2.肉じゃがと卵焼き

第6話 

「うん、いい香り。」


「やろ?」


 言葉少なに、でもとても誇らしげに私に向き直る如月。


 彼の料理には彼が誇るだけのものがある、と常々思っていたので羨望の眼差しを向けておく。如月として生きてきていったい今までの生活の中でどこに料理を習得するタイミングがあったのか不思議である。


 一人暮らしをするまで料理をしたことがなかった私が最初に振る舞ったうどんは彼にとってはさぞ貧相なのものに見えただろうと思う。


 ーー彼は泣きながら食べていたが。あんなうどんを。


 いまだにその理由は、聞けていない。何か大変なことがあったのだろうな、と推測するだけで京都と連絡をとって情報を集めることもしていない。興味がない訳じゃないのだ......。知りたい、助けてあげたい、そう思っているけどそう伝えることが彼の負担になるのではないかと考えてしまう。私はこの手の勘を外したことはない。


 ーーそれに...事情を、聞いたとして。私ないし立場で彼を救うことがーー。


 いいや、そんなことはまだ考える必要はない。


 彼が言いたくなるまで放っておくつもりだし、彼が出て行きたくなるまでこの家にいたらいいと思う。


 なんなら私が京都に帰った後もこの部屋を東京の拠点にするために契約したままにしておいて、普段は彼が住んで良いことにしてもいいくらいだ。

 

 たまに東京に来て、彼の美味しいご飯を食べて、仕事をして、家に帰る。うん、それもなかなかいい感じだ。


 .........相当に絆されている自覚はある。


 行き倒れの怪しい男を拾って家にあげて住まわせている、と言う時点でやばいのになんだか別荘に囲うみたいになっている。


 愛人?男女逆だと政治家とかがやってそうだ(偏見)。


 手がかじかんだために出しすぎた水を調整しながら手を濡らす。


「スーパーでジャガイモ詰め放題しとったから。牛肉は売り出してはなかったけど。」


 何気ない言葉にあぁ、と頷く。いかんせん狭い家なので声を張り上げる必要はない。


「ここらの人は豚肉で作りはるもんな。」


 手を洗いながら会話に興じる。水が冷たくて辛い。


 思い返せばあの夏の日から半年。彼はちゃっかり我が家に馴染み、いつのまにか我が家の家事のほとんどを担ってくれている。もう彼を追い出すことなんてできない。温かい朝ごはん、手作り弁当、京都風の味付けの料理にすっかり胃袋を掴まれてしまった。


 しかもこの自称ヒモには収入がある。お家騒動中とかで微々たるものだが不労所得と、売れないけどかろうじてプロである小説の収入を私に生活費として支払っている。


 彼の収入では東京の一人暮らしは厳しいだろう。出している額は圧倒的に私が多い。それでもヒモを自称しながら生活費を払い、家事をし、家でポチポチと小説を書いている様はなかなかに笑える。と同時に悪い人ではないのだろう、と警戒感を弱めた。


「これ持っていってくれる?」


 指し示されたのはわかめと豆腐の味噌汁。ホクホクとしたじゃがいもがコロコロと入る肉じゃが。炊き立てツヤツヤの白米。サラダ。卵焼き。


 器に綺麗に盛られたそれらを机に運ぶだけでご飯が食べられる。魔法みたいだ。実家にいた頃はお女中さんが作ってくれていたから座ったらご飯だったけれど、一人暮らしをしてからは自分で簡単な料理(?)を作っていた。コンビニ弁当ひとつでさえ、自分で温めなければ食べられない。それが今はどうだ。


「「いただきます。」」


 最近買った小さな炊飯器で炊いたお米は謳い文句通りふっくらと、とても美味しく炊けている。ダイヤモンドなんちゃらかんちゃら、やるじゃないか。


 じゃがいもは想像通りホクホクで肉じゃがのつゆとほどけるよう。口の中がじんわりと温まる。味噌汁も鰹出汁は譲れない。何度食べても鰹出汁の味は涙を誘うほど美味しい。


「うーん!最高!」


 声をあげてしまうのは仕方がない。最高なのだから。


 卵焼き。私の大好物。甘くても辛くてもだし巻きでもほうれん草入りでもなんでも好き。


 今日は出汁なようで、鰹と昆布の混合だしが卵からジュワッと溢れる。なめらかなだし巻きはもはや匠の域である。


「明日は茶碗蒸しにするからね。」


「まじで?やった...!」


 最高の一言に尽きる。毎日最高が更新される。

 私は卵を食べない日はない。毎日食べる。許されるなら何玉でも食べる。その中でも1番好きなのは茶碗蒸しで、柔らかい味のおだしのきいたものが好き。レンジで蒸したものは何かが違う気がするから、我が家には蒸し器ががある。


