第一王女ルシアの帰還と華麗なる快進撃 海の守護騎士との出逢い

石田リンネ/ビーズログ文庫

プロローグ

 

 緑豊かな大地を持つフォルトナート王国の現国王エドワードには、五人のむすめがいる。

 第一王女ルシアは、エドワードと側室の間に生まれた子だ。

 ルシアはエドワードにとって待望の第一子だったけれど、そのあとすぐエドワードと王妃の間に第二子が誕生したため、父親の愛を一身に受けることができたのはわずかな期間だけだった。

 そして、エドワードは長女ルシアを王位けいしょうけん争いの火種にしないよう、アルジェント王国のおうたいアレクサンドルとこんやくさせることにする。

 物心つく前にアルジェント王国の未来のおうとなることが決定したルシアは、アルジェント王国に幼い頃から慣れておいた方がいいという理由で、早くから留学することになった。

 ルシアのアルジェント王国への留学は六歳のときに始まった。それからあっという間に十年がった。ルシアはこの十年の間に、きらきらとかがやきんぱつと神秘的なすみれいろひとみを持つ、だれもが認める美しい女性に成長する。

 しかし今、その輝きは失われてしまっていた。

 ―― とむらいのかねが聞こえる。


 今日はルシアのこんやくしゃであるアレクサンドルとの最後の別れの日だ。

 ルシアは手に持っていたハンカチをぎゅっとにぎった。


「……アレク」


 ひつぎの中でこころやさしい年下の婚約者がねむっている。

 アレクサンドルは元々身体からだが弱く、よく熱を出していた。彼が熱を出すたびに、ルシアは神にいのっていた。神さま、私がその試練を引き受けます。だからアレクを助けてください……と。


(神は私たちに試練だけをおあたえになる)

