少女の選択

「…」

「…」


いや、なんで。


看板を持つ彼女を背に、のろのろと歩き出して数歩。

今から向かおうとしていた教室にいるはずの人が、何故か目の前にいる。

周囲からはキャーっと黄色い声が上がり続けており、皆の視線を奪っている人物。


「なんでここにいるんですか、先輩」

「いやそれこっちのセリフなんだけど!?」


廊下でばったり鉢合わせたフレッシュ先輩は、うしろにロバ先輩を引き連れていた。

彼もまた、執事喫茶やってますの宣伝用看板を面倒くさそうに肩に担いでいる。

2人とも黒い燕尾服に白い手袋を着用しており、先輩は銀縁の伊達眼鏡までかけている。

普段は無造作に跳ねている髪も今日は大人しく、いつもとは違う知的な印象だ。


「どこ行くの?休憩貰えたから今から行こうとしてたのに!」

「そのセリフそのままお返しします」

「でも看板持ってるじゃん。仕事中でしょ?」

「そのセリフもそのままお返ししますよ」


きっと同じような流れで今ここにいるんだろうなぁ。


ひょこと背後から顔を覗かせた彼女が「あ!先輩、お疲れ様ですー!」なんて挨拶すれば、

彼のうしろにいたロバ先輩もまたその声に反応してひょこりと顔を覗かせた。


つまり、これはお互いに接客してもらえない状況になっているというわけだ。

見事にタイミングが合ってしまったらしい。


出鼻を挫かれた。


1歩も動かず見つめあう私たちを、通行人が避けて通り過ぎていく。


「ねぇ、あれって美人女王様とイケメン執事って言われてる人たちじゃない?」

「だよね!やば、絵面がえぐいんですけど」


そんな囁くような声がどこかから聞こえたかと思うと、それは瞬く間に周囲の人たちへ伝染していく。


「凄いツーショットじゃない!?」

「同時に接客してもらいたーい!」


なんて無茶な願望に、うしろで看板を持つ彼女が「ツーショットってなに!?私もいるんだけど!?」と突っ込んでいた。


「そこのカッコいい執事さん、そろそろお仕事に戻ったらどう?」


周囲の人たちまで足を止め、狭い廊下で通行止めが起き始めている状況をなんとかしようと試みる。

女王様らしく、腕を組み少し顎をしゃくる。

うしろのシャルロットも、すっかり役になりきって取り囲む若者たちへヒラヒラと手を振りながら看板を見せびらかしていた。


「女王様、皆が待っております。お戻りになられては?」


先輩も負けじと恭しく斜め45度に腰を曲げた。

その様が知的な雰囲気とよく合っていて、ニコッと笑えばちらりと見える白い歯が女子を沼に引きずり込んでいるのだろう。

数名、くらりとよろけたのが横目に確認できた。


「え~私も執事さんたちにおもてなしされた~い!」


縦ロールを人差し指にくるくると巻き付けて話す彼女が横に並んで「ダメですかぁ~?」と可愛くねだる。

それが誰に効くかを、きっと彼女は分かっているのだろう。

ニコニコと笑顔を向ける先は、先輩の背後に立つ彼だ。


「おおおお嬢様!このわたくしめが丁寧におもてなしいたします!!」

「わ~い、嬉しい!」

「ささ、行きましょう!こちらです!」


看板を奪い取り低姿勢を崩さずに案内するロバ先輩に「おい!」とフレッシュ先輩が声をかけ、

私は縦ロールを揺らしながらついていこうとしている彼女を「ちょっと!」と引き留める。


「せっかくの文化祭だし楽しまないとだよ!2人で回ってきたら?」


パチンとウインクしてするりと私の手を離れた彼女は、そのままロバ先輩のもとへ駆け寄り2人並んで人ごみの中に消えてしまった。


取り残された女王様と執事。

看板も持っていかれてしまい、私たちはただコスプレしてる人になってしまった。

さて、どうする。


お互いに顔を見合わせて、暫し黙る。


校内カフェの人気ツートップが廊下のど真ん中で立ちすくむ様は、よほど絵になったのか。

キャッキャとはしゃぐ声に紛れてカシャカシャと撮影する音があちこちから鳴り出した。


「こういうの盗撮っていうのかな」

「盗撮っていうには丸分かりですけどね」

「ていうか、そのドレス、似合ってんね」


…それ今言う!?


