第二章

2-1


 翌朝、ルシアはマーガレットの夫であるフィンダルこうしゃくと挨拶をする。

 フィンダル侯爵はとても優しい人で、婚約者を亡くしたばかりのルシアをいたわり、はげましてくれた。

 それからルシアは王宮に一度帰る。湖の間の片付けが終わったかどうかを確認しておきたかったのだ。


「申し訳ございません。元の調度品はいくつかまだ使用できない状態でして……代わりのものを入れております」

「それで充分よ。ありがとう」


 じゅうちょうと女官長がルシアのところへ頭を下げにくる。

 この二人がどれだけしっかりしていても、それよりもっと上の人間の命令によって行われたことであれば、防ぎ切るのは難しいだろう。


「ああ、そうだわ。友人のフィンダル侯爵夫人がドレスを貸してくれることになったの。友人のドレスを切り刻むきょうものを絶対に許さないと言ってくれて嬉しかったわ」

 ルシアの言葉の意味を、女官長は正確に理解した。

 これから運ばれてくるドレスは、ルシアの物ではない。切り刻めば、フィンダル侯爵夫人をおこらせることになるだろう。

 この話を王宮内に広めるのは、女官長の大事な仕事である。


「これから仕立て屋に行くわ。へいには『アルジェント王国の王妃殿下からゆずられた思い出のドレスも刻まれて、随分と悲しんでいた』と伝えておいて」


 大事な思い出のドレスは全て義妹に譲ってきたけれど、多少のうそは必要だ。

 国王エドワードには今回の一件をしっかり知ってもらい、『しまった』と思ってもらわないといけない。


(お父さまには私を大事にする気があまりないでしょうけれど、アルジェント王国は大事にすべき相手だもの。使えるものは使わないと)


 エドワードが「アルジェント王室に失礼なことをした者がいる」と口にしたら、犯人たちもやりすぎたと思うだろう。ルシアにはなにをしてもいいと思われたら流石さすがに困る。


「ルシア王女殿下、このような失態は二度と起こさないよう気をつけます」


 侍従長は、王宮内の管理が行き届いていなかったことを改めてルシアに謝罪した。

 ルシアは、侍従長に気にしなくていいと微笑む。


「貴方たちはよくやってくれているわ。湖の国になっていた部屋を、一晩で地上に戻してくれた。大変だったでしょう」


 ルシアが侍従長と女官長をねぎらえば、二人の緊張がわかりやすく解けていった。


「あとは頼むわね」


 ルシアは部屋の外に出る。

 ろうでルシアを待っていたフェリックスは、ルシアへ手を優雅に差し伸べた。

 ルシアはその手を取り、王宮内を堂々と歩く。


「……え? あれって」

「フェリックスさまと長女のルシア王女殿下……よね?」


 遠くで仕事をしていた女官たちは、ルシアとフェリックスを見送ったあと、人がいないところで先ほど見た光景についてこそこそと話した。


「なんだかかなり親しげじゃない?」


 未来のおうはいであるフェリックスのことを知らない者はいない。

 皆も次の王宮のあるじの一人というつもりで接しているし、フェリックスはどの王女を選ぶ

のだろうかというごともこっそり行われている。


「でも、フェリックスさまは王女殿下にそういう接し方をしない人のはずだけれど」


 フェリックスがどの王女にも平等に、そして一線を引いて接しているのは有名な話だ。

 次期王位けいしょうしゃを決めるのは国王であって自分ではないと示しているのか、それとも王女全員に好意を持てないのかはわからないけれど、王女の個人的な外出に付き合うことは今までなかった。

