1-2
「……馬車を変えましょうか?」
馬車の中から景色をぼんやり見ていたルシアは、フェリックスの声で幸せな思い出の世界から戻ってくる。
「私は貴方がいてもいなくても構わないわよ」
「護衛のつもりで馬車の中まで押しかけたんですが、ルシア王女殿下のお気持ちに
ルシアはフェリックスの言葉の意味がわからず、首を
短くなった金色の髪がさらりと揺れる。
「この
ルシアは眼を
「……ありがとう。そこまで
黒いヴェールを被って黒いドレスを着ているルシアは、フェリックスからは気の毒な
しかし、悲しくて涙が止まらないという状態は
「では、ルシア王女殿下が楽しくなるような話でもしましょうか?」
「……そうね。お願いしようかしら」
ルシアは先ほどまでの己の行動を反省する。悲しみに暮れるのは一人のときでいい。ルシアを心配してくれるフェリックスがいるのだから、フェリックスをもっと気遣って、気まずくならないようにすべきだった。
「留学中、妹姫さまたちとは
「いいえ。でも、
ルシアは家族に手紙を書いていたけれど、その返信をしていたのは父でも妹でもなくて
彼はフォルトナート王国の出来事や家族の話を教えてもいい
「なら、最近あった
「……その喧嘩に妹が関係していたの?」
フェリックスの楽しくなるような話というのは、くだらない下世話な内容なのだろうかとルシアは少し警戒する。
「まぁまぁ、最後まで聞いてみてください。喧嘩をしていた二人のドレスの色がどちらも黄色だったんです。そしてデザインもよく似ていた。
「よくある話ね」
社交界において、誰かと似すぎたドレスをうっかり着てしまった場合、身分の低い方が
ルシアはこのマナーをくだらないと思いつつも、他の淑女へ
「一方は第二王女のオリヴィア王女殿下と仲のいい女性で、もう一方は第三王女のイザベラ王女殿下と仲のいい女性でした。王女殿下たちは楽しそうに高みの見物をしていたんですが、俺が不快であることを示した
「貴方は本当に不快だったの?」
ルシアの
「最終的に俺の取り合いになることをわかっていたから不快になったんですよ。これがただの喧嘩だったら、俺は口笛を鳴らすし、手を
妹のことが嫌いだと姉であるルシアにはっきり言うだけあって、フェリックスは『ただの善人』ではないようだ。
気まずいままにしておいた方がよかったかもしれない、とルシアは思ってしまう。
「王女殿下たちは『はしたないですよ』と言いながら、淑女の肩をこう叩いたんです。ぽんとね」
フェリックスは右手を軽く動かしたあと、くるりとひっくり返す。
「どこの誰の
「……どこの誰の悪戯なの?」
「それはわかりません。王女さまたちは手袋の花粉に慌てました。そのせいでドレスにも花粉がつき、着替えるために退出したわけです。第四王女のエヴァンジェリン王女殿下も、オリヴィア王女殿下をお
ルシアは、これはどちらかといえば気の毒な話ではないだろうか……と思ってしまった。
「その日の舞踏会は、実に平和でした。久しぶりに空気がぎすぎすしておらず、皆がダンスとお
フェリックスに同意を求められ、ルシアは困ってしまう。
妹のことをよく知らないので、楽しい話には思えなかった。
「……
「ええ、それはもう。王位継承権争いをしている王女殿下たちの顔色
ルシアは、王宮へ帰るのが
そこまで険悪な仲になっている妹たちの中に、『長女』が
にらまれるのならせめて片方だけにしたい……と思った貴族たちの気持ちがよくわかる。
「今はまだ楽しい話ではないでしょうけれど、あと少し
フェリックスの話は、そこからは
ルシアは母国であるフォルトナート王国について
「……貴方って」
ルシアはフェリックスの顔をじっと見つめる。
「基本的に優しい人なのね」
妹たちが嫌いなのに、わざわざ姉のルシアに会いにきてくれた。
婚約者を亡くしたばかりのルシアを気遣ってくれた。
今後のルシアのためになる社交界の話を聞かせ、「注意しろ」と促してくれた。
ルシアの気持ちは、フェリックスのおかげで少し軽くなっている。
「いいえ。俺は優しい人ではなくて、お喋りな人なんです」
「ええ、お喋りでもあるわ」
「ですが、妹姫さまたちと
フェリックスの妹たちにうんざりしている理由が、少し見えてくる。
妹たちにはきっと、フェリックスが勝利の
「……大変ね」
ルシアはフェリックスのことを立派だと感心した。
「ははは。ルシア王女殿下にここまで
「そう? 未来の王配という重たいものを背負いながらも、将来のことを考えて我慢している貴方の器は大きいと思うわ」
国王エドワードが、『誰が女王になっても王配はフェリックス・アシュフォードにする』と決めただけはある。
フェリックスがいてくれるのなら、フォルトナート王国の未来は良いものになるだろう。
「王宮に着いても、また時々は私の話し相手になってほしいわ」
「それは光栄です。くだらない話から楽しい話まで、俺の話を色々聞いてください」
