少女の選択

「今まで何人もの人間を見てきたが、おまえほど生き生きとしている死にかけはそうそうおらんぞ」

「生き生きとしている死にかけってどっちなんですか」

「こちらが聞きたい」


肘掛けに片肘をつき、その綺麗な形をした指先は自身の額に添えられている。

頭が痛い、とでも言うようなしかめっ面だけれど、それでもなお彼女は美しい。


「お嬢さん、最初に声かけた時から元気だったからね」


「いよいよシステムがバグったのかなって思っちゃったね」なんて言いながらお腹を抱える彼もまた、変わらずイケメている。

神様って本当にいるんだなぁ、なんてふと思った。


「ここにある本はすべて私の趣味で集めたものだ」

「趣味!?」


趣味でこれだけの本を!?いったい何冊あるのやら!


「気に入りはそこの手前の本棚にある魔法書だ」

「へ~…って魔法書ぉ!?」


ほんとに魔法書だったの!?


「魔法使いが記したものらしいが、いつの時代のものか、誰が書いたものかすべて謎だ」

「どんなことが書いてあるんですか?」

「自身が旅した何千年分の日記と、気に入りの魔法だ」


なんかもう、どこから突っ込んだらいいんだろう。

どこから、というよりすべてに突っ込みたいくらいなんだけど。

意味分かんなすぎて、私の頭じゃ理解出来ん。次元が違いますな。


「読むか?」

「日本語ですか?」

「いや」

「じゃあ大丈夫でーす」


読むか?じゃないんですよ、読めないんですよ。英語すらまともに読めないのに魔法書だなんて。とびっきりの外国語ですからね。


「紅茶、冷めちゃったでしょ?淹れなおすよ」


よほど笑ったのだろう、目尻にじわりと涙を滲ませた彼が、まだ半分ほど中身の残っているカップを下げてくれた。



「ほかにもいろいろ集めたぞ。画集もある」

「見せてください!!」


それそれぇ!そういうのを教えてくださいよ紅様ぁ~


「あれもいつの時代のものか定かじゃないんだが…」

「いつのものでも良いです。絵であればそれが何で描かれたものであっても」


ふんすと鼻息荒く前のめりになるのを一瞥して「相当な絵好きなのだな」と呟いた彼女。

どこにあったか、と記憶を巡らせている彼女を、今さらながらじっくりと拝んでみる。


和装ながら、ワンピース仕様のお召し物。着物をリメイクしたとでも言おうか。

濃い紫を基調とし、金銀、そして赤を差し色に花が散りばめられている。

そして彼女もまた、中に黒のタートルネックを着ていた。


成人式の着物は、こんな色合いのものがいいな、そしてこんな着こなしをしたいな、なんて。

死にかけの身で何を考えているんだか。


「その画集なら、奥の棚だよ」


湯気のたつティーカップを運んできた彼がにこやかに助言すれば「あぁ、そうだった」と思い出した彼女は、すらりと立ち上がった。

160は超えているであろう、思っていたよりも長身の身体はやはり細く、帯は何周巻き付けたのかしらとしょうもないことを考えてしまった。


そして、こちらも意外だったこと。


「自分で取りに行くんだ」


なんとなくだけれど、彼女と彼は主従関係にある気がしていたから。

さも当然のように彼に取ってきてちょうだい、と指示するのかと思っていた。

なんの躊躇いもなく歩き出した彼女を見て、少し拍子抜けしてしまった。


「失礼だな。これくらい自分でやるさ」


なんて少々むっとした声と同時に差し出されたB4サイズの画集。


「うわぁすごい!ありがとうございます!」


目の前の餌に飛びつく犬のように、ぎらりと目を輝かせてそれを開いた。

今までいろいろな本屋を巡ったり、ネットで調べてみたりしていたけれど、一度も見たことのない画集に興奮が止まらない。

作者も、発行日も、まるで情報はない。時が経ちすぎて消えているというわけでもなさそうだ。

魔法書同様、摩訶不思議本だ。


だけど、絵は誰でも読める。

文字が読めなくても、とびっきり外国のものだとしても、人類共通で楽しめるものだと信じている。


アクリル絵の具だけじゃない、水彩画や水墨画、油絵で描かれている絵もあれば、色鉛筆のような色彩のものも。

わりと現代に近しいものなのか?

かと思えば、なにかの実をすり潰したのか?というようななんとも言えない質感のものも。


人物像から食物、植物、風景まで。本当に様々で、そう、私もこんな画集が作りたいと改めて思う。



食い入るように見つめていれば「描きたくなってきた?」と優しい低音が問いかけた。

彼女の座るロッキングチェアの後ろ、こちらも細長い造りをしている出窓へ軽く腰かけていた彼は、背中にお月様の光を浴びていた。

オレンジに輝いていた銀髪が、今は柔らかな白色を放っている。


ゆらゆら揺れる彼女は、いつの間にか本を読んでいた。

片耳にかけた黒髪が艶やかに、ほんのり揺れている。



あぁ、やっぱり、綺麗だ。



「はい、ものすごく描きたいです、お二人を」

「ふふ、是非とも描いてほしいなぁ」

「鉛筆しかないのが悔しい」


学校か家になら、道具が揃っているのに。


なんで今手もとにないんだ。

なんで、私は今、ここにいるんだ。



ゆったりと過ぎていく時間。

こんなにのんびりしていて、いいのだろうか。

こうして過ごしている間に、現世の私は死んでしまわないだろうか。



『生きるも死ぬも、自由だ』



彼女の言葉がよぎる。

分かっていることは、私は死にかけていて、ここは狭間の世界で、本屋じゃなくて、

この先生き続けるかこのまま死ぬかを選ぶことができるということ。


私は生きたいのだろうか。


絵は描きたい。

昔から絵を描くことが好きだった。家族から上手ねと褒められることが嬉しかった。友達から凄いと言ってもらえることが嬉しかった。

だから中学でも高校でも美術部に所属した。

毎日毎日、家でも学校でも、思うがままに描きたいものを描いてきた。


それだけが大好きな時間だった。



だけど、いつからだろうか、その時間に色が無くなったのは。

描くことが嫌になったんじゃない。

ただ、独りぼっちで、教室の片隅で描くことが苦しいと思ってしまった。

今まで描くことに没頭できたはずなのに、気づけば手が止まっていることが増えた。


まるで自分の胸の内を描き殴っているような。


生きて、毎日色味のない時間を過ごすくらいなら、もういっそこのまま死んでもいいんじゃない?



「娘、さっきも言ったが、ここに来るものは皆”生きる価値がある”ぞ」



考えを見透かしたような言葉に、ビクリと肩が跳ねた。


「と、ハイテク門は見極めたらしい、だけどねぇ」


なんて、余計な一言を付け足す彼は、どこか挑発的な笑みを向ける。

試されているんだろうか。私が何を思って、どちらの選択をするのか。

どうしたって、こちらに文句を言うのはなしだよ、という抑制もあるのだろうな。



私は、どうしたいのだろう。

いや、そもそも、


「なんで私死にかけてる?」


まずはそこからだろう。

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