少女の選択
がらりと美術室のドアを開ける。しん、と静まった空間があった。
今日は誰も来ていないらしい。
窓を開ける。
カーテンをまとめて、なんとなく窓際にキャンバスと椅子を置いた。
風とともにどこかから聞こえてくる吹奏楽部の音符たちと、運動部の声が流れ込んできて、髪を撫でた。
さてさて、今日は何を描こうかな!
絵の具をパレットに並べながら真っ白なキャンバスと向かい合う。
筆を持った指をゆらゆらと揺らしながら、う~んと悩む。
この時間もワクワクしちゃう。
「おーい!球見送るなよー!」
「いや今のは打てないって!」
「野球やってねぇわー!サッカーしろー!」
ぶわっははは!と豪快な笑い声が飛び込んできた。
そうか、サッカー部。
筆を持ったままグラウンドを見下ろせば、サッカー部であろう人たちがゴール近くでわらわらと集まっていた。
その中心でフレッシュ先輩が笑っている。
周りからビシビシとはたかれているところを見るに、さきほど一人だけ野球していたのは彼だろう。
ばかだなぁ、なんて、思わずふっと笑ってしまった。
あ、いたいた。
コートの淵に立つ数人の女性陣の中に、ふわんふわんの茶髪を一つにまとめている彼女もいた。
隣にいる子と笑っている。あの、ころころとした笑い声がここまで聞こえてくるようだった。
ピーっと試合再開の笛を合図に、部員たちは散り、まごうことなきサッカーボールが宙を舞った。
みんなが一斉に走り出す。
ここからはあまり良く見えないけれど、きっと彼女はたった一人を追いかけているんだろうな。
少しだけ傾きはじめた太陽と、こっちこっちー!と叫ぶ声。
タオルやドリンクを用意するマネージャーさんたち。
なぁんか、青春してるな~。
まぶたを閉じれば、階下から吹奏楽部の奏でる音楽が届く。
あぁ、これ、描きたいな。この感じ、いいな。
風景画久しぶりかも。音符をどう表現しようかな。
この楽しそうな声は?太陽の輝きは?彼女の恋心は?ついでに先輩の爽やかさも。
あぁ、全部描きたい!
窓に頬杖をついたまま、筆をゆらゆらと揺らす。
頭の中で色が踊りだす。
イメージが膨らむ。
あぁ楽しい!ワクワクする!
ワクワクする!!
「キャーッ」
ぴょんっと謎に飛び跳ねて、キャンバスへと向かいパレットに並ぶ色を筆にとる。
するすると筆を走らせる。
真っ白だったそれが彩る瞬間が、とても好きだ。
流れ込んでくるものすべてが髪を揺らし、気持ちが良い。
ただ一心に思うままに色をとった。
自由に。好きなように。
やっぱり私は絵を描くことが好きだ。
彼女が先輩に恋するように、私は絵に恋でもしているんだろうか。
だとしたら、今自分は彼女のような顔をしているのだろうか。
真っ赤に染まったいちごのような、うっとりするような。
あぁ、恋するって楽しい!
「おーい」
「うえ!?」
突然耳元で聞こえてきた声にすっとんきょうな声をあげた。
「どんな返事だよ」と声の主は横でケラケラと笑っている。
「え、フレッシュ先輩」
「はい、フレッシュ先輩です」
「どうしたんですか?サッカーは?」
「もう終わったよ!」
そう言われて時計を見れば、とっくに部活時間は過ぎていて驚く。
外は明るい紫に変わり、いつの間にか吹奏楽の音楽も止んでいる。
こころなしか入ってくる風もひんやりとしていた。
あら、そんなに集中してたかしら?
「あっちから何回か声かけたんだけど、全然気づかないんだもんな」とドアを指さす。
それでこんな真横にいらっしゃったのか。
「すみません、集中しすぎました」
「全然いいよ!俺もよくやるー!」
「先輩、ちゃんと絵好きなんですね」
「ちゃんとってなんだよ!めちゃめちゃ好きだよ!」
「失礼な!」と腕を組む彼は、そのまま悪戯っ子のような笑みを浮かべて、
「そっちこそ、一人でにやにやしながら飛び跳ねてたの見えてたからな。変態!」
と、にやり、したり顔。
「げっ!」
「勝手に覗いてるほうが悪いんだからなー!」
「どこかの誰かさんが、サッカーやってる途中に野球始めるのがいけないんですよ」
「それ見てたの!?やめろよー!」
ふふんっとドヤ顔をしてやれば、恥ずかしそうに顔を隠した彼はその場にしゃがみ込んだ。
「でも、おかげさまで素敵な絵が描けそうです」
「どんなん?」
「出来上がったらお見せします」
「なんだよー!楽しみじゃんか!」
下からこちらを見上げてニカッと笑うその人は、なんだか幼く見えた。
少しだけ、彼女が可愛いといった気持ちが分かった気がした。ほんの少しだけど。
「あれ、ていうか先輩なんでここに?」
道具を片付けながら問いかければ、窓を閉めてくれていた彼の動きがぴたりと止まった。
「え、いやー、まぁ、いるの知ってたから」
「知ってたから、わざわざ来たんですか?」
「わざわざっていうか…」
「暇なんですか」
「暇じゃないわ!」
だったらそのまま帰ればよかったのに。
「まぁでも俺が声かけてなかったらいつまでもいたろー?」
む…それは、否定できない…
「わざわざ来てやったんだから感謝しろよなー!」
「ありがとうございます?」
今度からアラームでもセットしておくか。
よいしょ、と鞄を肩にかけるのを横目に、先にドアへと歩き出した彼は高く腕を上げぐっと身体全体を伸ばす。
頭1.5個分くらい高い背丈。
私から見てこれなら、彼女から見たらもっと高いんだろうな。
顔遠そう。
あ、そういえば!
「先輩って、彼女いるんですか?」
ふと思い出した彼女との約束を果たそうと、一気に力が抜けてだらんと歩く背中に声をかけた。
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