少女の選択
日が落ちるのがだいぶ遅くなってきた頃。
もう少しで部活時間も終わろうという時に、思い出したかのように先生が部員を集めた。
「毎年恒例になってて忘れかけてたんだけども、そろそろ文化祭に出す絵の作成に取り掛かるようにね」
まさに美術部顧問、というような茶色いベレー帽をかぶったおじいちゃん先生。
おっとりしていて眼差しも喋り方もいつでも優しい。
数年に一度個展を開くと結構な人が訪れるという、ここらではちょっぴり有名人だ。
「先生ー、出す枚数も例年通りですかー?」
「うん、そうだね。出したい人はたくさん描いても良いけれども、今年も書道部と合同になるからね、スペースは限られてくるよ」
少ない部員たちが各々それについて話し始めたことをにこやかに見ていた先生は、
「1年生の子にも、詳しい説明してあげてね。じゃあみんな、気を付けて帰るんだよ」と付け足してゆっくりと部屋を出て行った。
文化祭かぁ。
たしか毎年秋にやってたような?
一般公開していて地域の人たちも多く来るって説明会で言ってた気がする。
「文化祭、ここは10月末にやるんだ」
キャンバスを片付けていれば、同じく片付けにきた先輩がそう教えてくれた。
「美術部も毎年教室を借りてて、そこで描いた絵を飾るんだよね」
「書道部と合同っていうのは?」
「あぁ、部屋がね、一部屋を俺らと書道部が一緒に使うことになっててさ」
なるほど。
となると、使えるスペースはたしかにかなり限られてくるか。
「昔はそこに華道部も混ざってたらしいよー」
「華道ってお花ですよね?そんな部活ありましたっけ?」
「途中で廃部になったって聞いた。顧問の先生が定年退職して、その時になくなったって」
知らなかった。
理由が理由だから、美術部ももしかしたら…?
先生、結構なおじいちゃんだし。
「でも一部屋に絵と書と花って、情報量多いですね」
「そうだよなー。俺としては美術部で一部屋ほしいくらいだけど!」
「それは同感です!」
だよなー!と笑う先輩は、描きかけの絵が並ぶ壁際を見渡した。
「俺さ、ほんとはもっと大きいキャンバスで描きたいんだよね」
こーんな、と自分の腕で大きな枠を表現する彼。
めいっぱい広げられたその腕には、ところどころに絵の具が付いていた。
「いつか自分よりでっかいキャンバスに思いっきり描くのが夢!」
そう語るその顔は子どものようで、思わずふっと笑みをこぼしてしまった。
「あ、ガキっぽいとか思った?」
「子どもみたいです」
「言わなきゃ良かった…」
「子どもみたいで、素敵です」
夢を語ることは全然悪いことじゃない。
それが人からしたらくだらないとか、子どもみたいとか思われたとしても、言葉にできることが素晴らしいと思う。
「これやりたい、こうなりたいって話してる人って、キラキラしてるんですよ」
「キラキラ?」
「はい、わくわくしてることが伝わってきて、私も楽しみになっちゃうんですよね」
あの日、彼女が先輩とのこれからを思い浮かべて話す姿が浮かぶ。
「夢とか目標とかって、口に出すことが大事だと思いませんか?」
そう隣に立つ彼に問いかけると、広げたままの腕そのままにじっとこちらを見つめていた。
その奥二重のタレ目が、
「あは、なんでちょっと泣きそうな顔してんですか!」
いつも爽やか満点の顔が、ほんの少し歪んでいる。
「大きな紙に自由に絵を描きたい、なんてガキかよって笑われるんだよ」
「そういう人は勝手に笑っていればいいんですよ。絵の素晴らしさを知らないなんて、もったいないですけどね!」
「俺もそう思うんだけど、直接言われると結構くるなーて思ってさ」
「フレッシュ先輩でも悲しいなって思うことあるんですねー」
「当たり前だろー!俺だって人間なんだから!いつだってフレッシュなわけねーって!」
「今のところいつだってフレッシュですけどね」
「まぁ、9割そっち系ではある」
そっち系なんじゃん!
ふはっと笑えば、彼もまた目を細めてニカっと笑った。今日も今日とて白い歯が輝いている。
「ちなみに、私の夢は画集を作ることです!」
「画集!?うわーかっけぇー!」
「そうでしょう?いろんな世界を旅しながら、自由に気の向くままに絵を描きたいんです!」
「作ったらさ、俺に一番に見せてよ!」
「なんでですか」
「そこは笑顔でハイ!って即答するところじゃない!?」
ちょっと分かんないです、とふいと顔を逸らせば、横で「えー」なんてがっかりする声が聞こえた。
人に自分の夢を語れることも凄いけれど、こうやって誰かの夢を否定せずに認められることも十分凄い。
実はこの話、誰かにしたのは初めてだったりする。
そんなの無理でしょと言われるのが怖くて、言葉にできなかったり。
先輩に対して言った言葉は、実は自分に言い聞かせてたり。
「かっけぇー!」と言ってくれた彼に、こちらもどれだけ嬉しかったか。
…なんて、絶対に言わないけれど。
「お互い夢大事にしよーな!」
「あ、ちょっとそういう熱いやつは要らないです」
「良いこと言ったのに!!」
先にパレットの片付けに移った私を追いかけて、彼もまた自分の道具を片付け始めた。
「で?」
黙々と片付けを進める彼に、先を促す言葉だけ放り投げれば、頭上に分かりやすく?を飛ばした顔がこちらを向いた。
「文化祭の話してましたよね?」
「あぁ!そういえばそうだった!」
メインはそっちですよ、フレッシュ先輩。
先輩が夢の話なんか始めるから。
「お互いの夢を熱く語ってたから忘れてたね!」
ウインクでもされたんじゃないかと思えるほど語尾が跳ねた、同意を求める声。
巻き込み事故だ、これは。
「違う先輩に聞きます」
「いやごめんって!もう言わないって!」
大げさに溜め息をつけば、先輩は「帰りながらにしよ!」と鞄を手にした。
いつの間にか私たちだけになっていた室内。
パチンと電気を消して部屋をあとにした。
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