少女の選択
「おや、先輩」
「なにが”おや”だよ。声かけてよ」
ドサッと隣に座る彼越しに向こう側のベンチを覗き見れば、結局順番が回ってこなかった女の子たちがこちらを見ていた。
慌てて先輩の影に隠れるように身を隠す。
「しれっと離れたところ座ってるし、なんか飲んでるし、幸せそうな顔してるし」
「あ、これどうぞ」
文句を言う先輩を無視して手にしていたカップを差し出す。
良かった、まだ温かい。
「ホットチョコレートです。今日のお礼に」
「もしかしてこれ買いに行ってくれてた?」
「はい」
受け取ったカップを両手で握りしめながら、溶け切ったマシュマロが漂うのをじっと見つめている。
横顔がゆるりと柔らかく微笑んだ。
「ありがとう」
「どういたしまして」
自身のカップに口をつければ、隣でこくりとゆっくり飲み込む小さな音が聞こえた。
「うまぁ…」
声とともに吐き出される白い息が静かに消えていくのを横目に、ふと思う。
そういえば、なんで私は”終わるのを待とう”なんて思ったんだろう。
声をかけてくれた子と一緒に行ってしまう可能性だってあったのに。
そんなこと考えもしなかった。
「…良かったんですか、さっきの女の子たち」
「良いもなにも、断る以外の選択肢がないのに話しかけないでほしい」
問いかけに少し困ったように呟いたかと思えば、
「好きな子と来てるからって、言っちゃった」
てへっとお茶目に笑ってみせた。
あぁ、そっか。
あまりにも先輩がまっすぐに私を見てくれるから、勝手にそういう頭になっちゃったんだ。
”私以外を選ぶはずがない”と。
「…厄介な人ですね」
「ごめんってー!」
いつの間にか、こんなにも揺るがない安心感を覚えてしまうなんて。
本当、厄介な人。
ぽん、と優しく頭を撫でる手の平に、そっと目を閉じる。
じゃあ、私は…?
私は同じだけの安心をあげられるんだろうか。
私は先輩をどう思ってるんだろう。どうなりたいんだろう。
「あのさ、」
小さな声で、話しかけられた。
はい、と返事をする代わりに、先輩へと視線を向ける。
そんな私の視線から逃げるように少し俯いた彼は、視線を彷徨わせる。
それから言いにくそうに、静かに呟いた。
「俺、美大には、行かないよ」
「…え?」
それはそれは小さな声が零れた。
行かない?美大に?なんで。
「俺、教員になろうと思って。美術の先生」
「先生、ですか」
「うん」
彼はまだ、足元を見つめている。
「で、でも先輩、大きなキャンバスに絵を描きたいって…」
「ははっ、それ覚えてくれてたんだ」
「いつ話したんだっけね、それ」とふっと笑った彼は、ゆっくり続けた。
「たしかに夢なんだけど、人とね、絵を描いていたいと思ったんだよ。
小学生でも中学生でも高校生でも、絵が好きな子たちがもっと絵を好きになれる手助けをしたいなーって」
生徒に囲まれて、笑いながら筆を手に取る姿が容易に浮かぶ。
だって、この人は、常に人に囲まれて生活していた。
美術室から眺めていた姿は、友達の中心で楽しそうに笑う彼だ。
「絵って1人で描くものって思われがちだけど、みんなで描いてるほうが楽しいんだよなー」
ずっと1人で黙々と描いていた私には、分からない。
「まぁ、それで、教員免許がとれる大学に行こうと思ってるんだけど、」
「それって美大じゃダメなんですか?」
食い気味に問いかけた私を少しだけ驚いた顔で見たあと「うん、それも考えたんだけど」と空を見上げた。
「教員免許取得に力入れてる方がいいかなって思って、1つレベルを上げた大学を受けることにした」
「それって、」
「…県外」
県外。
当たり前に、美大に進むと思っていた。
この辺りでは美大は一か所しかなく、つまりは同じ大学に通うものだと勝手に思っていた。
あぁ、だから。
会館で困ったように笑ったのか。
「で、レベルを上げたことで、俺はめちゃくちゃ勉強しなくちゃいけなくなったわけだ」
「・・・」
何がとは言わないけれど、足りてないわけね。
「だから、冬休みから予備校に通うことにした」
「そ、」
それは…まぁ、致し方ないですね。
「そういうわけで、俺はそのタイミングでサッカー部も美術部も引退することにした」
「へぇ………え!?」
引退!?もう!?
「早いって思った?」
「そ、そりゃまだ、だって、先輩絵描くの好きじゃないですか」
「息抜きに続けようかなとも思ったんだけどさー、俺絵描き始めたら楽しくなっちゃってやめらんなくなると思って」
その気持ちは痛いほど分かるし、
ひまわり畑での彼を思い出せば、頷けるけれど。
「勉強に集中しようかなって!」
「先輩…」
結構、真面目だったんだなぁ…
「やることやって、受験終わったら絵描きまくる!って決めたんだけど、どう?」
「どう?って私に聞かれても」
「だよね!」
ははっと声を出して笑った彼は、まっすぐにこちらを向いた。
「でもその前に、引っ掛かりはなくしたいから、言わせて」
彼の、目尻の垂れた奥二重がゆるりと細められた。
「好きです。俺と付き合ってくれませんか」
「…っ」
今までのどれよりも、ストレートな告白。
ついに(真)を聞いてしまった。
いろいろと処理しきれていないのに。
「え、と、その…」
「あ、返事今じゃなくていいよ!」
言葉に詰まっていると慌てて続けた先輩は、私の鞄を指差した。
「もし、俺と一緒にいたいと思ってくれたんだったら、さっき展示会でもらったチケット、
俺の分渡しに来てくれない?」
”あわよくばそれを口実にデートに誘うつもり”
あぁ…軽々しい”デート”なんかではなくなってしまったみたい。
しかもそれは、たった今私に託されてしまった。
ぐるぐると回る頭の中、とりあえず、言っておきたいことは。
「先輩…先輩なら、素敵な美術の先生になれますよ」
他のことは、追々、考えるとしよう。
「うわー!めっちゃ出来る気がしてきた!!頑張るわ俺!!」
にかっと笑う彼の頭上、分厚い雲の隙間から銀色に輝く月が私たちを照らしていた。
***
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