 結局、アレクサンドルは神のもとへ旅立ってしまった。

 六歳からアルジェント王国で過ごしていたルシアにとって、アレクサンドルは家族という感覚になっている。弟がいたらこんな感じだろうと、いつも愛情を持って接していた。


「ルシアひめ……わざわざありがとう。貴女あなたそうに参列する必要がないのに……」


 アレクサンドルの母である王妃ローラが、なみだこらえながらルシアに声をかけてくる。

 ルシアはローラの手をそっと握った。


「おづかいありがとうございます。この葬儀が終わるまで、私はアレクサンドル王太子殿でんの婚約者です。どうか最後まで見届けさせてください」


 婚約者をくしてしまったルシアは、アルジェント王国に留学しているだけの部外者だ。

 本当はこんなに近くで別れを告げることはできない。

 ――貴女はまだ若い。アレクのことは忘れて新しい人生を歩みなさい。婚約した事実をなかったことにするためにも、このままフォルトナート王国に帰った方がいいわ。

 ローラは葬儀前にルシアへ優しい言葉を送ってくれたけれど、ルシアはそれに従わなかった。今はみなと共にアレクサンドルの死を悲しみたかったのだ。


「皆さま、最後のお別れを」


 大司教の呼びかけで、皆が棺の周りに集まってくる。

 ルシアは悲しみをこらえながら、ハンカチに包んでいたものをそっと棺の中に入れた。


「それは……!」


 誰かが息をむ。棺の中に入れられたのは、美しい金色のかみだったからだ。

 この場にいる全員がルシアの黒い帽子ファシネーターと黒のヴェールを見つめる。ずっとかくされていてわからなかったけれど、もしかして……とざわついた。


「アレクがさびしくないように、せめてこれを……」


 ルシアはアレクサンドルといっしょに神の下へ行けないけれど、彼と過ごした間にびたこの髪だけは連れて行ってほしい。

 ルシアの気持ちは皆に伝わり、すすきの声が一層大きくなった。

 アレクサンドルの葬儀が終わったあと、ルシアは王太子の宮にもどる。

 心配そうな顔をしている女官たちにだいじょうだと言い、一人にしてもらった。


「……これから私はどうなるのかしら」


 ルシアは鏡台の前に座り、帽子ファシネーターとヴェールを外す。当然のことだけれど鏡にはつかれた顔が映っていた。


ひどい顔……」


 こんな顔をしていたら誰だって心配するだろうとしょうしたとき……。


『――だって貴女は、みんなに心配されたかったんでしょう?』


 鏡の中のルシアが、こちらを見て笑う。

 ルシアは驚きのあまり眼を見開いた。

『悲劇の王女になりたかったから、ここに残ってもいいと言われたかったから、髪の毛をわざと切ったのよね』


 ルシアののどがひゅっと鳴る。

 なにかを言おうとしたけれど、言葉にならなかったのだ。


『フォルトナート王国に帰っても、貴女をかんげいする人はいない。母親も|乳《う

も亡くなってしまった。アルジェント王国が用意してくれたじょは置いていかないといけない。貴女は一人で帰るし、帰っても一人きり』


 ルシアの手が震えた。その通りだった。自分はどくだ。


『帰ったところで、どうやっても王位継承権は得られないし、便利なこまとして父親に利用されるだけ。心の傷がえないうちに次の婚約者を与えられるか、使えないと判断されて修道院行きか、どちらになるのかしら』


 鏡の中のルシアが口に手を当て、ふふふと笑う。


『留学先で努力し続けて周りから認められ、やっと幸せになれると思ったのに、婚約者の死によってまた一からやり直しなんて』


 ルシアは鏡台に手をついた。あしもとがぐらぐらとれている気がする。に座っていなかったら、みっともなくゆかいつくばっていたかもしれない。


『本当に可哀想かわいそう。貴女は世界で一番可哀想な王女だわ』

「……やめて!」


 ルシアは鏡の中の自分に向かってさけぶ。

 何度か首をり、鏡の中にいる自分の声を聞きたくないと示した。

 しかし、ルシアは感情的になった自分をすぐにじて、深呼吸をかえす。


「お願い、やめて……」


 鏡の中のルシアは、自分の心そのものだ。

 小さいころから弱ったときに出てきて、自分を可哀想だと何度も言ってきた。


「……私は、おろかで弱い人間だわ」

 立派な王妃になると何度もめられてきたけれど、自分を可哀想だとなぐさめている今の自分は、あまりにも情けなかった。

 フォルトナート王国の王宮に、アルジェント王国からのはやうまとうちゃくした。

 早馬にたくされたルシアの手紙には、王太子アレクサンドルが病で亡くなったことや、フ

ォルトナート王国を代表して葬儀に参列することが書かれていた。

 そして―― ……葬儀が終わったら帰国することも。


「……ということだ。まだ悲しみが癒えていないだろう。皆でルシアを気遣うように」


 王家の夕食会にて、国王エドワードから第一王女ルシアのかんが改めて告げられた。

 食後の茶を楽しんでいた王妃や王女たちは、「はい」と返事をする。

 エドワードはその返事に満足し、席を立った。


「……いまさら帰ってくるなんて」


 エドワードが退出すると、王妃フィオナはいまいましいと言わんばかりに勢いよくカップを置く。


「オリヴィア、エヴァンジェリン、行くわよ」

「はい」

「はぁい」


 王妃フィオナの実子である第二王女オリヴィアと第四王女エヴァンジェリンは立ち上がり、フィオナについていった。

 廊下に出たエヴァンジェリンは、母と姉のうしろを歩きながらくすくすと笑い始める。


「このとしひとになったルシアお姉さまが可哀想~。婚約者の代わりに死んであげればよかったのに」


 さらりとひどいことを言うエヴァンジェリンを注意したのは、フィオナだった。


「エヴァ、もう少し言葉を選びなさい。貴女は王女なんですよ」

「はぁい。でもお母さまだって、ルシアお姉さまに帰ってきてほしくないでしょう?」

「ええ、もちろんよ。女王になるのは私の子であるべきだわ。……あぁ、そんな顔をしないで、愛しいオリヴィア。貴女たちのおさまに今後のことをたのんでおくから心配しなくていいのよ。ルシアには側室の子という立場を思い知ってもらわないといけないわね」


