第3話



 エリーゼとグロリアを乗せたワイバーンは、北を目指していた。



 少し冷たくなってきた北風を頬に感じながら、エリーゼは前方を飛ぶ黒竜の背を見つめる。マーカスの機嫌が悪いのか、騎手が悪いのか。なんとも安定性のない飛行をつづけるクラウスとレオン。



 それに比べて、グロリアが手綱を握るワイバーンは、安定性抜群のため、エリーゼはじっくりと、これからの策を練ることができた。



 いまから一刻ほど前 ——



 覚悟を決めたエリーゼは、『智の塔』を降りた。ブルゴーヌ王国にあるディアモン山までの随行を承諾するかわりに、ルーベシラン王国へのいかなる干渉もしないことを条件に。



 しかし、すでに『智の塔』で約束を反故ほごにされていることから、



「あなた方の云う事は、まったく信用できません」



 人質ならぬ石質をとった。帝国の竜騎士たちが必ず持つ輝石 —— 【竜の紋】当然ただの石ではない。古の魔力を帯びた貴重な魔石は、持ち主をライオネル帝国へと転移させる術がほどこされている。



 しかも、騎士団内での序列が高ければ高いほど、転移先は国の中枢となるので、これさえあればライオネル帝国への侵入など簡単だ。



 レオンが所有する紫色の【竜の紋】は、内側からキラキラと輝く光彩が素晴らしく、竜騎士団の副師団長が持つにふさわしい輝石だ。その【竜の紋】はすでに、無事だったスカリーによって、ルーベシラン王国へと運ばれている。



 ブルゴーヌ王国に到着する頃には、短くも濃い内容の手紙とともに、ステファン家の領主であるグロリアの祖父に届いているはずだ。



 わたしとリアに何かあったら、ステファン家の一族総出で帝国の国家機密を根こそぎ奪ってもらわないと割に合わない。



 そしてエリーゼの胸には、黒と青が入り混じる【竜の紋】が揺れている。王位継承権がないとはいえ、帝国の王子が持つ【竜の紋】は、やはり格別の美しさだ。



 これひとつで、ルーベシラン王国の財政がたっぷり潤うほど貴重な魔石を、なんの装飾もない革紐に通しただけの扱いとは……よほど腕に自信があるのか、それともただの無頓着なのか。



「たぶん、無頓着。まあ、クラウスらしいといえば、らしい —— あっ」



 エリーゼは思わずでてしまった言葉を呑み込むように、手で口を覆った。



「姫様、どうかなさいましたか」



「なんでもないわ」



 振り向いたグロリアに首を振り、エリーゼは黒竜の背を見つめた。



 —— クラウス



 あまりに自然に口からでてしまった名前に驚き、エリーゼの胸がまた少し疼いた。



 右にふらふら、左にふらふら。



「少しは安定させてくだ —— うわあぁぁ!」



 急降下に急上昇。



「舌を噛みたくなかったら、黙っていろ、レオン!」



 とにかく機嫌の悪いマーカスを相手に、まったく余裕のない手綱さばきをみせるクラウスは、しかし、頬がゆるむのを抑えきれない。



 愛しい姫君の胸にはいま、己の【竜の紋】が揺れている。聡明である姫君も、さすがに北の習わしまでは知らないのかもしれない。



 竜騎士がもつ【竜の紋】には、危急時に転移できるという役割のほかにもうひとつ。婚姻を誓った『あかし』として、婚約者へ捧げるという、古いしきたりがある。その意味は —— 何があっても、必ず貴女の元へ戻ります。



 俺が、姫君と……婚約



 いま一度、エリーゼの胸で揺れる【竜の紋】を見たくなり、後方を飛ぶワイバーンに視線を向けると、



「婚約者ではなく、しちにとられただけです」



 ぶっちょ面のレオンに視界を妨げられた。



「そんなことは……わかっている」



「わかっていない、その緩みきった顔は、全然わかっていない!」



「うるさいな」



「忘れたんですか? エリーゼ姫の冷た~~い御言葉。僕たちのこと『まったく信用できない』ですよ。あの侍女なんか、背筋が凍り付きそうな視線で威圧してくるし! そのうえ、二つ返事で貴重な【竜の紋】を渡すなんて信じられない! しかも、僕の分まで! おかげでこっちは完全に逃げ道なしだっていうのに、自分だけ浮かれて —— うわぁぁぁぁっ」



 手綱をわざと緩めたクラウスは、乱高下するマーカスの背でレオンの悲鳴を聞きながら、後悔していた。



 ああ、こんなことなら、もっと美しい鎖に【竜の紋】を通しておけばよかった。



 たとえ質だとしても ——姫君の胸で揺れる【竜の紋】を見たときの高揚感は、しばらく忘れられそうにない。





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