1-3


 ルシアはゆっくりしていられない午後を過ごしたあと、晩餐会用のドレスを選んだ。

 今夜の主役ではあるけれど、婚約者を失ったばかりというじょうきょうを考えると、気合を入れてかざることを躊躇ってしまう。


(夜空のような紺色のドレスに、彼を悼む星々があるものにしましょう)


 かいがらのビーズをちりばめたこのドレスは、せいでありながらもはなやかに見せることができる。スカートはうすぎぬと黒色のレースを何枚も重ねているため、動く度に色合いが変化した。装飾品は銀としんじゅで統一しつつ、大きめのものを選ぶ。

(地味になりすぎたら妹たちの方が派手になって、恥をかかせてしまうかもしれない。ほどよいところを狙ってみたけれど……)


 ルシアは食前酒を飲みながら、妹たちのドレスをちらりと見る。

 ――今から舞踏会に行くのかというほど華やかだ。姉の引き立て役になるつもりはないとドレスで主張しているらしい。


(私のドレスのことは、妹たちへさり気なく伝わっているはずなのに……)


 女官長たちが伝え忘れたのか、それとも妹たちがあえて無視したのか。

 どちらだろうかと思っていたのだけれど、ルシアをにらんだり、にやにやしたりする妹たちの顔を見れば、答えはなんとなくわかってしまう。


「今夜はルシアを歓迎する晩餐会だ。ルシア、アルジェント王国の話を妹たちに聞かせてやりなさい」

「はい」


 ルシアは穏やかに微笑み、妹たちの顔を見ていく。

 第二王女オリヴィアは、ゆいいつおくにしっかり残っている。彼女はルシアと同い年の十七歳で、華やかなオレンジブラウンの巻き毛と意志の強そうな緑色の瞳が印象的だった。その記憶はどうやら間違っていなかったらしく、凛々しい女性に成長している。

 第三王女イザベラは十六歳で、長いくろかみと深いむらさきいろの瞳をもつ少女だ。王立学院を主席で卒業した才女で、手紙でそのことを知ったときはとてもほこらしかった。

 第四王女エヴァンジェリンはオリヴィアのどうまいで、オリヴィアによく似たオレンジブラウンの巻き毛と気の強そうな緑色の瞳をもつ愛らしい十五歳である。


 第五王女アンナベルは晩餐会を欠席していた。イザベラの同母妹である彼女の身体は弱く、あまり表に出てこないらしい。


「……お父さま。席順がおかしくありませんか?」


 ルシアは妹たちとさっそく交流しようと思っていたけれど、その前に第二王女オリヴィアがエドワードにこうし始める。


「お父さまのみぎどなりは王妃殿下、ひだりどなりは第二王妃殿下と決まっています。そして、王妃殿下の右隣はいつも私のはずです」


 ルシアと第二王女の上下関係は、オリヴィアが生まれたときに決まった。

 亡き母に「決して高望みしてはいけません」と教えられていたルシアは、第二王女より低い席次でもいいと思っている。


(でもね……。今日の主役は私なのよ)


 身分の問題で、席次の第二位は王妃、第三位は第二王妃になるため、主役は第四位になることが決まっている。

 当たり前すぎることに抗議するオリヴィアへ、ルシアはため息をつきたくなった。


「今夜の主役はルシアだ。わかったな」

「……はい」


 オリヴィアはルシアをにらみつけてくる。会話をほとんどしたことがないはずなのに、どうやら既にうとまれていたらしい。

 ルシアが部屋に帰りたくなっていたら、ルシアの左隣の王妃フィオナはふっと笑った。


「オリヴィア、席次が変わるのは今夜だけよ。第四位はずっと貴女だったし、これからも変わらないわ。……ルシア、貴女は昔から自分の立場をよく理解できている子でした。今だってそうよねぇ」


 ルシアは王妃フィオナから、次から第二王女より席次を下にしろと言われる。


「はい。わかっております」


 席次争いをする気がないルシアは、たんたんと返事をした。ここでていこうしても意味はない。誰もルシアの味方をしてくれないので、時間のだ。


「……お父さま。私の席次は次も下がったままになるのかしら。王立学院を主席で卒業して国政にこうけんしてきた私よりも、なにもしてこなかったルシアお姉さまの席次が上というのは、おかしいのではありませんか?」