不意を突かれた賞賛に驚いて先輩を見上げれば「可愛い」と笑う。

ゆるりと細められたタレ目がまっすぐにこちらを見つめるものだから、思わずふいと顔を逸らしてしまった。


「また、それ言う…」

「うん、もうね、ストレートにアタックすることにした」


アタックって…昨日の告白(仮)は本気だったのか…

疑ってたわけではないけれど、どうにも現実味に欠けるというか。

そんなことが本当にあり得るのか?と思ってしまう自分が消えないでいた。


逸らされた視線を追いかけるように、彼の顔が覗き込んでくる。

ぱちりと視線が絡められて、いつもとは違う知的な顔に見つめられる。


「うん、やっぱり綺麗だよね」


~~だから、それ今言う!?


「なにも、こんな大勢の人がいる中で言わなくても!」

「どうせうるさくて俺の声なんて聞こえてないって」


それは、そうかもしれないけど!


「あーぁ、他の男に見せたくないなぁ」


するりと頬を撫でた彼の指。

落とされる言葉の節々から彼の好意が零れてくるようで、


あ、この人本気で私のこと好きなんだ。


さすがに認めざるを得なかった。


途端にぶわっと頬が熱を帯びたのが自分でも分かった。

ドクッドクッと心臓が大きく跳ねる。

急に恥ずかしくなって身体が硬直する。


そんな私などお構いなしに、数センチ先まで近づいた彼の顔。


「顔赤いけど、大丈夫?」

「大丈夫だから、ちょっと離れてほしい!」


今、ちょっと、いっぱいいっぱいなの!


くるりと周囲を見回して「さすがに人に囲まれすぎちゃってるかー」と渋々距離を取ってくれた彼。

プハッと息を吐き、浅く呼吸を繰り返す。


この人、こんなことさらっと言ってのける人だったっけ?

キャラ変?執事になってるから?

何でもいいけど、恋愛慣れしていない私にはいろいろ急展開っていうか、ストレートすぎて刺激が強いんですが!?


「とりあえず、脱出ー!」


そんな掛け声と同時にぐいっと手を引かれて身体が傾いた。

「女王様が執事に連れ去られた!」「なにこの少女漫画的胸キュン展開!」と盛り上がる人だかりを縫うように、先輩はずんずん進む。

手を引かれるまま、転ばないようにドレスの裾を持ち上げて走った。


周りがスローモーションのようにゆっくりと流れ、すれ違う人たちが羨ましそうに眺めているのが分かる。

まるで今この瞬間、自分が主人公のような、少女漫画のヒロインにでもなったかのような、そんな気分。


中学生のとき、友達が見せてくれた漫画のワンシーンにこんなような場面があった気がする。

あれは爽やかなイケメン君と、大人しくてあまり目立たない子が一緒に走っていたっけ。

あの時友達は「キャー!ドキドキしちゃう!私もイケメンと一緒に走りたーい!」なんてじたばたしていた気がする。


なるほど、これがあの胸キュン展開なのか。

イケメンに手を引かれて、周りから羨望の眼差しを向けられながら走り抜ける、これこそが。

女子の憧れだったのか!


そして漫画の中では、2人はそのうち楽しくなって笑いながら並んで走っていくんだ。

息を切らしながらも、2人だけの空間で顔を寄せ合って「俺ら何やってんの」なんて、お腹抱えて笑い合うの。

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