第3話
思っていた以上に男はちゃんと歩いた。このクソ暑い中この男を背負う勢いでひきづることを覚悟していたので、拍子抜けしたと同時によかったという思いだった。
太っているわけでもとりたてて筋肉質なわけでもない人だったがやはり男性は重い。
この人が悪いわけではないのだが、倒れているのが女性だったらもっと簡単に助けたし家にも上げたのにと思わないでもない。
まぁとりあえず、息も荒いし力も入っていないが、私は覚悟していたよりも労せずに男を我が家に運び上げて、座布団の上に寝転がすことに成功した。
狭い小さな部屋なので男をあげると窮屈だが仕方がない。
回復したら追い出して後で謝礼でももらおうとか若干ゲスいことなんかも考えながら座布団を用意したのである。この時まさかヒモとして居座られるなんて想像もしていなかった。
2日間帰っていない暑い部屋のエアコンをガンガンにつけて、冷やしタオルを渡し、首や脇に挟むよう伝える。氷なんてものは我が家にない。
さて、このままスーツケースを取りに行きたいのだけれど。
財布鍵他貴重品は身につけて行くとしても、この男に家を漁られるのは困る。戻ってきていきなり包丁を突きつけられたりとか、そんなことがあったら大変だ。
私は自分以外の全員犯罪者だと思って生きているタイプだ。そうやって暮らすと一人暮らしでも大きな支障がない。初対面で他者を信頼するとか正気の沙汰じゃないと思う。
ーーのわりには初対面男性を家に上げたが。今回は特別だ、特別。なんか色々はっちゃけちゃったんだそうだたぶんきっとそう。
どうしようか、と男を見ながら私が悩んでいると、うっすらと目を開けた男がポケットを探り始めた。ナイフでも取り出すのだろうか。
びっくりするくらい怖くなかったので、やっぱり私は一生懸命逃げることさえ疲れているんだなぁと逆に笑えてきてしまった。
「これ、僕の免許証と保険証です。」
「?」
「スーツケース取りに行くんですよね。僕を部屋に入れることを優先してくださってありがとうございます。」
聡い人は嫌いじゃない。
確かにさっき私には、彼を家の前の扉に置いて、スーツケースを取りに行くという選択肢があった。
でも、そうしなかった。
彼を部屋に入れ、水とタオルを渡してから取りに行くことにした。
それに気づく彼は、聡い。
これは、同種の匂いがする。この言動は、臭い。人の裏を読み、人を自分の思った通りに動かし慣れている人間。いわゆる支配者としての能力を兼ね備えた匂いがする。
「これ、あなたがしばらく持っていてください。あと正直、一歩も動けないので、安心してください。」
私に身分証の類を押し付け、力尽きたように腕を床に広げる彼は確かに私が出た瞬間に部屋を漁るようには見えない。
正直な話、私の持ち物は漁って楽しいものでもないし、いいだろう。私は身分証を男に返して、踵を返した。
「数分で帰ります。容態が急変したら、救急車呼んで、病院行ってくださいね。」
こくりと男が頷いたのを確認し、ささっと家を出てスーツケースを回収。普段は使わない自動販売機に寄ってポカリを2本買った。
本当は自動販売機で買うと高いのでスーパーまで行って買いたい。しかし部屋に病人が残っていることを考えれば、近場で買った方がいいだろう。
鍵を開けて部屋に入ると男は私が返した身分証を床に散らかしたまま寝ていた。寝息も穏やかなので、たぶん大丈夫、だと信じたい。我が家で死なれたら困る。
寝ているところ悪いが揺り起こし、水で冷やしたタオルを渡し、先ほどのものと交換するように言う。渡されたぬるいタオルを受け取り、先ほど買ってきたポカリを渡した。
「ありがとうございます。」
手に震えはないけれど、若干力が入りづらいみたいで、なかなか蓋が開かない。
手を出すと素直に渡してきたので、お姉ちゃんらしくちょっともったいぶっって蓋にてをかける。
「っつ...。」
開かない。かたい。かたすぎる。
いや、できるはず。もう一回手にかけてみる。
「っん!」
全然あかない。これはクレーム入れてもいいくらい。そう思いながら格闘していると、クスクスと笑う声。
この失礼な男は恩人が自分のために蓋を開けようとしているのを笑っているみたいだ。
ジト目でジーと見つめていると、謝罪するように手を合わせてきたが笑いは止まらないようだ。まったくいったい失礼な男だ。
諦めて立ち上がり、台所から秘密兵器を持ってくる。ペットボトルオープナーだ。
さっきまでの格闘が嘘のように簡単に開いたペットボトルを渡すとようやく笑いを止めた男が礼を言ってポカリを受け取る。
「ご馳走になります。」
「はいどうぞ。」
一言ことわった男はさっそくポカリに口をつけ、ごくごくと飲み干していく。気持ちいい飲みっぷりだ。喉仏が上下するのをボーと見つめていると、あっという間に男がポカリを飲み終えた。
「トイレは廊下に出て右。風呂とトイレは分かれているタイプだから安心してください。」
一心地ついたというような風の男に声をかけると、彼は頷き、立ち上がった。さっそくトイレかと思って場所をどくが、そうではなかったらしい。声をかけられた。
「ゴミ箱はどこでしょうか。」
自分で捨てに行ってくれるらしい。
あぁありがとう、と思ってハッと我に返った。ゴミ捨ての日を3週連続で逃している。人様に見せられるゴミ箱ではない。
「いいよいいよちょうだい。」
慌てて引き止めてもう一本ポカリを渡し、台所のゴミ箱に走り寄る。
うん、自分で捨ててよかった。分別も割としているし汚いわけじゃないけどやっぱり袋が溜まっている。それにコンビニ弁当のあき容器ばっかりだ。
ただの行き倒れだがこんな食生活は見せたくないのである。
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