 ようやく話が落ち着いたのに、今度は第三王女のイザベラが席次問題に参加してくる。

 イザベラは、単純にルシアが気に入らないだけなのか、それとも第二王女オリヴィアにたいこうしんを抱いているのか、現時点のルシアにはわからなかった。


「陛下、イザベラはくんしょうを頂いたこともある子ですよ。次もまた席次が下がったままになるのは如何いかがなものかと」


 第二王妃ベアトリスは、イザベラはルシアよりも上だと主張してきた。

 ルシアはスープを静かに飲みながら、自分の家族問題について考える。


(私の母は『側室』だけれど、ベアトリス王妃殿下は『第二王妃』。王女の年齢を優先するか、母親の地位を優先するか、難しいところね)


 かつてエドワードは、側室の子であるルシアと王妃の子であるオリヴィアの序列を早々に決めた。

 その後、側室の子である第三女イザベラが生まれたときも、王妃の子である第四女エヴァンジェリンが生まれたときも、王妃の子を優先するという方針を変えなかった。

 しかし、王妃フィオナがエヴァンジェリンを産んだことで子どもをさずからない身体になり、側室ベアトリスが再びごもって男女のふたであるシモンとアンナベルを出産したあと、ついに序列問題のきっかけが生まれたのだ。

 念願の王子が生まれたことを喜んだエドワードは、シモンの王太子としての正統性をより強めるため、側室のベアトリスを『第二王妃ベアトリス』にした。

 このときまだフォルトナート王国にいたルシアは、父親たちが大喜びしているところを見ている。そして、それに対抗するかのように、オリヴィアがけんじゅつを習い始めたことも知っていた。

 ――しかし九年後、王室は悲しい出来事に襲われる。

 九歳になったシモンが、を悪化させて亡くなったのだ。

 アルジェント王国に留学していたルシアはこのとき一時帰国し、シモンの葬儀に参列した。


 エドワードとベアトリスの悲しみは深く、ルシアは声をかけられなかった。

 エドワードはこのとき、これ以上の悲しみを生み出してはならないと決断したようで、ついに王子を諦めたのだろう。次代は女王にすると宣言した。

 しかしそれは、王位継承権争いや序列争いという複雑な問題をつくり出すことにもなったのだ。


「……ルシア」


 エドワードにどうしたいのかを問われ、ルシアは穏やかに微笑む。


「次からは陛下に指示された場所へ座ります」

「わかった」


 ルシアはきっと次の晩餐会で、末席に座らされるだろう。


(私はこれでいい)


 母に言い聞かされた通り、高望みはしない。それは自分の身を守ることになる。

 だからそっとしておいてほしい……と思って無言で食事を進めていたのだけれど、さいなきっかけで王妃と第二王妃が口論を始めた。


「主席卒業しか誇れるものがないなんて、本当に気の毒ですわ」

「これから誇れるものがたくさんできます。ああ、勲章の一つも頂いていない騎士さまは、これからさぞかしごかつやくなさるのでしょうね」


 ルシアは王妃と第二王妃のいやおうしゅうきんちょうしてしまったけれど、皆は平然と肉を切っている。

 エドワードは、また始まったと言わんばかりにため息をつくだけだった。どうやらこれはよくあることらしい。


かいですわ。もう結構」

「わたくしもです」


 王妃二人はたがいの娘をとうし合ったあと、デザートを待たずに退出する。

 エドワードはつかれた顔で、もういいと言って立ち上がった。

 どうやら誰もが『ルシアの帰還を歓迎する晩餐会』ということを忘れてしまったようだ。

 ルシアはデザートの味ぐらいは楽しめそうだと思うことにしたけれど、父と義母がいなくなったことでまた別の争いが生まれる。


「婚約者が亡くなったのに悲しい顔もしないなんて、なんて冷たいのかしら」


 オリヴィアのこうげきに、ルシアは黙ってえることにした。

 私を迎えにくることもしなかったくせによく言うわね、という言葉は吞み込んでおく。


「生まれのいやしいルシアお姉さまに神さまが試練をくださったのでしょうね。この試練をえられるよう、心からおいのりします」


 ルシアがなにも言わないでいたら、次はイザベラが小馬鹿にしたように笑ってくる。


(……試練? アレクが亡くなったのは、王妃の子ではない私への試練だというの? そんなことでアレクが亡くなったと……!?)


