竜の紋
第1話
囚われてから数時間が経過した塔で、エリーゼは格子のある窓辺にもたれていた。
窓辺から眼下を見下ろせば、丘に沈みゆく夕日のもと、黒竜の巨躯が長い影を作っており、そのとなりにはワイバーン、そして心配そうに塔を見上げるグロリアの姿がある。
もう少しといったところかしら。
エリーゼは口元と喉に手を当てる。
クラウスに盛られた痺れ薬は強力で、意識を失って目覚めてからも、声は出せないし、動けないという、やっかいなモノだった。
時間とともに薬の効果が薄れるのを待ち、少しずつ身体が動くようになったところで、這うように窓辺にたどりついたエリーゼは、リアの姿を見つけホッとした。
さすが、リアね。うまくやったようだわ。
すぐにでも塔に招き入れたいが、さきほどクラウスを弾き飛ばした古代魔法が持続しており、エメラルドグリーンの光に覆われた塔は、解呪の呪文が唱えられるまで、何人たりとも侵入を許さない要塞と化している。
そして残念なことに、解呪の古語を唱えられるエリーゼは、痺れ薬の影響でうまく声をだせないというのが、現在の状況だ。
声がだせるようになるまで、あと小一時間といったところかしら。
エリーゼは口元を指で強めに突きながら、徐々に感覚がもどりつつあるのを感じた。薬が切れるのを待つ間、エリーゼは自分の失態を後悔せずにはいられなかった。
わたしはいつから、あの王子に気を許してしまったのかしら。
短い時間ではあったけれど、王子に対するエリーゼの評価は決して悪くなかった。少々武骨すぎる面もあったが、彼は常に騎士然としていたし、ずっとあこがれていた竜に騎乗させてくれたときも、何かとエリーゼを気遣っていた。
—— やられた。
その裏に隠された悪意を見抜けなかったのが、わたしの未熟さだわ。
結局のところ、帝国の王子の目的は、魔竜を解き放つために必要な古語の解読者を連れ去ることだった。
—— くそうっ!
声にはでない悪態をつきながら、エリーゼの腹正しさは急上昇していく。
『 どうか、クラウスと呼んでください 』
そう云った、あの男の表情を思い出す。
「もう二度と呼ぶものかっ!」
—— あっ、声が出たわ。
エリーゼは膝にのせていた古書を開き、美しい紋様で描かれた陣に片手をのせると、
「 —— ǀ ǁ ǂ ¶ 」
解呪の古語を唱えた。
解呪されたことにより、エメラルドグリーンの光が消えた塔。
現れた塔の入口からグロリアが駆け込んでくるのを確認したエリーゼは、王子に対する腹立たしさはひとまず隅におき、事後処理に頭を悩ませはじめる。
最上階までつづく塔の扉はすべて解放されているから、グロリアが駆け上がってくるのに、そう時間はかからないだろう。
それまでに、少しでも頭のなかを整理しておきたかったが、どう考えても……
面倒なことになっちゃったなあ。
相手の真意をつかめていたならば、それ相応のやり方でルーベシランから追い出せたのに……時すでに遅し。
緊急事態だったとはいえ、帝国の王子を強制魔法で排除したうえ、リアがこの場にいることを考えれば、トォーリヤの砦でもリアによる力業で、レオンは排除されただろう。
殺してなければいいけど……
グロリアの報告を訊くのが、少々怖いエリーゼだった。
その後、10分もかかららずに最上階に現れたグロリアに、
「姫様! ご無事ですか!」
身体中をくまなく観察され、念のためと恐ろしく苦い薬湯をのまされた。
白湯を飲み、苦さが和らいだあとは、鬼の形相の侍女から「何があったのですか」と厳しい追及を受け、エリーゼは油断してしまった自分の不甲斐なさを披露する羽目になった。
事の成り行きを知ったグロリアの怒りはエリーゼ以上で、めったに見せない裏の顔で吐き捨てる。
「あの男ども……やはり泉に沈めるだけでは足りませんでした。生きたままワイバーンに喰わせればよかった」
「泉に沈めた?」
「はい」
即答したグロリアから、トォーリヤの砦での出来事をきいたエリーゼは、自分の耳を疑う。
『 暗黒の竜騎士 』と『 紫紺の死神』を相手に、いったいどうやって……いまだ底知れぬグロリアの実力に、エリーゼはリアの実家であるステファン家の凄さを再認識した。
極秘中の極秘事項であるが、とある王国の裏稼業を一手に引き受けていたというステファン家。
代々仕えていた王国が滅び、一族はたまたま流れ着いたルーベシラン王国で、当時の国王に拾われたという。
とある筋の噂によると、その「とある王国」を滅ぼしたのが、実はステファン家である、とか、そうでないとか。
そんないわく付の一族を、迷子の犬を保護するかのように拾い、爵位まであげてしまったのは、なにを隠そうエリーゼの高祖父である。
いわゆる、ひいひい爺さん。
その後、表向きは一貴族として護衛任務の職につくステファン家であるが……小国ルーベシランにとって一族の働きは、周辺各国の一軍隊の軍事力に相当する。
得意分野は、偵察、謀略、暗殺。
「殺してないわよね」
「おそらく」
念のため確認したエリーゼが、不安になるような返事が返ってきた。
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