第4話
だいぶ回復してきた男にポカリをもう一本渡して、食欲があるか尋ねる。
遠慮もせずちゃっかりと昼ごはんに冷やしうどんを希望した男に一つ微笑み、具沢山の温かいうどんを作ることに決めた。行き倒れにご飯をあげる私マジで優しい。とってもお人好し。
兎にも角にも暑いからといってあまり冷たい物ばかり食べるものではない。それに私は冷やしうどんより温かい具沢山のうどんの方が好きだ。
この男も食べれるならば温かい具沢山のうどんを食べてほしい。最初は量は少なめで食べられそうなら新たによそえばいいのだし。
嫌いな食べ物などは特に聞かず、冷蔵庫で二日間眠っていた人参の切れ端と安売りで買ったからい夏大根、おあげさんと出汁に少しの鶏肉を刻む。自炊しない私の冷蔵庫にこんなの食材があったなんて奇跡だ。
この鶏肉いつからあったんだろ?最近自炊してないから.........いや多分大丈夫であろう。ぶんぶんと頭を振って何も考えなかったことにしておく。
料理を作るのは苦手じゃないけど得意でもない。美味しいのには好きだけど、外でも美味しい物が食べられるからとりたてて時間をかけて作るほどでもないといったところか。
忙しければ涙を飲んでカロリーメイトをかじる。どこにでもいる普通の社会人だ。
水と粉末出汁を沸かした鍋に具材をほりこみながら冷凍の讃岐うどんをレンジで軽く温めておく。
人のために料理を作るなんてはじめてかもしれない。父の日や母の日も料理はしなかったし、彼氏いない歴=年齢だし。......悲しくないわい。
自分の作り方が人に不快感を与える作り方だったらどうしよう?
まあその時は追い出そう、うん。
「さて、名前を聞いてもいいですか。」
少し前に沸かして粗熱の取れたほうじ茶片手に男に向き直る。所在なさげに、どこか遠くを見るように座っていた男は、ハッと私の方を向いた。
どこか儚くて消えてしまいそうな、そう、今にでも自殺でもしてしまいそうな雰囲気は霧散して、人懐っこい、取り繕われた表情が伺える。拾ってあげてよかった。
でもやっぱりこの空気の作り方といい、私と同類なのでは?との思いを深くしながら腰を下ろす。もう少し確実な何かを掴みたいところだ。
この完成された人懐っこさは天性の才能か、あるいは.........。少なくともこの男は中流階級以上の出身だし、女の間をほっつき歩いている風ではない。それくらいの人を見る目はあるつもりだ。
したがって、この人懐こい態度は訓練された上のものであり、彼の本質はもっと冷たいのだと気づかざるを得ない。
《普通の域を超えたレベル》での。
あの儚げな雰囲気も彼の素として見せる部分の一面で、もっと奥に何かがある。そう思わせるに十分な男。
そうじゃなければ拾おうなんて思わない。
ーー成人女性が1人で歩いていて成人男性を拾おうなんて思わない。
だがとりあえず、探偵や産業スパイなどの人を探る職業特有の空気感はない。これは素人だ。これは私の粗を探るものではない。
不思議な男だが、そこまで考えればあの場所で行き倒れていたことにさらなる違和感が増す。
「身分証、見なかったんですか。」
「まぁね。」
えぇー、といいたげに口を尖らせた男は万人受けするだろう笑顔を作って口を開いた。
「きさらぎちひろ、27歳。京都出身です。」
如月千尋、と書かれた免許証を見る。よく見れば、惚れ惚れするほどの知的なイケメンで、涼しげな顔立ちはまさに京男子だ。
如月、如月、か。
「私は千紗。数字の千に、シルクの紗。年齢は...企業秘密で。出身地は同じく京都だけど...この情報は、いるのかな?」
なんでもない風に答えられる。
「お互い気兼ねなく話せます。東京来て1番つらいのはみやこ言葉を揶揄われることでした。」
「あぁ、たしかにそういうところはあるね。」
すぐさまこの理由は嘘だと見抜いて疑いの目を向けてみたけど答える様子はない。この設定で行くらしい。
何か京都の人であることに意味でもあるのかーー?暗に「あのこと」を伝えてきている?でもそれを伝えてなんの得がーー?
深読みしすぎだろうか、しかしどこか油断ならない雰囲気を出してくるからついつい考え込みそうになる。
たしかに言葉の壁は地味なストレスであることは否めない。だが、それくらいで出身地をこのタイミングで話すか?勤め先の情報やそちらの方が先だとは思わないか.........?
