少女の選択

それから展示室をぐるぐる。

たまに行ったり来たり。

いつまでも見飽きないから、不思議だ。


美大生の作品はどれもが素晴らしく、味のあるタッチに制作意欲を搔き立てた。


普段はどんな絵を描いてるんだろう?

何を思って、何を伝えたくて筆を執ってるのだろう?


ゆったりとした足取りで何度目になるか分からない順路を進む。

そしていつも、同じところで足が止まる。


一際大きなキャンバスに描かれた、しんしんと降り積もる雪景色。

暗闇にぽかりと浮かぶ白い三日月。


なんでもない住宅街の聖なる夜は静まり返っている。

外套のない道は月明かりがどこか頼りない一筋の光を灯す。


その光の中、たった一つ、綺麗にラッピングされた大きな箱を大事そうに両手で抱え持つサンタクロースが佇んでいた。


息をする音ですら響きそうな、静寂さが漂う。


「この絵、つい見入っちゃうね」


となりに並んだ彼が小さく呟いた声に、こくりと頷いた。


物寂しさを思わせるなかに、どうしてか暖かい気持ちが湧く。

不思議と、大切な人に会いたくなる。


「作者さんにとって、とても、大切な人を思い描いたんでしょうね」

「うん、会いに行きたいんだろうね」


これほど強い思いを宿した絵は、初めて見た。

私には、描けない。


「絵って、その人の人生が出ますよね」

「そうだね」

「私はまだまだ経験が足りない」


視界一杯に広がるキャンバスを、目に焼き付ける。


「もしかしたらこの人は俺らより何年も先輩なのかもなー」


「まぁでもさ」と彼は続けた。


「絵は感性だと思わない?」

「感性…」

「生きてる年数イコール経験値ってわけでもないし、経験値が高ければ絵の質が上がるわけでもない。

 一つの刺激から何を感じたか、その感性が豊富なほど絵に深みが出ると思うな」


そう、上から顔を覗き込んだ彼と視線が絡む。


「…私にもこんな絵描けますかね」

「もう、描けてる!」


「だから、言ったでしょ、君の絵が好きだよって!」

そう、にかっと笑ったその顔に、ぽかぽかと心が温まるのを感じた。


「先輩、今日は絶好調ですね」

「なにが?」

「好感度、爆上がりです」

「え!まじ!?まじ!?!?」


興奮して声が大きくなる彼に視線が集まり、慌てて「うるさい」と一喝。

ぱっと口に手を当てて鼻息だけが荒ぶっている。


「え、なに、どうしたの?体調悪い?」

「なんでですか」

「だって、いつもならそんなこと絶対言わないから」


たまには素直に褒めてみようかとしてみればこの言われよう。

むぅ、と口をへの字に曲げれば、それはそれで意外な反応だったようで「えぇ?」と目をぱちくりしている。


「やばい、なんかもう俺ほんとに死んじゃった?」

「天国って言ってましたもんね」

「うれしー…」

「じゃ、そろそろ現実に戻りましょうか」


たっぷりの時間を費やして満喫した展示室から一足先に出口へ向かえば、外の寒さを思い出しぶるっと身震い。

「まぁ、そっちのほうがらしいけどさ」と呟いた声を背中に聞きながら、マフラーをきつく巻き直した。


「ありがとうございましたー!」と来た時とは別のお姉さんに見送られて扉を開ければ、

ぴゅうっと流れ込んできた冷気に顔を顰める。


気づけば外は薄暗くなっており、身体を包む空気が一層冷たい。


「寒い」

「ねぇ、聞いて!俺今ポッカポカ!」


そう両手を広げてはしゃぐわりに彼の鼻のてっぺんはすでに赤くなっている。


「見るからに寒そうですけど」

「さっきの言葉が嬉しすぎて走り回りたい気分」

「犬か」

「あ、それよく言われる」


たぶんそういう意味じゃない。


「まだ時間ある?」


問いかけに答えようと先を歩き出していた先輩を見上げた時。

ほわほわと小さくて白い綿が舞い落ちた。


「あ…雪…」


ふわりと頬に降ったそれがひんやりと冷たい。


「うわ、ホワイトクリスマスとか雰囲気ありすぎ!」


「すげー!」とキラキラした顔で空を見上げているのを見ていると、本当に犬のしっぽが見えるようだ。


「ふ、先輩はしゃぎすぎ」

「寒い!」

「さっきまでポッカポカだとか言ってたくせに?」

「心は今もポッカポカなんだけどなー!」


ふふっ、私は死ぬほど寒い。


「せっかくだからさ、デートっぽいとこ行かない?」

「え」

「近くでクリスマスマーケットやってんの!」


…へぇ。


寒さと、さほど興味がない気持ちが顔に出ていたのだろうか。

無言でにっこりと笑ってみせれば、にやりと唇を持ち上げた彼。


「今日見た展示作品のポストカードが売ってるらしい」

「行きましょう」


なんて素敵なことを考えるんだ。美大生って需要まで分かっちゃうの?


足早に歩き出した私を慌てて追いかけた先輩は、横に並ぶとくすくすとおかしそうに笑う。


「いやぁ、俺やっぱ分かってんだなぁ」

「…」


悔しいけれど、私のツボをしっかりと押さえている。


一瞬にして寒さが和らいでしまった。

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