少女の選択
「まぁまぁ、とりあえず座りなよ。紅茶好き?ミルクと砂糖いるかい?」
トレイ片手に戻ってきた彼が、どこかから持ってきた木製の丸椅子をカウンターの端に置いてくれた。
「ありがとう、ございます。紅茶好きです。どっちもいらないです」
おずおずと座りながら、畳みかけられるようにされていた質問に答える。
どうぞと目の前に置かれたティーカップ。透き通る深いオレンジから、ほわんと香る茶葉の匂い。
ふぅふぅと少しだけ熱を飛ばし、口をつけた。
「おいしー…」
「それはよかった。紅さんはそういう感想一度も言ってくれたことないからさ」
拗ねたような物言い。
「紅さん、どう?」なんてカウンターの向こう側でカップに口をつけている彼女に投げかけるも、それに返答はなく。
それでも、ただ静かに、ゆっくりと味わう
「さて、話を戻そうか」
ほっと一息ついたところで、彼は切り出した。
彼女の傍らに立ち、「あらためまして、」と凛と声を張る。
「ここは、現し世と常世の狭間の世界。私たちは狭間の管理人だよ」
「よろしくね」とにこりと微笑みかけてくる彼と、まっすぐにこちらを見とめる彼女。
現し世と常世。つまり、生きいている世界か、死んでいる世界か。
の、狭間…?
「娘、さっきはもう死んでいると言ったが、正確には”死にかけ”だ」
「し、死にかけ…?」
「そうだ。ここに来る前、自身が何をしていたか覚えていないか?」
「何って、学校から帰って、」
「本当か?学校から出た記憶はあるか?いつもと変わらぬ道を辿ってきたか?」
そう、透き通る声で問われて、思わず黙り込む。
自信をもって「はい」と答えられなかった。
自分が帰っていることを”思い出した”瞬間があった。そんなことも忘れていたのかと、自分でおかしいことに気づいていたはずだったのに。
見慣れた風景と履いている靴で、そうなんだと思い込んでいたのだと気づかされる。
「じゃあ、私は何を、」
混乱する。自分はどこにいて、何をしていたのか。なぜここにいるのか。
いや、待って、
「死にかけって、なに?」
私、何が起きているの。
「どうして娘がここにいるか、それを話す前に”ここ”の話をしようか」
ロッキングチェアにゆったりと座り、ゆらゆらと揺れる彼女は窓から差し込む夕日に目を細めた。
もうすぐ、日が落ちる。
「朔が話したように、ここは狭間の世界。現し世で命を落とした者があの世へ行く前に通る世界だ」
「いわば死者の登竜門だね」とにこやかに捕捉する彼に、誰が突破したいんだよその門、と冷静に突っ込みたくなる。
「皆が皆ここを通るわけではなく、行先が不確定のものだけがやってくる」
「不確定…」
「そうだ。娘みたいな者たちだ」
「つまり死にかけのやつらと」
こくりと頷いた彼女は、そのまま続けた。
「獄に落ちる者はここを通ることなく冥府へ、天へ昇る者もまたそのまま天界へ。
生死を彷徨っている者、はたまたどちらにでも行ける可能性がある者は、ここへ」
「行ける可能性って、選べるんですか?」
「そうだ」
え、選べるの?こっち側が?
「狭間にきた時点で、生死を選べる者とみなされる」
「どういう基準で…」
「知らん」
ピシャリと言い放たれたそれに、ガクッと上半身だけでずっこけた。
「門を通っただろう、朔と一緒に」
「あぁ、あのやたら縦長の」
「あれを通った瞬間に判断しているらしいぞ」
「門が?」
「門が」
金属探知機みたいな?
「生きていた頃の行いや死因から、その人間がどこに進むべきかを判断している」
「あの門は全員通るんですね」
「たぶんな。私は機械に疎い」
突如取り入れられたのであろうシステムに管理者が着いていけていないらしい。
好きにしろとでも思っているのだろう。
「そこから私たちがやっていた時代もあったがな、システム化というやつだそうだ」
「ここでも労働改革ってあるんですね」
「いつの間にか出来ていた」
「はぁ…なるほど…」
何がなるほどだ。この狭間とかいうもはや存在自体が幻のような世界でシステム化?労働改革?
死んでからも働くのか今の時代は。いや、違うか、この人たちは、ここで働いているというだけか。いやはや、常軌を逸している。
そんな通ったら適合診断できますみたいなハイテク機器が存在するなんて。
現世にも欲しいじゃないか。
社会人になる前に、自分に合った職業を選別してくれる門があったら、就活ってもっと上手くいくのに!
まるでOLが同僚とランチを楽しむかのように、自分が置かれている現状を忘れてぬるくなった紅茶をすする。
「生きるも死ぬも、好きにしろと判断された者のみここへ案内するようにしている」
「丸投げかい」
「そうとも言う」
「だが言い換えれば」と続けて、彼女もまた紅茶を一口。
伏し目がちな表情と、ゆっくりとした所作がなんとも美しい。
「ここへ来たものは”生きる価値がある”と判断されたということだ」
彼女の視線に捉えられ、そこに宿る強かな光にまるで衝撃を受けたように身体が硬直した。
あぁ、この人は、生きて欲しいんだ。私に、ここを通るすべての人たちに。
そしてきっと彼もまた。
傍らで静かに話を聞いていた彼を見やると、それに気づいて柔く微笑む。
窓の外は紫が濃くなり、月明かりが辺りを照らしはじめていた。
「娘、おまえにはこの先を選択する権利がある。生きるも死ぬも、自由だ」
それを自分で選ばせるのだから、神様って残酷だ。
神様で合ってるかは定かじゃないけど。
なんにせよ、まずは。
「ここって、本屋じゃなかったんですね」
予想外の言葉に目の前の神様たちは一瞬言葉を失って、それから。
彼は輝く銀髪を揺らして愉快そうに笑い、彼女は眉根を寄せて悩まし気な表情のままふぅ…、と少し長めに息を吐いた。
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