少女の選択

どれくらい経ったのだろう。

カナカナカナ、とひぐらしが鳴く声にふと現実へ戻ってきた。


腕を空へと伸ばしぐーっと目一杯身体を伸ばす。

気が付けば空はオレンジに染まり、傾く太陽が遠くの海とぶつかりそうになっていた。

用意していたアーモンドも飲み物も空っぽだ。


絵はその場を映したような完璧な風景画となっており、もう大満足だった。


ふと横を見れば、今もなお真剣な表情で手を動かしている彼。

シュッシュッと紙と色鉛筆が擦れる音が響く。


あれほど照り付けていた日差しも弱まり、そよそよと吹く風が気持ち良い。

カナカナカナ、ひぐらしの鳴き声が夏の終わりを教えているようでなんだか物悲しくもあったり。

目を閉じて、静かに音を感じる時間がとても穏やかだった。


もう少し、そっとしておこう。



そうして空の端が薄っすらと紫がかってきた頃、絶え間なく聞こえていた音がピタリと止んだ。

ふぅ、と息を吐く彼に「先輩」と声をかけてみるも、それは華麗にスルーされた。


まだ集中切れてないんだなぁ。

凄いや。


「せんぱーい」「先輩ー」と何度か声をかけるも届いていないようで、しかたなくぐっと顔を寄せた。


「おーい!」

「うわぁ!」


耳元で声を張り上げてやっと聞こえたらしい。

大きく身体を仰け反らせながらこちらを見た彼の顔は、目も口もぽかんと開かれていた。


「もうすぐ、日が落ちますよ」

「え、あ、え!?」


現実に引き戻されて周りをきょろきょろ。

辺り一面オレンジに染まる風景を見て「うわ、めっちゃ集中してた!」と自分でもびっくり。


「いつかの私みたいですね」

「そういえばそんなこともあったなー」


部室で外が薄暗くなるまで絵を描いていたことを思い出す。


「先輩、写真撮ってあげますよ」


そういえば、私だけ撮ってもらってそのまま描き始めてしまったなと思い、今さらながら提案してみれば、

「やった!」と勢いよく立ち上がった彼はそのままひまわり畑の中へと歩いていく。


夕日が沈んでいく瞬間。昼間とは違った顔の太陽が、ほんの少ししおらしくなったひまわりを照らしていた。


ひまわり畑の入り口で携帯を構える。

画角を変えてみたりズームしてみたりしながら、彼のうしろ姿を何枚か収めていく。

絵になる男だな、なんて。まるで雑誌に載せる写真を撮るように映えを意識してシャッターを切っていく。


風に揺れる毛先、ちらりと見える綺麗な横顔、携帯の画面は全体的にオレンジ色に包まれて、そこに写る彼。


「綺麗…」


思わず見惚れる。


半分見えなくなった太陽が彼を照らすサマを収めたくてシャッターを押したのとほぼ同時だった。

画面越しの彼がゆったりと振り返り、携帯を構える私へゆるりと笑いかけた。


ドキリ、と心臓が跳ねた。


あぁ、描きたい。


無意識にそう思っていた。


「どうー?いい感じー?」

「え、あ…ハイ!完璧です!」


動揺してしまった。

人を描きたいと思ったのはいつぶりだろうか。

綺麗だと思ったのは、いつぶりか。


それと同時に、きっといつか彼は彼女の隣に並ぶのだろうと。


胸が疼く。


2人がお互いを見つめて微笑む姿を想像する。

とてもお似合いだと思う。

なのに何故、今この時間を一緒に過ごしているのが私なんだ。

彼の横に並ぶのは私じゃない。私じゃダメなんだ。


だって、私がそこに立ってしまったら、

一体誰がその風景を絵にするというんだ!

せっかくの素晴らしい風景だ!それを描くのは私がいい!絶対私が描く!


さっさとくっついてくれ!



「撮った写真あとで送って!」

「厳選して送りますね」

「何枚撮ったの?」


帰り道、日が落ちきる前にと足早に下る。


「ベストポジションになるように連写したりしました」

「それ変な顔とか写ってそうなんだけど!」

「大丈夫です、全部うしろ姿なんで」

「それはそれでなんで!?」


ちゃんと顔が映っているのは、振り向いたあの時だ。


「ちゃんと顔写ってるのもありますよ」

「ビックリしたー!」

「すごく、良い写真です」


ぽつり、呟くように言えば、2人の間に一瞬の静寂が訪れた。

そして頬をぽりぽりと搔きながら、彼は照れくさそうに言った。


「なんか、そんな風に言ってもらえると…嬉しい」

「奇跡の1枚です」

「ん!?それ喜んでいいやつ!?」

「私カメラマンになれるかも」


カメラを構える仕草をして見せれば、


「そしたら被写体第一号は俺ね!」

「なんでですか」

「そこはハイって言ってよ!」


ケラケラと彼の笑い声に包まれる。


「ていうか、さすがにお腹空いたわー」

「集中しすぎてましたよね」

「アーモンドで凌いだ」

「それは良かったです」


無意識に紙コップの中身を補充していたらしく、袋で持ってきたはずのアーモンドは綺麗になくなっていた。

食べすぎ防止とは。


駅に着けば、タイミング良く滑り込んできた電車。

ガタンゴトン、2人で揺られるうちに眠りについていた。



こうして、暑い暑い夏が過ぎていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る