第一章

1-1


 フォルトナート王国の第一王女ルシアは、アルジェント王国のおうたいアレクサンドルのそうが終わったあと、母国へ向かう馬車に乗った。

 黒いヴェールに黒いドレスを身につけているルシアを見て、アルジェント王国のおうローラはそこまでしなくてもいいと言ってくれたけれど、ルシアは首を横にる。

 国に帰れば、アルジェント王国へ墓参りに行くことは難しくなるだろう。場合によっては、こんやくしていた事実もなかったことにされるはずだ。

 ―― せめてこのぐらいのことはしたい。

 ルシアは、今だけでもアレクサンドルをせいいっぱいいたみたかった。


(これから私はどうなるのかしら。いっそ自分から修道院に入りたいと言って、アレクに祈り続けた方がいいのかもしれない)


 この身に待つのは、第一王女という価値だけを求めている者との結婚のような気がする。


(アルジェント王国では、よき王妃になることだけを目指していればよかったのに……)


 ルシアがあの幸せだった日々に戻れないことを改めて実感したとき、馬車が大きくれた。思わずに手をつけば、馬のいやがるようないななきが聞こえる。

「なにがあったの!?」


 ルシアが馬車の外に声をかければ、護衛の兵士がきんぱくした声を出した。


しゅうげきです! 外に出てはなりません!」


 ――囲め! 馬車を守れ!

 ――陽動に気を付けろ! 二人一組になれ!


 外から聞こえてくる声に、ルシアはを見開いた。

 今、自分は金のかかっている馬車に乗っている。訓練された護衛もいる。

 とうぞくはこの馬車に手出しするの躊躇ためらうだろう。勝てる相手ではないからだ。


(もしかして……?)


 ルシアをおそったのは、勝てる相手かどうかを見定めることができないおろかな盗賊ではなく、それでも襲わなければならない人物なのかもしれない。

 ―― フォルトナート王国では、王女たちによる王位けいしょうけん争いが激しくなっている。

 フォルトナート王国のじゅうちょうからの手紙には、そのことをにおわす話が時々書かれていた。

 異国にとつぐ予定だった第一王女が国に帰ってきたら、王位継承権争いがさらに激しくなると誰でも思うだろう。妹のうちのだれかが、早いうちにルシアをはいじょしようとしているのかもしれない。


(万が一のときは……)


 ルシアは護身用のたんけんく。いざとなったら、いのちいをせずにのどつらぬいてやろう。アレクサンドルの横にまいそうしてほしいという遺書を残せなかったことだけが残念だ。

 ルシアが短剣をにぎりしめていたら、外でひときわ大きなかんせいが上がった。


「あっ! 貴方あなたさまは……!?」

「加勢する! 油断するな、まだ終わっていない!」

「ありがとうございます! おい、一人は生かしておけ!」


 どうやら親切な者が加勢してくれたらしい。

 形勢は一気に逆転したようで、味方の勇ましい声ばかりが聞こえてくる。

 ここからはもう後始末の音がひびいてくるだけになった。


(どこの誰かしら。お礼を言わないと)


 ルシアは自ら馬車のとびらを開ける。

 護衛の兵士たちはあわててルシアを止めにきた。


「ルシア王女殿でん! もうしばらくお待ちください!」

「もう終わったんでしょう? 手を貸してくれた方がいたようだけれど」


 親切な人を探してルシアが周りを見れば、加勢してくれた人物はすぐにわかった。


 ――あかがみうるわしい青年。

 どこかで会ったような気がするけれど、思い出せない。


「ルシア王女殿下ですね」


 青年はルシアと眼が合うなり、うやうやしくの礼を見せる。


「アシュフォードこうしゃくちゃくなん、フェリックスと申します。どうかお見知り置きを」

「……アシュフォード公爵家」


 ルシアは、フェリックスと話したことはない。

 けれども、幼いころにアシュフォード公爵を見たことはあった。彼に似ているから覚えが

あったのだろう。


(フェリックスはたしか……)


 侍従長からの手紙に、フェリックスの名前は出ている。


いもうとひめさま方と仲良くしている』という書き方をされていたので、つまりフェリックスは―― ……〝未来のおうはい〞だ。


「フェリックス、助かったわ。……それで、貴方がここにいるのはなぜ? この辺りに用事でも?」


 妹の誰かと結婚する予定のこの男が、わざわざルシアへ会いにくるはずがない。王命か公爵家の用事かでぐうぜんすれ違っただけだろうと思ったけれど、フェリックスはかたをすくめた。