フォルトナート王国はルシアの母国だけれど、幼いときに離れたため、ルシアにとっては知らない国のように思えた。そのため、帰国が決まってから様々な不安を
(あとは……私の今後と、妹のことね)
毎年ルシアは、妹たちの誕生日に合わせてプレゼントと手紙を
も返事がなかったのは、なにかの事情があるからだろうと言い聞かせていた。
妹たちに用意したお
第一王女を乗せた馬車が、フォルトナート王国の王都を通っていく。
ルシアにとって
「どうぞ」
「ありがとう」
王宮に着いたら、フェリックスがルシアをエスコートしてくれる。
記憶が
「国王陛下に取り次ぎを。ルシア王女殿下が帰還の挨拶に参りました」
フェリックスが執務室の前に立っていた衛兵に取り次ぎを
る。エドワードの予定にルシアの帰還と挨拶は入っていたようで、あとにしろと言われることはなかった。
ルシアは記憶に残っていない国王の執務室に入り、
「国王陛下、アレクサンドル王太子殿下の葬儀を終えてただいま帰還しました。陛下のお元気なご様子を拝見し、大変嬉しく思います。これからは陛下のご教示を
ルシアとエドワードは、ほとんど顔を合わせてこなかった親子である。
このルシアの立派な挨拶は、遠回しに父親を非難する意味も
―― 父親らしいことをしてくれるという期待はしていません。ご安心ください。
エドワードは、そんなルシアに対してほんの少しだけ申し訳ないという顔をする。
「よくぞ無事に戻ってきた。第一王女の帰還を心より
エドワードの言葉には、様々な意味が隠れていた。
婚約者を失って帰還したルシアを、改めて第一王女として認め、他の王女たちと同列に
留学で得たものを我が国に活かせというのは、国政に関わることを許したということ。
ルシアの立場は、これではっきりした。
(
ルシアは少々驚きながらも、「ありがたい御言葉でございます」と返す。
「まずは
エドワードは侍従長をちらりと見る。
侍従長は一歩前に出て、ルシアに恭しく頭を下げた。
「ルシア王女殿下、侍従長のロバート・ウィアと申します。湖の
「貴方が……。案内を頼むわね」
ルシアは国王の執務室を出たあと、フェリックスに向き合う。
「ずっと
「こちらこそ、ルシア王女殿下のエスコートができて光栄でした。それではまた、近々会いましょう。約束ですよ」
フェリックスは念を押したあと、ルシアを見送ってくれた。
それからルシアは、湖の間を案内してもらう。
(応接室、執務室、
調度品はしっかり
どうやら女官たちは、出戻りのルシアを歓迎してくれているらしい。
「この部屋の
「……美しいわ」
この国の伝説に登場する湖の女王は、湖の中にある国を治めている。女王は清らかな
「それでは失礼します。すぐに女官長とルシア王女殿下付きの女官が参りますので、なにかありましたら遠慮なくお申し付けください」
「ありがとう」
深々と頭を下げたロバートに、ルシアは微笑む。
「ロバート、いつも手紙に家族のことを書いてくれて嬉しかったわ。手紙を通じて友人のような気持ちになっていたけれど、こうやって言葉を
ルシアの言葉に、ロバートは瞬きを二度する。
「差し出がましいことをしたと思っておりましたが、喜んで頂けたようで安心しました。私もルシア王女殿下と古くからのお付き合いがあるように感じております」
ロバートは
ルシアは細く美しい手をすっと差し出す。
「友人が王宮にいて心強いわ。これからもよろしく頼むわね」
ロバートは、友と呼びかけてくるルシアに驚いた。
身分や
「
ロバートはルシアの手を握り、頭を下げた。そして、気になっていたことを質問する。
「……ルシア王女殿下。一つ尋ねたいことがございます。フェリックス公子さまとは以前から親交があったのですか?」
ルシアは少し前のフェリックスとのやりとりを思い出す。たしかに「近々会いましょう」はかなり親しい挨拶に感じるかもしれない。
「フェリックスと私は、
王女たちの友人関係を
ルシアは彼らの仕事の
「そのようなことがございましたか。……フェリックス公子さまはこの国にお詳しい方ですので、ルシア王女殿下の良き友人になると思います」
ロバートの声はわずかに
王女と未来の
「それでは晩餐会までごゆっくりお休みください」
ロバートが退出したあと、ルシアはソファに座った。
ゆっくりと言われても、このあとは女官長や女官との挨拶、荷物の確認、晩餐会で着るドレスや
(それに、もしかすると妹たちが挨拶にくるかもしれない)
ルシアにとって、あまり思い出のない相手である。
それなのに、妹の中にはルシアを快く思わないどころか、命を
(アルジェント王室の
彼女たちはルシアを「お
ルシアの〝幸せ〞はたしかにアルジェント王室の中にあったのに、どうして自分はここにいるのだろうか。
物憂げに眼を伏せたルシアは、静かに息を
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