第3話



 頬に冷たい風を感じ、レオンは徐々に覚醒していく。



 —— ここはどこだ?



 青い空と鬱蒼とした森が広がる景色を視界にとらえた次の瞬間、身体が落下する浮遊感を感じ、



「……なっ!」



 声をあげるまえに、水しぶきが上がった。



 —— これって、どういう状況?!



 手足が拘束された状態で、水に沈んでいく身体。水面はどんどん遠ざかっていく。縄抜けの心得はあったが、水中での縄抜けは難儀だった。



 —— これって、かなりヤバイかも



 息が苦しくなってきたところで、両足に何かが巻き付いたと思ったら、今度は水中を急上昇していく身体。



 下から押し上げられるように水面から顔をだしたレオンが、ありったけの空気を吸い込んでいると、派手な水しぶきがあがり、必死の形相のクラウスが水中から飛び出してきた。



 —— マジで危なかった。



 クラウスによって泉から引っ張り上げられ、短い草の上で拘束を解かれたレオンは、



 —— 痛い



 脇腹に軽くはない痛みを感じ、濡れた上着をめくってみると、赤黒くなった内出血が腹部の広範囲に広がっていた。



 まったく身に覚えのない打身に驚いていると、草地に身体を投げ出したクラウスが、荒い息をつきながらつぶやいた。



「……あの侍女は……まちがいなく凄腕の暗殺者だ」



 さっきまで砦の森にいたのに、なんでこんなことに?



 状況のつかめていないレオンに、クラウスが話してくれた内容は、ライオネル帝国竜騎士団『紫紺の死神』を身震いさせた。



 トォーリヤの砦の森で、気配なく近づいてきた侍女は、おそらく針のような武器でまずレオンを失神させ、なんとか命中はさけたものの、首筋に針をかすめてしまったクラウスも、失神の1歩手前の状態にされ、あえなく捕縛。



 その後、ワイバーンを連れて戻ってきた侍女に、「散歩の時間だ」と云われ、拘束された状態のまま荒縄一本でワイバーンの足にぶら下げられ、智の塔の西側にある泉の上空に着くなり、いきなり解放、上空から真っ逆さま —— ということだった。



「とんでもないですね……捕虜以下の扱い」



「まったくだ。相当な手練れだとは感じていたが、こちらの想像のさらに上だった。いつ殺られてもおかしくなかった」



 帝国の王子であり、竜騎士団師団長という立場上、命の危険は日常的にあったが、今日ほど暗殺者の掌で転がされたことはなかった。



 クラウスは己の未熟さを実感しつつ、森の木々から尖端をのぞかせた智の塔を見据える。



 姫君のもとへ行かなければ ——



 あの侍女兼暗殺者に今度こそ殺られるかもしれないが、「行かない」という選択肢はない。それに正直、あの女が羨ましくもあった。



 なんの憂いもなく姫君のそばで、手足となって仕えられること、躊躇なく姫君のために報復できること。



 もし自分がひとりの男だったら、この命など、とっくに姫君に捧げているだろう。それができたら、どんなに幸せだろう。



「智の塔へ行く」というクラウスを、レオンは必死でさとしていた。



「治香草はあの侍女が持っていったんですよね。それならもう、エリーゼ姫に飲ませているはずですから、今すぐ塔へ向かうのは得策ではないですよ」



「それでも、俺は行く」といってきかない上官に、レオンはあきれ顔を隠せない。



 勇猛果敢でありながら冷静沈着で、戦況を見極めるのにあれほど長けているこの師団長が、初恋のお姫様のことになると途端、無策のダメ男になってしまう。



 初恋こじらせ残念王子 —— レオンは心のなかでそう呼んでいる。



 まったく気乗りしないレオンだったが、あの恐ろしい侍女が待つであろう場所へ、クラウスひとりを向かわせるわけにはいかない。しかし、塔までの移動手段に、「それはない!」と盛大に文句をいった。



「どうして、歩きなんですかっ! マーカスを呼んでくださいよ!」



「ダメだ、また上空で狙われるぞ」



「だったら、せめて塔の近くまで飛びましょうよ。竜なら数分の距離ですけど、歩いて行けば良くて日暮れ、下手したら森のど真ん中で野宿ですよ。知っていますか? 僕の装備、ナイフ1本だけっ!」



「油断し過ぎだ。いつ何時なんどきも帯剣していろと、あれほど云っているだろう」



「自分だって油断したくせに! エリーゼ姫に塔から追い出されたくせにっ!」



「うるさいっ!」



 言い争いながらも、森に住む獣たちを威嚇し、ときには狩りながら最短距離で塔をめざすふたりを、上空から大鷹がみていた。




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