少女の選択

日常が戻ってきて、特に大きなイベントごともなく幾日が過ぎた。

厚手の上着を着ていないと肌寒い季節に移り、空気の入れ替えをしようと窓を開けた途端、冷たい風がびゅぅと通り過ぎていく。


空が低い。


部室から見上げて、手を伸ばせば届きそうな分厚い雲に向かってはぁっと息を吐いた。

白い息が渦巻いて消える。


「さむぅ…」


誰もいない部屋に私の独り言がぽつりと落ちた。


手を擦り合わせながら、指先を温めるように息を吹きかけていれば、グラウンドにぞろぞろと運動部の人たちが流れてきた。

さみー!と悲痛な叫び声がそこかしこから聞こえてくる。

静かだったそこは瞬く間に騒がしくなり、必死に身体を温めようと忙しなく動いているのが見えた。


ぴゅぅと北風が吹き抜け、顔を顰める。


うぅ…寒い。

よくこんな寒い中でやろうと思うよな~


サッカー部が各々ウォーミングアップをしてるのを眺めながら、

夏も同じようなこと思いながら見下ろしてたな~と思い出す。


あの時は涼しい空間から高見の見物だったけれど、今はぬくぬくと暖かい空間からの物見だ。


キラキラと眩しいほど輝いていた太陽は雲のうしろに隠れ、

どこまでも澄んでいた青は、ほんの数滴グレーを垂らしたような色をしている。


「おーい!」


誰かを呼ぶ声がする。


「おいおいおーい!そこで縮こまってるお嬢さーん!」


視界の端に映り込む見慣れた人影が、明らかにこちらに向かって両手を大きく振り回している。

聞き慣れた声と、この寒空の下1人だけフレッシュにアピールしているその姿。

「あれー!?」なんて一向に視線が絡まないことに不思議そうに発したそれすら、よく通る。


ぶんぶんと大きく手を振る彼に渋々顔を向けてやれば、途端、にかっと白い歯が見えた。

視線がぶつかり、爽やかな笑顔の彼は何を言うでもなく手を振り続けている。


窓のサッシに頬杖をつき何か言ってくるのだろうと次の言葉を待つも、それは一向に飛んでこない。


なんだよ。何か言いたいことがあって呼んだんじゃないのか。

知り合ってからもう半年以上経つけれど、よく分からん人だ。


ふぅとため息にも似た息をつき、小さくひらりと手を振ってやれば一層激しく腕を振り回して、

満足そうにボールを弄る仲間のもとへ紛れていった。

ちらちらとこちらを確認していた仲間たちが彼を小突けば、えへへとだらしなく笑う先輩の横顔が遠目に見えた。


コートに沿うように並んで立っていたマネージャーが部員たちを眺めている中、彼女だけはこちらをにやにやと見ていて、

指先で小さくハートを作っている。


それを真顔で見ていれば、空気を読んだかのように北風が通りぶるっと冷たさに身を震わせた。


「寒すぎてる…」


どんどん奪われていく体温を取り戻そうと窓を閉め、暖房の温度を1度だけあげた。


さぁて、今日は何を描こうかな。


新しく出してきたキャンバスを目の前に、冷えた指先を揉みながら考える。


高校に入ってから、風景画を描くことが多かった。

グラウンドの風景や、先輩と行ったひまわり畑、

文化祭のクラスの様子、外のステージで聞いた下手くそなバンドを聞きながら見ていた景色なんかも。


どれもこれも綺麗な思い出ばかり。


思い返せば充実した毎日すごしてるなぁ、なんてしばし感傷に耽る。

こんな毎日がこれからも続けばいいのにな、なんてふと思った。


まさか、絵しか興味のなかった私がこんなこと思うとは。

人って変わるんだなぁ。


「あれ、真っ白じゃん!」


キャンバスとの間に突然にゅっと現れた彼の顔に思わず「ぎゃっ」と悲鳴をあげた。


「なんですか、急に」

「一旦休憩中ー。てか、この部屋暑くない?」


たらりと垂れてくる汗と、ユニホームの首元を手でぱたぱたと揺らし風を送っている先輩は、

何度設定?なんて確かめている。

1人だけ季節が違う。


「全然暑くないですけど」

「汗止まんねー!」

「今の今まで走り回ってたからでしょ」


サッカーしていた人間と何もせず思い出に耽っていた人間の体感温度が同じなわけあるまい。


「下げていい?」

「ダメです」

「窓開けていい?」

「暑いなら外戻ったらいいじゃないですか」


しっしと手で追い払う仕草をすれば、むぅと口を尖らせた彼は顔を逸らしながらぽつりと独り言ちた。


「話したかっただけだし」


室内に一瞬の静寂が走る。


「…さっき話した」

「話してない。手しか振ってもらってない」

「私が大声でせんぱーい!なんて言うと思いますか?」

「思わないから、来た」


暑いのか、恥ずかしいのか、ぽっと頬が赤くなるのを見ながら、


「照れるなら言わなければいいのに」


と言えば「言わないと伝わらないでしょ!」と怒られた。

それはそう。


「それもあるんだけど、」


続けた彼は、ぽりぽりと頬を搔きながらこちらをちらりと見る。

そして遠慮がちに聞いた。


「クリスマスの日、空いてる?」


クリスマス…

そうか、もうそんな時期か。そりゃ寒いはずだ。


「空いてると言えば空いてますし、空いてないと言えば空いてないです」

「またそれ!」

「絵描いてるんで」

「それはいつもじゃん」


にこり、微笑んでみせる。


「なぁんだ、分かってるじゃないですか。空いてないで、」

「俺の聞き方が悪かったわ。空いてるよね?」


被せるようにして、言葉を取られた。

今度は私がむっと口を尖らせる。


「空いてたとして、なんですか」

「デートしてください!」


でっ、


「デートぉ!?」


あまりにもストレートなお誘いに目をぱちくりしている間に「じゃまた連絡するー!」と

勝手に約束を取り付けて、彼は颯爽と去っていった。


「台風みたいな人だな!」


ほんのり熱気の残る空間に吐き捨てるように言った。

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