少女の選択

もはや隠そうともせず、眉根を寄せた顔で頭を下げる先輩を見る。

眉間に刻まれた深い皺が、どうか残りませんように。


「か、」


小さく零れたその音を拾った。

その直後に、


「かっこいいー…」


とろんと見惚れるような甘ったるい声音が私の耳に飛び込んできたのと同時に、

歓声のような声が教室内に充満した。

耳をつんざくような甲高い声に、いよいよ耳を塞ぐ。


廊下で並んでいた人たちもドアにぎゅうぎゅうと詰め寄り見ていたのだろう、外からも悲鳴に似た声が聞こえてくる。


その凄まじい音の中、ただ1人、男の子だけは先輩へ熱い眼差しを向けており、

あたかもそれは恋する乙女のようにうっとりしている。


「スカーレット様…いや、女王様!いや、お二方!いや、執事殿!とても素晴らしいです!

僕もスカーレット様とこんな関係でありたい!感謝します!」


がばっと勢いよく頭を下げた男の子に、先輩は微笑みかけ「君ならなれますよ」と頭を撫でた。


おーい。

ここはいつから舞台になったんだ。

カフェというなの劇場か?

いつまでやるの、これ。


「ねーねー」


ちょんちょんと腕をつつかれて声のする方を向けば、金髪の縦ロールを人差し指でくるくるする彼女がいた。

耳元へ顔を寄せ、こそっと呟く。


「これ公開告白ー?」

「どう考えても違うでしょ!?」


「なぁんだー」とつまらなさそうに少し口を尖らせた彼女に、なんでこれが告白になるの!?と訊いてみれば、

「命に代えてもあなたを守ります、なんてもうプロポーズじゃない?」と言われて衝撃を受けた。


プロポーズって、こんな茶番で成り立つものなの!?


「こういうプロポーズが良ければやるよ?」


横から口を挟んできた先輩に「ご遠慮します!」と顔をしかめれば、

あははっと楽しそうに笑った。

その白い歯がなぜか今日は一段と眩しく見えたのは、キャラのせいか、なんなのか。


「ていうか君、アイドルになる気ない?」


跳ねるような声で、興奮気味に勧誘し始める彼女が、ぐいと男の子に顔を寄せる。

それにあたふたと身体を仰け反らせた少年の顔がぽぽぽっと赤く染まった。


「あ、え、ない、でござる!」


リアルな女性には耐性がないのだろう、

可愛らしい顔がいきなり間近に迫ったことに驚いて焦りのままに答えたそれはどこぞの武士のようだった。


「やだ、本当に可愛い顔してるー推せるー」


少年の心を知ってか知らずか、前髪をひょいとかき分けて露わになった綺麗な瞳にときめいている。

途端、湯気が出そうなくらい真っ赤になった顔。

ぐるぐると目が回り倒れてしまいそうな男の子を見かねて、慌てて彼女をひっぺがしてやった。


「どうしよう原石見つけちゃった!」

「まぁ、私もアイドルになれそうだなとは思ったけど」

「だよね!?可愛いよね!?」


「勝手に応募したらダメかなぁ?」なんて、本当にやりそうだったのでさすがに止めた。


「女王様、オススメの飲み物2つくださーい!」


いつの間にか席に座りなおしていた先輩はそう告げて、男の子に「だーいじょうぶかー」と声をかける。


「君、ゲームもいいけど、もうちょっと現実の女性にも慣れといたほうがいいよー?」

「ぼ、僕にはスカーレット様がいれば十分…」

「そんなんじゃダメだってー」


執事キャラを忘れていつもの調子で会話する先輩を、男の子もいろいろな衝撃で受け入れてしまったのか普通に会話している。


「アイドルになったらもっと大勢の女性に囲まれるんだからなー?」


いやなんで先輩もそっち路線!


