手入れの行き届いたクラシックなエデルガルト産のドレス。本来はここに、カスパリア特産のはなやかなレースも取り入れたかったのだけど、今回はあえて、ドレスもアクセサリーもエデルガルト産のアイテムで固めている。

 カスパリアのレースや宝飾品は、自慢ではないがきんりん諸国の女性たちのあこがれでもある。そのカスパリアから来た女が、これ見よがしに自国産のドレスやジュエリーで身を飾るのは、この国の女性たちにしてみれば宣戦布告も同義だろう。

 事実、前回はそうして失敗した。自国の商品をアピールするつもりで身に着けて回った結果、得られたのはきゃくではなく、エデルガルト人、とりわけ女性たちの反感ばかりだった。

 今回は……とりあえず、敵を作ることはけられたようだ。


「あら、今夜はカスパリアのドレスはおしになっていらっしゃらないのね」


 さっそく、いつも慈善活動で顔を合わせるゴドフリー伯爵夫人が、私のドレスに食いついてくる。


「え、ええ……今宵は、クラウス殿下のお母さまがお召しだったものを、この舞踏会のために仕立て直しました」

「ああ、どうりで見覚えがあると思いましたの。……ふふっ、身に着ける人間次第で、こうも印象が変わるものですのね」


 そして、あからさまなちょうしょうを向ける伯爵夫人に、私は「ええ」と精一杯の作り笑いを返す。

 冬の宮殿には、クラウスの母エリザ妃の巨大なしょうぞう画が飾られている。ほそおもてに高いりょうするどもく、雪色のしろはだにくっきりとした目鼻立ち――まさにはん的なエデルガルト美人だった彼女のおもかげは、その息子クラウスに、ほぼかんぺきなかたちで受け継がれている。

 そんな彼女の美貌に張り合うつもりは、元より私にはない。

 そもそも、カスパリア人とエデルガルト人とでは美の基準がまるで違う。カスパリア人は、ほどよく日に焼けた肌やかみを良しとする。小麦色の肌に、日の光をたっぷりと吸ったしゃくどう色の髪。目鼻立ちも、エデルガルトでは切れ長の眉目こそ美人のあかしとされるが、祖国カスパリアでは目は大きければ大きいほどいとされた。その基準で言えば、一応そこそこの美人わくに入る私だけど、こちらの人間に言わせれば、浅黒い肌に丸い目玉がぐりぐりと動く気色悪い顔、ということになる。

 そんな気色の悪い見た目の女が、かつてエデルガルト社交界の華とも呼ばれたエリザ妃に張り合うかのように同じドレスを纏っている。彼女たちにしてみればとんだわらぐさだろう。が、それでいい。まずはきょうじゅんの姿勢を示すこと。この国のコードに従う意思を見せること。それが、今夜の私の目的なのだから。それに……。

 この程度のくつじょく、祖国を亡ぼされたくやしさに比べるなら。


「うふふ、今宵は殿下との初の舞踏会でございますので、たけに合わないびをいたしました」


 すると夫人は、どこか白けた顔で鼻を鳴らし、フロアの方へと去ってゆく。

 夫人を見送ると、私はほっと溜息をつく。今と同じやりとりを、今夜だけで何度繰り返すことになるのかと思うと、早くも気分がふさいでしまう。


「私は、似合っていると思う」

「……は?」


 振り返ると、クラウスがじっと私を見下ろしている。……似合っている? いや、今の流れでどうしてそんな。嫌味ならひどすぎるし、冗談としてもあまりにセンスがない。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、クラウスは困ったように眉根を寄せる。


「ひょっとして……また私は、何か気にさわることを?」

「……いえ」


 もはや何も答える気になれない私は、それきり黙って広間に目を戻す。

 この数カ月の付き合いで(といっても、たまに廊下ですれ違うだけの薄いものだったけど)、一つだけ解けた誤解がある。この人のしょうは、私が思い込んでいたほどにはくさっていない。

 ただ、会話の方は相変わらずみ合わない。話題もテンポもズレていて、せっかく言葉を交わしても、形の違う二つの歯車がお互いをけずり合っているような痛々しさがある。そうでなくとも、陰気な目でにらまれながらの会話はお世辞にもかいとは言えなかった。

