第12話



 クラウスを無言のまま見つめたエリーゼは、この王子がいったい何をどこまで知っているのか推し量っていた。



 やはりこの王子は、くせ者だ。まったく油断ならない。



 クラウスが云うところの古書『 賢しい者の教え 』には、たしかにすべての竜はいみなで縛ることができると記されている。



 しかし――それは古来種の竜に限ってのことかもしれない。



 錬金術によって誕生した人為的ともいえる竜に、果たしてそれが通用するかどうか。そもそも考えてみれば、魔竜にいみながあるならば、アルトー率いる討伐隊があれほどおおがかりな古代魔法を発動する必要はなかったのではないだろうか。



 或いは――同じディアモン山にあるアラケラスの棲家に行けば、いみなを知る手がかりが見つかる可能性はある。



 偵察隊がみつけたという「空間の歪み」は、おそらく数百年が経ち綻びはじめたアラケラスの棲家に掛けられた目くらましの術のことだろう。



 どちらにせよ、この王子に不確かなことを告げるべきではないことは、明白だ。加えて、隣国のブルゴーヌ王国を敵に回すつもりもない。



 さて、どうしようか。



 数秒後、エリーゼは立ち上がり、書斎の本棚から1冊の書物を取り出してくると、ふたたびソファーへと腰をおろした。



「これが、賢者の書です」



 色あせた緋色の古書を、クラウスへと差し出す。



「……これが」



 薄汚れた表紙を見つめるクラウスに、エリーゼは適当なページを開いてみせ、そして涼しい顔で嘘をついた。



「竜を操る術など、わたしには判りかねます。わたしが翻訳した古書にも、もちろんこの『賢者の書』にも、そんなことは記されていませんよ。いったいどちらの古書に、そのような夢物語が記されているのかしら。是非1度拝見したいものです」



 クラウスの視線を真正面から受け止め、エリーゼは笑みを浮かべる。



「姫君はご存じない、と云うのですか?」



「ええ、そうです。竜を操る術がない以上、魔竜の封印を解くのは危険です。是非ともご賢明な判断を」



「つまり、危険ではあるけれど『魔竜』の封印解呪だけならばできるということですか?」 



 顔が引きつるのを、エリーゼは懸命に耐えた。



 本当に、わからず屋な王子だ。



「ご賢明な判断を、と申し上げたばかりです。解呪にご協力することは出来かねます。これがわたしの答えです」



 クラウスの表情は、一気に険しくなった。



 ああ、怒らせてしまったかな。ライオネル帝国の王子の機嫌を損ねてしまったと知ったら、我が父はまた頭を抱えて嘆くだろう。



 ―― ああ、エリーゼ。お前はまた婚期を逃すようなことをして、とか、なんとか。



 エリーゼは、深い溜息をひとつ吐いた。黒の王子の機嫌を損ねても、これ以上この話しを長引かせることが、得策とは思えない。直感というべきか。得体の知れない胸騒ぎというべきか。



 とにかく早く、この話しを切り上げ、智の塔を降りるべきだと、第六感が告げている。



 エリーゼとクラウスの間には、開かれた『 賢者の書 』がある。



 古語の暗号が並ぶ頁に目を落としたエリーゼは、



「しかしながら、何も協力しないというわけにはいかないでしょう。ここにディアモン山にあるアラケラスの棲家と封印された魔竜の正確な位置が記されています。それをお伝えしましょう」



 まあ、古語の解読ができない以上、解呪は無理でしょうけど、と思いつつ、さきほどよりも、早口になっている自分にエリーゼは気がついた。どういうわけか、じんわりとからだも熱を持ちはじめている。



 ガラにもなく、黒の王子を前にして緊張しているのだろうか。俯くクラウスの表情に変化はない。



「ディアモン山が地殻変動を起こしているならば、座標に多少の狂いは生じているかもしれませんが、アラケラスの棲家は ――」



「お待ち下さい、姫君」



 エリーゼの言葉が遮られる。それまで黙していたクラウスが急に顔をあげた。



「それを聞く前に、貴女にお伝えしなければならないことがあります」



 眉間に刻まれた深いシワ。きつく引き結ばれた口元。苦しげに歪んだ表情のクラウスに、エリーゼの心拍数もあがっていく。



 嫌な胸騒ぎが的中したかもしれない。そんな予感にエリーゼは額の汗を指先で拭い、クラウスの次の言葉を待つしかなかった。



「わたしは、これから貴女の意に反したことをするでしょう」



「意に反すること? それはいったい何でしょうか。クラウス、貴方は約束をしました。口約束とはいえ、国と国とが交わした約定を破るというのですか」



 なんとか平静を保ちながら問いかけるエリーゼに、



「…………」



 クラウスからの返事はない。



 こんなとき。いつもなら、次から次へと策を練り、最善の策を導き出すエリーゼだったが、どういうわけか集中できない。異常な喉の渇きを感じ、ますます躰が熱を持っていく。



 震えだした指先の動きを隠すように、ソファーの肘置きに左右のてのひらを押しつける。



 躰の異変はあきらかだった。それでも、ここで引くわけにはいかない。




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