 彼が王女の付き添いをするのは、いつだって公務のときのみである。


「国王陛下から『世話を頼む』と言われたんじゃないの?」

「でも、それってつまり……長女のルシア王女殿下が次の……ってことになるけれど」


 女官たちは思わず黙り込んでしまう。

 そこに、ひょいと顔を出した者がいた。


「ねぇ、フェリックスって名前が聞こえたわ。もしかしてフェリックスがきているの?」


 女官たちはひそひそ話に夢中になりすぎて、フェリックス大好きの第四王女エヴァンジェリンの接近を許してしまった。

 どうする? 正直に言うべき? とあわてて眼と眼で会話をする。


「……フェリックス公子さまは、先ほどまで王宮内にいらっしゃいました。今はもう馬車に乗って出発するところだと思われます」


 女官の一人が『噓ではないけれど、全てを明かさない』という形で、王宮内にフェリックスがきていたことをエヴァンジェリンに教えた。

 すると、エヴァンジェリンの表情がぱっと変わる。


「急げばまだ間に合うかもしれないわ!」


 乙女おとめにとっての理想の貴公子、それがフェリックス公子だ。

 第二王女オリヴィアと第三王女イザベラはフェリックスをトロフィーだと思っているけれど、エヴァンジェリンにとってはあこがれの王子さまである。

 ――挨拶だけでも!

 エヴァンジェリンは窓から外を眺めた。

 王宮の正面扉のところにいる馬車とフェリックスがなんとか見え、嬉しくなる。


「……んん?」


 エヴァンジェリンはフェリックスに手を振ってその名を呼ぶつもりだったけれど、フェリックスのそばに金髪の女がいたので、上げようとしていた手を止めた。


「あれは……」


 フェリックスは金髪の女に手を差し出し、馬車の中へエスコートしている。

 エヴァンジェリンは、金髪の女の横顔に見覚えがあった。


「ルシアお姉さま……!?」


 あれは昨夜見たばかりの顔だ。

 れいつやのあるさらさらの金髪に、白鳥のようにすらりとした細い首、菫色のアーモンド形の瞳。

 エヴァンジェリンは思わず窓から身を乗り出してしまう。


「どうして……!?」


 フェリックスは、個人的なお出かけに絶対ついてきてくれない。

 さそっても『王女殿下に不名誉なうわさを立てるわけにはいきません。王命ならば従えますので、国王陛下にお願いしてみてください』と申し訳なさそうに断ってくるのだ。


ひどい! みんな我慢しているのに……!」


 エヴァンジェリンは、抜けけしたルシアを絶対に許さないことにした。 ルシアはフェリックスと城下町に出かけた。

 城下町に関する記憶はほとんどないので、なにからなにまでめずらしく、見ているだけでも

楽しい。

 ルシアはまず、フェリックスが貸し切ってくれた仕立て屋に入る。テイラーと相談しながらドレスのデザインや布を選び、小物もそれに合わせてもらった。


「ルシア王女殿下はなんでも似合いますね」


 感心したように言うフェリックスに、ルシアは笑った。


「この顔にしてくださったお母さまに感謝しないといけないわね。でも、そろそろ可愛らしすぎるものは似合わないわよ。幼い頃に好きなだけ着たからいいけれど」


 部屋のすみに置いてあったフリルとリボンたっぷりのピンク色のドレスを見て、ルシアは肩をすくめる。


「あ~……あれは、そうですね。エヴァンジェリン王女殿下が頼んだドレスでしょうね」

「エヴァンジェリンが? ……そう。可愛らしいものが好きなのね」


 第四王女のエヴァンジェリンには落ち着いた赤色や緑色が似合うけれど、似合うものを好んでいるとは限らないだろう。


「……ねぇ、フェリックス。アンナベルの好みは知っている? お土産を買って帰ろうと思っているの」


 ルシアは、昨晩のばんさんかいに出てこなかったまつまいのことが気になっていた。

 今まで妹たちに姉らしいことはほとんどできていなかったので、ルシアと交流する気のある妹がいるのなら、これからはできるだけ仲良くしたいと思っていたのだ。


(でも、アンナベルはベアトリス第二王妃殿下の娘で、第三王女イザベラのどうまい。私のことが嫌いかもしれないから、強く押しすぎるのはね)


