第4話



 満月の夜。



 ブルゴーヌ王国の庭園は、『幻想的な物語の世界』そのものだった。美しい月光が芝草を照らし、夜になると羽を発光させる星光蝶たちがヒラヒラと舞うなか。



 煌びやかななドレスと洗練された夜会服に身をつつむ数十組の男女が、洒落た会話を楽しみながら、思わせぶりな表情を浮かべていた。



「わたくし、今宵は酔わないようにしないといけませんわ」



「それがいいですね。酔った勢いの夜というのは刺激的ですが、たいてい翌朝には忘れたくなる刹那的なものです」



「貴方には忘れたい夜が多いのかしら」



「そうかもしれません。しかし今宵は、忘れたくない夜にしたいものです」



《きらめく星々☆貴方と貴女の恋一夜》の主催者であるブルゴーヌ王国第三姫ヴィヴィアナは、周囲から漏れ聞こえてくる会話にご満悦だった。



 ―― 今宵はどんな恋が生まれるのかしら



 ―― わたしも、がんばらないと!



 他人の恋路も気になるが、自分の恋路もおろそかにしないヴィヴィアナは、美しく結い上げた金髪に、白金色に輝くドレスを身にまとい、



「ごきげんよう、皆様。どうか、素敵な夜にしてくださいね」



 王族にふさわしい優雅さで招待客をもてなしつつ、意中の人をさがすヴィヴィアナの姿は、さながら『月から舞い降りてきた妖精』が、探し物をしているような不思議な魅力にあふれ、招待客の心をさらなる『幻想的な物語の世界』へと引き込んでいく。



 そうして人々の目を惹きつけながら軽やかなステップで庭園を見回るヴィヴィアナは、人込みを避けるようにたたずむ、めずらしい客を見つけた。アイスブルーの瞳が瞬く。



「貴方が顔を見せるなんて、どういうこと? ウイッチ宰相補佐官」



「王女殿下におかれましては、ご機嫌麗しく。どうぞ、お気になさらず。宰相補佐官として自国で催されるパーティーを見分しているだけですから」



「めずらしいわね。貴方がそんなことのために時間を割くなんて……一番興味がなさそうなのに」



「興味があるか、ないか、で云えば、殿下のおっしゃる通りまったくありませんが、国庫の経費がどのように使われているかを実際に見て、把握するのは文官の務めですから」



「見分するのはたしかに文官の役目だと思うけど、宰相補佐官の貴方は報告を受ける側だと思うのだけど……まあ、いいわ。それより、気が付いているのかしら?」



「さて、何をでしょうか?」



「まあ、しらばっくれて。ご令嬢たちの視線よ」



 めったに顔を見せない美形の宰相補佐官に向けられる好奇の視線は、けっこうあからさまだった。



「気になるご令嬢がいたら、声をかけてみたらいいのに」



「ご冗談を……商家出身のわたしなど、とても声をかけられない高貴な方ばかりですので」



「また、そんなことを云って、ていよく断るいつもの口実じゃない。わたしが知らないとでも思って? 貴方が片っ端から縁談を断っているのは有名よ」



「さすが、王女殿下。他人の縁談にはお詳しい」



「茶化さないでちょうだい。次期宰相の席が約束された貴方なら身分なんて関係ないわ。伯爵家だろうと侯爵家だろうと大喜びよ」



「伯爵家、侯爵家ですか……」



 美形の宰相補佐官の表情が一瞬曇ったのを、ヴィヴィアナは見過ごさなかった。



「あら、不服なの? もっと上の貴族階級がお望みかしら。たとえば公爵家とか、それとも王家とか?」



 ヴィヴィアナの言葉に、「また、ご冗談を……」と返そうとしたオリバーだったが、その声は会場のざわめきによって掻き消された。



 満月が明るさを増したガーデンパーティーのなかごろ。



 庭園に一組の男女が現れた。



 どこからともなく漏れた溜息は、徐々に感嘆のざわめきへと変わり、いまや招待客の全視線が注がれているといっても過言ではない。



 周囲の視線を一身に浴びながら神秘的な微笑みを浮かべる麗人は、夜空のような濃紺のドレスを着ていた。



 胸元から裾にかけて星屑のように散りばめられた白水晶の粒子は、月光を受けて流星のように輝いては消え、風に揺れてまた輝く。



 絹糸のように艶めく銀色の髪を結うこともせず、ただ背中に流しているのに、それがまた彼女の魅力をより一層引き立てていた。



「嗚呼……夜の女王だ」



 誰かが云った。



 さらなる幻想の世界へといざなう『夜の女王』のとなりには、それでもなおかすむことのない眉目秀麗な貴公子がいた。



 同じく濃紺の夜会服に身を包んだ貴人は、少し癖のあるプラチナブロンドの髪を左肩でひとつに束ね、流れるような完璧な所作で女王をエスコートしている。



 夜の女王が、貴公子の耳元で何事かをささやき、鮮やかなエメラルド・グリーンの瞳で庭園を見渡せば、誰もが息をのみ、呼吸すら忘れた。



 女王のささやきに柔らかな笑みを浮かべた貴公子が、艶やかな流し目をおくれば、



「嗚呼……胸が苦しい」



 多くの貴婦人たちが、クラリとよろけた。



「もう、ダメだわ。なんてことかしら、神の御使いのように麗しい御方なのに、あの涼やかな目で見つめられると、なぜか悪魔に魅入られたような……」



 夜の庭園は、神秘的な夜の女王と魔性の貴公子に支配された。




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