 せめて話題だけでも合わせられたら良いのだけど、あの人についてわかることなんて、公務に対しては熱心なことと、昼間に愛人(?)と会っていることぐらい。

 そんな噛み合わなさを、この人もこの人なりに感じ取っているのだろう。ここ最近、クラウスの態度には私への遠慮―― というより、敬遠が目につく。ただでさえ少なかった会

話はさらに減った。無益とわかっているなら、そもそも会話なんてしなければいい。そんな後ろ向きの割り切りすら感じられる。

 あの人――前回の歴史でのクラウスも、こんな日々の延長線上にいたのかしら。

 広間のさいおうでは、今宵のホストである王太子ギルベルトが、妃のテレージアとともに来客たちに挨拶を続けている。

 力強く波打つ金髪。真っ赤な血色の瞳。クラウスのような冷たい美貌とはまた違う、どうもうで、それでいてりょぶかさも感じさせるせいかんようぼう

 王太子ギルベルト。私の祖国を亡ぼした男。


「どうした、ミラ」

「いえ……参りましょう」


 意を決し、足を踏み出す。ギルベルトは、遠目にもすぐに私たちの姿に気づくと、周囲の客に道を空けるよううながし、こちらに手招きした。


「今宵は、お招き頂きありがとうございます」


 ようやくギルベルトの前に進み出たところで、私はうやうやしくこしを折る。……そうだ、まだ起きてもいない出来事でこの男にうらみをぶつけたところで無益なだけ。

 代わりに、今は全力で取り入る。それが私の闘いだ。


「ミラ妃か。どうだ、こちらでの新しい生活は」

「はい。みなさまの温かなお気遣いにより、快適に過ごさせて頂いております」


 皮肉の色を込めたくなるのを辛うじて堪え、努めてにこやかに答える。するとギルベルトは、満足顔で大きく頷く。どうやら本心はうまく隠し通せたようだ。


「それはちょうじょう。我がエデルガルトとしても、そなたの母国とは今後も良好な関係を続けていきたい。両国のはしわたしとして、どうか存分に励んでほしい」

「お言葉、痛み入ります」


 何が良好な関係だ―― そう、喉元までこみあげるさけびをどうにか堪える。そうだ、ここ

では何も起きていない。まだ何も。

 止められるのだ。〝ここ〞でなら……。


「クラウス。ミラ妃の覚悟が実を結ぶかどうかは、これからのお前の働きにもかかっている。お前も、どうか心してほしい」

「はい」


 その後、私とクラウスはそろってギルベルトのもとを後にする。フロアには、なおもがくたちの陽気な音楽がひびき、しんしゅくじょかろやかにステップを踏んでいる。


「殿下、ダンスはいかがなさいます?」


 するとクラウスは、物音に驚いたねこのようにびくりと振り返る。その目は明らかにおびえていて……って、どういう反応かしら、これ?


「い、いや……私は結構だ。君は、好きにおどってくるといい」


 そしてクラウスは、いつもの学者仲間のもとへ足早に歩いてゆく。……えっ、たった今ギルベルトにくぎされたばかりじゃない。両国の関係は、あなたの働きにもかかっている、って……いや、平和も外交も、あの人には全てごと。そんな彼に、王子としての役割を期待するほうが間違っている。

 それに、あの人のああいう態度は今に始まったものじゃない。

 三年前のしんこん当初からそうだった。舞踏会では妻の私とさえダンスを避け、はやばやと広間を離れて学者仲間の輪に加わる。せめてファーストダンスぐらいはと思うのに、そんな私の願いに、あの人が応じてくれたことは一度もなかった。

 背後でひそひそと声がする。物見高いご婦人たちが、私の姿にほのぐらい笑みを交わし合っている。こうした場でパートナーにファーストダンスを拒まれるというのは、つまり、こういうことなのだ。

 結局、これまでの社交界でのきは全てだった、ということ……。


「貴様がクラウスのよめか」


 にへばりつく声に、覚えず私は身構える。

 見ると、いつしかかたわらに見覚えのある男が立っている。しっこくの髪。たんせいな顔を台無しにするいやしい薄ら笑み――と、ここだけは彼の兄と同じ血色の真っ赤な瞳。

 エデルガルト王国第二王子、ロルフだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る