訓練されている人間である以上それに気づかないとは考えづらい。しかしそれを明かす気はなさそうだ。
お酒の席だとたしかにそういうことーー言葉を揶揄われたり酒の肴にされることーーはあった。下手くそなお笑い芸人のようなモノマネ、とか。
でもまあ、向こうもこっちの言葉のネイティブスピーカーじゃないし、日本人が話す英語を聞く外国人の気持ちで受け流していたけど。ぽろっとでるみやこ言葉を関東の人らしいニュアンスで弄られたときはちょっとイラッとしたが仕方があるまい。
日本人というのは郷に入っては郷に従うものだ。
言われてみれば、全く突き刺さらないかといえばそんなことはなかった。
「せやったら、ここでは楽に話してな。」
せ、と、そ、の間の音。あまり大きくは発音しない、せ。非ネイティブが話す瞬間、安っぽく聞こえてしまう所以だ。
取り止めのない雑談が広がる。
彼は割とそ、よりの発音。まさに京男子だと、私はにやにやした。
コトコトとうどんの鍋の音が、味蕾を刺激する。様子を見に行くか。飲みきっていないお茶をその場において、よっこらせと立ち上がる。
野菜はいい具合に炊けている。
「卵いける?」
「はい。」
月見か、かき玉か。どちらにしようか。それともうどんには入れずに卵焼きにしようか。
いいや、今日は月見だ。うどんをいれて一煮立ちした鍋に卵を割って入れる。
来客用の器を取り出して盛り付ける。箸もちゃんと来客用に3膳あってよかった。過去私ナイスである。
やっぱり所在なさげに座っている男を確認しながらうどんをテーブルにおき、食べるように促した。いただきますを音頭に口をつける。
「おいしい...。」
「それはよか、」
泣いている。
大の男がうどんを食べて目から涙を流している。それが様になるのだからこの男は顔面で得をしているが、一体どうしたというのだ。
いったんどうしたんですか、そう口からでかけるのを間一髪で止めた。金なし家なしで行き倒れていたこの男に、今まで何があったのかはわからない。知る必要もない。
やっぱりうどんを食べる所作も姿勢もよく、躾けはきちんとされていることが伺える。靴も揃えていたんだから、しっかりした人間なのだろう。普通に考えて、無一文で行き倒れるような人間じゃない。
今なら切り込めるか。さりげなくーーつとめてさりげなく口に出した。
「お仕事は何してはるんですか。」
泣いているそぶりなんて見せないで、彼はかぶりをふった。
「売れない作家ですよ。遺産の不動産で食い繋いでるんですが、両親が死んでから少々ごたごたしてしまいまして。逃げ回っていたらこんなことになってしまいました。」
軽妙な語り口に似合わず、その表情は深刻だった。
京都の、不動産。それと如月の苗字。バッチリと繋がって、ついでに少し前に入ってきた情報を思い出す。なるほど、特に注視はしていなかったけれど、この男もそれの煽りをくらったのか。それはゴタゴタもするだろう。
しかしーーまぁーーなんというか。
こうなってしまったか、という感じでもある。
気を取り直して記憶を引っ張り出す。如月関連といえば少し前に亡くなったのは如月当主の如月通孝・美代子夫妻か、その2人の最側近の如月兼孝・絢子夫妻だ。
如月を長く引っ張ってきた4人を一気に失ったことは大きな痛手だし、何よりその両親を失ったすぐに醜い争いに巻き込まれた苦しみは計り知れない。しかもその4人は不審死だ。
私は思わず同情してしまった。
えぇと、と言い淀んで、私を見る如月。ああ私の苗字を知りたいのだなとすぐに分かった。確かに名前呼びはしずらいんだろう。
「あぁ、千紗でええよ。」
彼が困ったふうに笑うのが面白くなり、ついついからかいたくなってしまう。
まぁ、いいか。同姓同名なんて人口1億人いたら数人はいるだろう。
そして彼が私の正体を知ったとして、それはそれで面白そうだ。
「
一瞬唖然とした様子の如月は、すぐに気を取り直して私に向き直った。角倉姓を知っていたらしい。なら繋がっただろうか。
基本仲が悪すぎる如月と角倉が同時にパーティーなどに呼ばれることはないので仕方がないが、お互いにややこしい立場で出会ったものである。
もし私が彼の立場ならたとえ死んだとしてもこの場所からすぐに出ていく。なぜか彼はそうしないが。
「ならお仕事はされてないんですか。」
角倉と如月の歴史に残ってもいいほど喋っている時間が長い。かつて我々のご先祖がこんなに言葉を交わしたことがあっただろうか、いや、ない。
「いいや。着物のレンタルや仕立てをしてるよ。個人から撮影まで幅広くね。」
角倉家は今荒れている。その尻拭いを私がわざわざ東京にまで下って、会社を立ち上げて、やっているのだ。面倒と言ったらありゃしない。
「さすがは角倉、ですね。」
「そうかな、如月さん。」
そんなことはないんだけどな、と思いつつ如月に言うことでもないので黙って微笑むに止めておく。
私たちは同時に微笑みあって、その後お腹を抱えて爆笑した。京都での有力者同士が東京でやりあっても仕方がない。我々は東京での勢力なんてどうでもいいのだ。
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