注文された飲み物を作りに行こうと背を向けたところへ飛んできたそれに、思わずズコッとこけてしまった。



そんなこんなで、めちゃめちゃになっていた教室内が落ち着いたのは、先輩と少年が仲良く肩を組みながら去ったあとだった。

それからは時間なんて気にならないくらい、次々と訪れるお客さんの接客に追われた。


休憩をもらえたら先輩の教室も行ってやろうと思っていたけれど、先ほどの寸劇が反響を呼んでしまったのか、

客足は途絶えることがなく。

イケメン執事が忠誠を誓ったスカーレット様に似ている女王様にお目にかかりたいと願う人が続出し、私は小刻みに休憩をとるしかなかった。



そうして怒涛の文化祭は終わりを迎え、野外ステージでは生徒たちの打ち上げとして教員の出し物が催されていた。

盛り上がる声を遠くに聞きながら、制服に着替えて暗い教室で1人ぐったりと机に突っ伏す。


ふーっと息を吐く。


文化祭って、こんなに慌ただしいものだったのか。

去年休憩所をやったという先輩が、少し羨ましい。


美術部の教室も覗きに行きたかったのに、結局行けなかったし…

飾った絵は、たくさんの人が見に来てくれただろうか。

私や先輩の想いが詰まった1枚を、素敵だと思ってくれた人が1人でもいてくれたらいいなぁ。


「お疲れ」


ふいに頭上に注いだ優しい声に、顔をあげずに「お疲れ様です」と返した。

誰かなんて見なくても分かる。


「無理やり接客やらされたわりに、結構ノリノリだったんじゃない?」

「開き直らないとやってられないんで」

「俺も、結構楽しかったなー」


「はいコレ」ことりと置かれたペットボトルのお茶を、目の端に捉える。


疲労に満ちる重たい身体をのそりと起こしてお礼を言い、口をつけた。


「結局、先輩のところ行けなかったのが心残りです」

「こっちでやるよりも丁寧なおもてなしをしたじゃん」


あの寸劇を思い出して顔が歪む。


「本当、何がどうなってあんなことになったのか今でも謎です」

「ねー俺もー!」


ケラケラと笑う声を聞きながら、やり出した本人がこれじゃあ分かるはずもないと諦める。


「文化祭、どうだった?」


初めてだったじゃん?と窓際の壁にもたれながら問うてくる。


「こんなに疲れるんだってさっき思ってました」

「あっはは、凄まじい人気だったもんなー!」

「先輩のせいでもありますけどね」


椅子の背に体重をかけながら天井を仰ぎ見る。


「まぁでも、売上1位とったんで、元はとれました」


脅威の売上を叩きだした私たちのクラスはイケメン執事と圧巻の差を見せつけた。

今度担任がなにか奢ってくれるらしい。


「うお、なんか凄いよ、外」


そう窓にべたりと張り付いて外を見下ろしている先輩。

残念ながら立ち上がる気力はないので「へぇ」と適当に相槌を打つ。


「今年の文化祭はさー、描こうと思ってんだよね」


顔だけ先輩のほうへ向ければ、外の明かりに照らされて柔らかく微笑む横顔が見えた。


「…私もです」


小さく呟いた声だけれどしっかり彼に届いたようで、少しだけこちらを見た瞳がふんわりと細められた。


疲労感は凄いけれど、純粋に楽しかった。

なりきって接客しているクラスメイトも、先輩と食べた屋台飯も、下手くそなバンドも、どれもが新鮮だった。

鮮やかなグリーンに泡が踊るのを思い出す。

しゅわしゅわ、弾ける甘い炭酸が、口の中に蘇った。


「来年は、是非とも彼女として一緒に回ってくれることを願うよー」


いたずらに笑う顔の奥に、まぁるい月が浮かんでいる。


本当、まっすぐで綺麗な人。


ふは、と笑う私にふらりと近づいた彼は、何も言わずにただゆっくりと頭を撫でた。

その大きな手の平に、少しずつ疲れが取れていく気がした。

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