 とりあえず、アンナベルが喜びそうなおくものをして様子を見てみることにする。


「俺はアンナベル王女殿下のしゅを知りません。部屋からなかなか出てこないので、喋る機会がほとんどないんです」

「そう……。だとしたら、とハンカチぐらいがいいかもしれないわね」


 ルシアはこの仕立て屋で、白色のレースがついているハンカチを包んでもらった。

 名前をしゅうしてからわたそうかと思ったけれど、流石にそこまでするのはやりすぎかもしれない。


「では、次はカフェにでも行きましょうか。焼き菓子を包んでもらっている間に、そこで少し休みましょう」


 フェリックスの提案に、ルシアは同意する。仕立て屋で一通りのドレスを頼むというのは、頭をかなり使うのだ。

 フェリックスにエスコートしてもらいながら店の外へ出たとき、店員がさっとフェリックスに白いぼうを渡した。


「ルシア王女殿下、俺からのプレゼントです。どうぞ」


 今日のルシアは、マーガレットから借りた白いえりのついたさわやかな青色のドレスを着ていて、白と青のしまようのリボンを胸につけている。

 フェリックスが渡してくれた青色のはばひろのリボンをつけた白の帽子は、今日の服装によく似合っていた。


「ありがとう。とても素敵だわ」


 早速フェリックスからの贈り物を身につけたルシアは、カフェでフェリックスとお茶を楽しんだあと、気分よく王宮に戻る。

 ルシアはまず、土産みやげを持ってアンナベルの部屋を訪ねてみた。

 侍女がアンナベルに声をかけに行ってくれたけれど、しばらくすると申し訳なさそうに出てくる。


「姫さまは具合が悪いようです」


 ルシアはその話を信じることにした。持っていた箱をアンナベルの侍女に渡し、優しく微笑みかける。


「アンナベルにお土産を買ってきたの。お菓子が食べられないようだったら、貴女たちで分けてちょうだい。アンナベルにはまた買ってくるから」

「ありがとうございます……!」


 アンナベルの侍女は、もう自分が食べる気でいるようだ。

 ルシアはその表情を見て、おそらく自分はアンナベルにとって歓迎できない姉であることを察した。


(仲良くしようと努力すべきか。互いのために距離を置くべきか。……難しいわね)


 家族でもわかり合えないときがある。

 逆に、家族でなくてもわかり合えるときがある。

 その両方を知っているルシアは、もう少しアンナベルの様子を見ることにした。


(さて……と、私の湖の間はどうなっているかしら)


 心配しながら湖の間に戻ったら、元の姿をすっかり取り戻しているどころか、新しい小物があちこちに増えていた。前より居心地がよくなったようだ。

 ルシアは美しい部屋にほっとする。歴史あるこの部屋が元に戻らなかったら、申し訳ないどころではなかったのだ。


「お帰りなさいませ、ルシア王女殿下。国王陛下からの伝言を預かっております」


 ルシアが部屋に戻ってくるなり、侍従が訪ねてきた。入っていいと許可を出して応接室のソファに座ったら、国王エドワードからの手紙が差し出される。

 女官がすぐにペーパーナイフを持ってきてくれたので、その場でふうを開けた。

 ――明日の大会議へ出席するように。

 書かれていた内容はとても簡単なものだったけれど、意図は読めない。


「……王女は大会議に出席するという決まりでもあるの?」


 ルシアが返事を待っている侍従に尋ねれば、侍従はうやうやしく頷く。


「はい。オリヴィア王女殿下とイザベラ王女殿下は、一年前から大会議への出席を許可されております」


 大会議とは、しゃくを持った者たちが国の方針を話し合って決定するという会議のことである。

 オリヴィアもイザベラも次の王位を狙っているので、早いうちから大会議に出席して存在感を主張したいのだろう。けれども、ルシアは違う。次の王位を狙っていない。

 エドワードはきっと、第二王女オリヴィアと第三王女イザベラのどちらを女王にするかで迷っているのだ。だから二人の王女を大会議に出席させたのは、能力の評価ではなくて、適切な年齢になったからだと主張したいのだろう。ルシアはそれに巻き込まれただけだ。

 正直なところ、ルシアは大会議へ出席したいかと問われたら、あまりしたくない。けれども、エドワードとめたいわけでもない。


「……明日から出席しますと陛下にお伝えして」

「承知致しました」


 侍従が出ていったあと、ルシアはため息をついた。


「私が明日の大会議に出席したら、王位を狙っているように見えるでしょうね」


 これからもっと身辺に気を付けるべきだろう。

『念のために』という理由で殺されたくなかった。

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