「ルシア王女殿下に早くはいえつしたかったんです」

「私に?」

「はい。それに、俺がいればよくりょくになるかな……と」


 ルシアはどういうことだとたずねたかったけれど、その前に「危ない!」という声が聞こえてくる。はっとしてかえれば、木にしばけられている男がいた。


「おい、自害させないように気を付けろ」

ものや毒を持っていないか調べた方がいい」


 どうやらとらえられたしゅうげきはんが、自害しようとしたらしい。

 ルシアは立ち位置に気を付けながらその男の近くまで足を運び、顔をかくしている布を取

れと命じようとした。

 しかしそのとき、ドッというにぶい音と共に赤い色が飛び散る。


「……!?」

「王女殿下!」

「誰だ!? 追え!」


 ルシアはため息をついた。

 矢が飛んできた。けれどもそれはルシアをねらわず、捕えられた襲撃犯の頭を貫いた。

 ルシアが矢に狙われない位置をしっかり選んでいたので、別のところにいた襲撃犯の仲間はくちふうじを選んだのだろう。


「ため息しか出てこないわね」


 ルシアがあきれ声を出せば、フェリックスはにやりと笑う。


「眼の前で人が死んでも、〝ため息〞ですか」

「冷たい女で悪かったわね。アルジェント王国で色々あったのよ」

「いえいえ、俺にとってはその冷たい眼も冷めた態度も好ましいですよ。むしろ、うるさいのはきらいなので」

「そう」


 ルシアは無造作にほおさわる。先ほど、襲撃犯の血が飛び散ったときに、ルシアの頰に生温かいものがかかっていたのだ。そして予想通り、手袋の先に血がついた。


「…………」


 ルシアは頰を血でよごしたまま、ついとあごを上げる。

 神秘的なすみれいろひとみが、フェリックスの顔をとらえた。

 そして、まばたきをひとつ。


「ぬぐって」

「……おおせのままに」


 フェリックスは真っ白なハンカチを取り出し、ルシアの頰をていねいにぬぐう。

 髪にも少し血がはねていたのか、フェリックスはルシアの髪をひとふさすくい、紅薔薇のようにあざやかな赤色を取り除いてくれた。

 フェリックスの指がルシアのきんぱつから名残なごりしそうにはなれれば、ルシアの髪はさらりと何事もなかったように戻る。

 そのときフェリックスは、なんだか残念な気持ちになってしまった。


「馬車に戻るわ」


 ルシアが歩き出そうとしたら、フェリックスはさっとルシアの手を取る。

 足下があまりよくないので、エスコートをしようと思ったのだ。


「ああ、先ほどの『抑止力の続き』ですが……」


 そして、フェリックスは中断した話を再開しようとした。


「今ここで?」

「はい。今ここで。その方がご理解いただけると思うので」


 フェリックスは、うるわしい顔をルシアに向けてにこりとほほむ。

 ただし、ルシアを見ているようで、見ていない。


「―― 俺は、こういうことを平気でするルシア王女殿下の妹姫たちが嫌いなんです」


 フェリックスは、今回の襲撃犯の正体を言い切った。

 ルシアは、「そんなことはないでしょう」という言葉を口にできない。そうかもしれないと思っていたからだ。


(王位継承権争いが激しくなっているのなら、婚約者を失って帰ってくる長女の私は妹たちにとってざわりだわ)


 しかし、ここでああだこうだ言っても、しょうはなに一つない。ルシアはくろまくの話を後回しにして、まずはフェリックスに事実を改めて告げる。


「私は、その妹姫たちの姉だけれど」

「ははっ! そうでした!」


 フェリックスは先に馬車の中へ入り、ルシアの手を引っ張った。


「多分、俺たちはお友達になれそうな気がするんですよねぇ」


 ルシアはフェリックスの手を借りて馬車に乗りながら、めんどうな言い回しにため息をつきたくなる。

 王族や貴族の会話は、直接的な表現をけるものだ。

 王族としての教育を受けているルシアは、フェリックスの言いたいことをきちんと理解できた。


(つまり、私もすぐ妹が嫌いになる……ということね)


 ルシアは、自分の命を狙ってきた妹たちの姿を想像する。

 六歳のときに国を離れたあと、帰国できたのは一度きりだったので、妹たちの顔はぼんやりしていた。

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