「ほんまに好きやな、茶碗蒸し。」


「めっちゃ好き。365日食べたいくらい。」


「そりゃよかった。」


「本当に毎日最高。」


 ははは、と笑った如月は、ふいに表情を改めてこちらを見る。その真剣な顔に緩んでいた表情をひきしめた。


「どしたん。」


 なにか、あったのか。嫌な目にあった?ひどいことを言われた?私の家にいるーー私の保護下の彼に手を出す人間がいるなんて思えないがーー。


「なぁ、角倉のことや。」


「あぁ。」


 このタイミングで角倉。十中八九あの件だ。ーーそれにしてもずいぶん耳が早いことだ。でもこれで彼が側近夫妻の子供という線はなくなった。たかだか如月の側近夫妻の子供に漏れるような緩い管理はしていない。


「新規ブランド立ち上げ、やっけな。あの粗悪品を角倉から出す、いう企画。」


 どこまで彼が知っているのかは知らないが自分から言ってやる。


「どないすんの。」


「アレは角倉とは全く違うもんやと、言うといたよ。昔からのお得意さんにも、アレは角倉やない、言うて訂正しといた。」


 何事もないと。うちうちで処理したことであると。そして彼らを切り捨てたことを混ぜておく。


「せやろな。それをちゃんと信じてくれはったんかぁ......。なぁ、それ、うちの分もしてくれはらん?」


 角倉は、分家によって掌握されていた。分家が好き放題に角倉の名前を使って商売をして、粗悪品や角倉らしくない品を流していたのだ。それを回収したり、牽制、対抗するために私が今東京にいる。同じ京都からでは周りが煩わしく、身動きが取れなかったからだ。


 最近やっとあいつらを追い出す目処がたったのだ。というか、私が呉服業界から相手にされるだけの立場を身につけたというか。


 すでに切り捨てる作業は終わった。あとはもう2度と私の障害にならないように追い払うだけだ。


 そこにわざわざ如月なぞ混ぜてやる意味はない。


「そりゃぁ条件次第ですやろ。」


「交渉に当たってた弁護士さんから連絡が来てなぁ。如月が、角倉の土地を買ったらしい。」


 っ!


 あいつら、やりやがった。思わず息を詰めてしまう。


 先祖代々の土地も資産も彼らには手をつけられないようにしていた。隠して隠してしていたはずだ。私の許可なく売買できるはずがない。


 誰か、彼らに入れ知恵した人がいる。法律に詳しく、角倉に一泡吹かせてやろうと思っている人間が、いる。詐欺まがいの売買契約を提案した人間がいるはずだ。


 最後まで面倒をかけてくれる奴らだ。さて、角倉を放逐してからどうしてやろうか。


「どう?如月の整理してくれはるんやったら、土地、無償で返したるで?」


 法に照らせば私に土地は必ず帰ってくるだろう。そういう風にしてある。


 けれどそこで問題なのは、京都で如月と争わなければいけなくなること。この男はこれでいて食わせ者だから、土地を取り返すのは骨を折るだろう。


 もう一つ問題なのは、うちのお家騒動が白日に晒されることだ。白川の人々やそのほかが利益を求めてでしゃばってくる前に蹴りをつけてしまいたい。


「ええよ。」


 この男が味方だと言うのなら。本家直系の如月千尋がこちらについているというのなら。この戦いはこちらに正義があるまま終わらせることができる。


 私は完全を取り戻す。



 あの時のように。全てをこの手に。


 ほろりと、口の中でじゃがいもがほどけた。

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わたしの家にはヒモ(自称)がいる 橘みかん @Tatibana-mikan

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