 フィオナの言葉に、オリヴィアはうなずく。


「お父さまの子は王女のみ。ならば、幼い頃から帝王学や剣術を学んできた私が王になるべきです。他国の次期王妃としてちやほやされるだけだったルシアお姉さまには務まりません」


 フィオナはオリヴィアの頼もしい言葉に感動し、いとしい我が子を守らなければならないと改めて決意した。

 部屋に残された第二王妃ベアトリスと第三王女イザベラは、茶を飲みながら今後について話し合った。


「……イザベラ、どんな手を使ってもルシアを王宮から追い出すわよ。絶対に」


 ベアトリスは、ルシアへのにくしみを隠すことはない。

 今、次の女王は『第二王女オリヴィアか第三王女イザベラか』と言われている。

 それが『第二王女オリヴィアか第一王女ルシアか』になったら困るのだ。


「わかっています。とりあえずルシアお姉さまを徹底的に調べておいてください」

「お父さまに頼んでおくわ。今後のことも相談しないといけないわね」


 イザベラはにぃと笑った。姉にうらみはないけれど、王位継承権争いに加わるかもしれな

いのなら、酷い目にってもらわなければならない。


「ああ、イザベラ。アンナベルにもこの話をしておいて。いいわね」

「……はい」


 イザベラは茶を飲み終わったあと、同母妹である第五王女アンナベルの部屋に向かう。

 アンナベルは今日も夕食会にこなかった。イザベラはで引きこもりの妹にいらいらしてしまう。


(なんで私がこんなことを……!)


 イザベラは舌打ちしたいのを堪えながら、アンナベルの部屋の前に立った。


「アンナは?」


 部屋の中に声をかければ、アンナベルの侍女が出てくる。


「イザベラ王女殿下……! その、アンナベル王女殿下の具合はあまりよくなくて……」

「どうせびょうでしょう? 入るわよ」


 イザベラはアンナベルの部屋のドアを勝手に開け、中に入った。

 アンナベルの侍女があわててついてくるけれど、下がっていなさいと冷たい声を放つ。


「アンナ、引きこもるのもいい加減にしなさい」


 イザベラがアンナベルのしんしつのドアを開ければ、シーツをかぶって丸くなっているアンナベルがベッドの上にいた。

 アンナベルはびくりと身体を震わせたけれど、なにも言わない。


「返事ぐらいしたらどう? いつまでも本当に愚図なんだから」


 イザベラは仮病を使って引きこもっている妹にあきれつつ、長女ルシアが帰ってくるとい

う話を聞かせる。


「久しぶりに再会するルシアお姉さまを歓迎しないとね」


 イザベラはそんなことを言いながら、寝室に置かれていたびんから白い花をり、ようしゃなく花の部分をちぎった。イザベラの手から白い花びらがはらはらと落ちていく。


「勿論、あんたも歓迎してあげるのよ」


 イザベラは、床に散らばった花びらを見て満足気に頷く。


「その頭を使うことだけがなんだから、しっかりやりなさい。ルシアお姉さまが泣きながら喜ぶようなことをしてあげましょう」

 そして、妹を気遣う言葉を口にすることなく去っていった。


「…………」


 アンナベルは、ドアが閉まると同時にベッドから降りる。

 床に散らばった白い花びらを見たたん、頭の中がかっとなった。

 花瓶の花をつかみ、ちぎり、ばらばらにする。


「……みんな、こんな風に死んじゃえばいいのよ! ルシアお姉さまも!」


 白い花の上に色とりどりの花を散らしたアンナベルは、憎しみをこめて叫んだ。

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