 ルシアはじわりと込み上げてくる負の感情を、膝に置いた手を強く握ることで耐えた。


「亡くなられた王太子殿下が気の毒だわ。生まれの卑しいルシアお姉さまが嫁いできたせいで、気苦労が耐えなかったのかも」


 エヴァンジェリンが笑いながら、アレクサンドルの話をする。


「病弱な王太子殿下に、生まれの卑しい王女。お似合いでしたわね」


 ルシアはけていくデザートをじっと見ることで、イザベラの悪口にいら|立《だ《つ気持ちを堪えた。

 ここで妹たちに水をかけてやることもできたけれど、そんなことをしたら『亡きアレクサンドル王太子の婚約者はばんな品のない女性』になってしまう。


(私だけをじょくされるのならいい。でも、アレクまで侮辱されるのは……!)


 ルシアは、我慢しろと自分に言い聞かせる。

 なにも聞こえていない顔をしながら味のしないデザートを食べ終えたあと、食後のお茶を優雅に飲み、それから立ち上がった。


「……疲れているので先に失礼するわ。あとはここにいる皆でお話を楽しんで」


 ルシアがドアに向かえば、妹たちはくすくすと笑い出す。


(まだなにか……?)


 ルシアはけいかいしながらばんさんの間を出て、湖の間に戻った。

 女官たちが着替えを手伝おうとしてくれたけれど、ルシアは先に少し休むことにする。


「ありがとう。すっきりするお茶を持ってきてほしいわ」


 そう言いながらながに座り―― …… れたかんしょくにぞっとした。


「っ!?」


 とっさに立ち上がろうとして長椅子に手をついたら、その手も湿しめった感触に包まれる。

 一体なにが……と長椅子をよく触って確かめたあと、ため息をつくしかなかった。

 そして、りんを鳴らして女官を呼ぶ。


「長椅子が濡れているわ。においもしないし色もないから水だとは思うけれど、念のために

手を洗いたいから水を持ってきて。それからこの長椅子を片付けてちょうだい」

「えっ!?」

 

 女官たちはルシアが座っていた長椅子を触り、驚く。


「申し訳ありません! すぐにお取り替えします……!」


 ルシアは着替える前に座っておいてよかったと思う。いや、全くよくないけれど、不幸中の幸いではあるだろう。二度も着替えることにはならなかった。


「きっと妹たちの仕業ね……」


 ルシアの頭が痛む。妹たちのあのにやにやした顔は、帰ってからのお楽しみがあると言いたかったのだろう。


「……もしかして」


 ルシアは、晩餐会に出席した妹は三人いる……と他の部屋も調べてみる。

 すると、応接室のじゅうたんみずびたしになっていて、寝室のベッドもぐっしょり濡れていた。


「なんてことなの……。しょうまで……」


 衣装部屋の中も酷かった。ドレスやネグリジェが全てかれていたのだ。

 ルシアは、いかりを通り越すと感情が全くいてこないことを知る。


「王女殿下! 申し訳ございません!」


 女官がじゅうたちを連れて戻ってきた。濡れた長椅子はすぐに取り替えられるだろう。


(でも、応接室に寝室……それに衣装部屋)


 全てを急いで片付けてもらうよりも、客間の準備を頼んだ方がいいかもしれない。


「……疲れたわ」


 座りたくなったルシアは、無事な椅子を探して寝室に入る。

 しかし、無事なものはなかったので、鏡台へ手をつくだけになった。

 鏡を割られなくてよかったと思ったとき、鏡に映る疲れ切った自分にどきっとする。


『貴女って本当に可哀想』


 ルシアは鏡の中の自分の言葉に、その通りだとうなずく。

 久しぶりに家族の元へ帰ってきたのに誰も歓迎してくれなかったどころか、晩餐会で序列に文句をつけられ、長女なのに次からは末席に座ることが決まった。

 更には元婚約者のことを馬鹿にされ、部屋に信じられない嫌がらせをされてしまった。


(……私は可哀想だわ)


 なんだか泣きたくなってくる。

 どうして自分だけこんな目にわなくてはならないのだろうか。

 女王になるつもりはないと主張しているのだから、敵意を持たないでほしい。優しくしなくてもいいから、せめてそっとしておいてほしい。


(好かれる努力をするつもりだったのに、こんなことが続くのなら……)


 ルシアの心にやみが広がる。

 自分だけいい子でいる意味があるのだろうかと、気持ちがよくない方向にかたむきかけたと

き、明るい声が飛び込んできた。

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