少女の選択

「こうやって自分の気持ちを言葉にすることって…」


とても、勇気がいること、だよね。

それなのに先輩は言葉でも、行動でも伝えてくれていた。


「実はとても簡単だよね」


そうそう、すっごく簡単。


「…て、え?」


予想外の言葉にぽかんと口が開く。


「簡単だよ、口にすることなんて」

「いや、そう、ですか…?」

「そうだよ、それなのに何でお嬢さんは彼にその気持ちを伝えないの?」


それは、その…と口ごもってしまう。

そんな簡単ではないでしょう。


ましてや、私は絵しか興味がなかったし、好きなものも愛を注ぐのも絵だった。

先輩と同じだけの想いを返してあげられる自信なんてない。

それなのに、簡単に好きだなんて言っていいのだろうか。


「僕が思うにその先輩は、絵が好きな君、が好きなんだと思うな」


絵が好きな私…


「絵に最大の愛を注いでるお嬢さんが好きで、そんな君が描く絵が大好きなんだ」


私の絵を褒めてくれた彼を思い出す。


「その愛を自分に向けてほしいだなんて思っていないんじゃない?」


ただ自分の隣で絵を描いていてほしいんだよ、そう言って彼は優しく笑う。


「それに、相手が自分のことが好きだと分かった状態でする告白なんて、挨拶みたいなものじゃない!」

「まぁ、それで断られることはないでしょうね」

「だからほら、気持ちを口にすることはどうってことないよ」


たしかにそういう不安はないけれど。

…って、あれ、それでいうとこの神様、さっき物凄くナチュラルに告白してたよね?

え、うそ、もしかして紅様って…


「朔、温かいものを淹れてくれないか」

「愛情たっぷりにしてあげるね」

「・・・」


無言の肯定というやつ!?


「あ、え~…全然見えないのに…」

「娘、勘違いだ」

「そっかぁ…でもお似合いですよ美男美女」


少々涙ぐみながら言えば、何か言いたげに薄く開かれたそれは、音を出さないまま閉じられた。

代わりに「好きにしろ」と小さく溜め息。

すぐに戻ってきた彼からティーカップを受けとり、ゆったりとした所作で口に含んだ。


「娘、描けなくなったと嘆いておるが、彼に想いを伝えたらすべて解決するのではないか」

「逆に描けなくなった私なんていらないって言われないですか?」


ふと湧いた一抹の不安は「はっ」とおかしそうに笑った彼女の、それでもなお美しい御尊顔に消える。


「本当、おまえはどこまでも鈍い」

「そ、」


そうかもしれないけど。


「案ずるな、彼と見る世界は眩い」


その透き通る声は、柔らかく包み込むような優しさで溢れる。

どこまでも広がる夜の空のような、どこか心安らぐ漆黒。

不思議と「そっか」と、胸につかえていた何かが落ちていく感覚。


伏せた瞼から伸びる長い睫毛が、微かに微笑む彼女の頬に影を落としていた。


そんな彼女の傍らに、お月様のような銀色が揺れる。


「離れて分かることもあるとは言うけど、今回は少し離れすぎたみたいだね」


ふっと困ったように笑うと、それはキラリと揺れた。



”人とね、描いてたいと思ったんだよ”


突然頭をよぎった彼の言葉。


あぁ…そうか、そういうこと。

いつの間に、私まで。


「私も、人と…先輩と、描きたいと思うようになってしまっていたんですね」


本当、厄介な人。

でも、私が進むべき道は決まったみたい。



「ふふ、どうやら行き先がはっきりしたみたいだね」


彼が自身の着物を丁寧に整えながら、カウンターのこちら側へと歩を進めた。

入ってきた扉を背に立つと、目を閉じてゆっくりと大きく深呼吸をする。


「さて、」


膝の上に開かれていた本をパタリと閉じて、彼女はしゃんと背筋を伸ばした。


「ここは狭間の世界。生きるも死ぬも自由だ」


漆黒の瞳とまっすぐに向かい合う。

窓から見える白い月の光が、私を照らしていた。


「娘、おまえは、どうする」


その問いに、ぐっと手に力が入る。


”もし、俺と一緒にいたいと思ってくれたんだったら、さっき展示会でもらったチケット、

 俺の分渡しに来てくれない?”


鞄にしまい込んだままのチケット、くしゃくしゃになっていないと良いな。

今、先輩はどうしてるんだろう。

あの子が連絡してくれたかな。

そしたらきっと病院で寝ている私の傍にいてくれているんだろうな。


泣いてるかな。

勉強、どころじゃないよね。

待ってて、もうすぐ私戻るから。



「私は、生きたい」

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