第9話
石塔の中は、巨大な迷路だった。
頭上で絡み合い、幾重に交わる螺旋階段を、唖然として見上げるクラウス。精巧にできた時計の内部を見ているようだった。
螺旋の迷路を前にしたエリーゼは、無造作に置かれた古い燭台に火を
「……見事ですね。たったひとつの灯りで、こんなに明るくなるなんて、すごい仕掛けだ」
クラウスの目が、好奇心旺盛な少年のように輝く。
純粋な目に思わず警戒心を解いてしまいそうになったエリーゼは、
「どうぞこちらです。ご案内しましょう」
視線を合わせないように螺旋階段の迷路を抜け、中階層へとすすんだ。
「ここから先は、第二の難関というべきアルトーからの謎解きに答えていかなければ、上層階への扉は開きません。これも入口の隠し扉同様に、魔法陣の仕掛けがあり、石板に出現する謎解きは毎回違います。さて……今日はどんな趣向かしら ――」
クラウスにはまったく理解できない石板の謎解きを、エリーゼはときにあっけなく、ときに熟考し、「ああ、そういうことね」と次々と解いていく。そして30分も経たないうちに、賢者アルトーの居住区であった最上階の扉を前にしていた。
「この先が、アルトーの書斎です」
最後の謎を解き、エリーゼが扉を開いた。
アルトーの書斎に足を踏み入れ、まず目に飛び込んでくるのは、大陸の古地図が刺繍された大きなタペストリーだ。つぎに、石塔の内部とは思えない木のぬくもりに驚かされる。石壁だらけだった螺旋階段や中層階とはまるで違う趣が広がっているのだ。
吹き抜けの天井は太い古木が梁となり、緑の天幕を支えている。天頂にむかって伸びる木のはしごは寝室のあるツリーハウスへとつながっていて、その造形は本物の巨木を目にしていような錯覚を覚える。
書斎にあつらえられた書棚や文机にも、すべて古木が使われている。新緑色のラグには、魔法陣を模した紋様が描かれ、最上階のみに作られた格子窓からは陽の光がふりそそぐ。
エリーゼは、緊張が解けていくのを感じた。いつきてもアルトーの書斎は、穏やかな気持ちにさせてくれる。たとえ連れが、帝国の王子だったとしてもだ。
視線をクラウスに向けると、すっかり賢者の書斎に魅入っている。様々な系統の蔵書が並ぶ本棚を興味深げに眺め、天頂のツリーハウスに登りたくて仕方がないように見える。
書斎に置かれた一人掛けのソファーに腰掛けたエリーゼは、しばしクラウスを観察しながら、いつ『 賢者の書 』の在りかを問われるかと身構えていた。しかしクラウスは、一向に本題にはいるそぶりを見せず、あれこれと質問をはじめた。
「どうしてこの地に、アルトーはこのような塔を建てたのでしょうか。姫君はご存知ですか?」
「諸説ありますが、晩年は人嫌いになって引きこもる場所が欲しかったとか。この森を若い頃からアルトーが気に入っていたことは、いくつかの古書に記されていますので、晩年の棲家に選んだのではないでしょうか」
「人嫌いになった理由は、やはり知識を利用され、多くの争いに巻き込まれたからでしょうか?」
「そうかもしれませんね」
「しかしどうやって、食料や日用品を調達していたのでしょうか。やはり転移魔法で……アルトーほどすぐれた賢者であり魔術者であれば、古代魔法でいかようにも暮らせたのでしょうか」
クラウスの問いは、しばらく終わりそうになく、羊の皮で作られたソファーにエリーゼは深く座り直した。
クラウスの求めに応じ、アルトーの食糧事情についてエリーゼは説明をする。
「アルトーの日記によると、北の賢者と仲が良かったせいか、定期的に知識の見返りとして転移魔法で食糧を送ってもらっていたようですね。あとは時々、南方から竜種が運んできていたようです」
「北の賢者といえばノーンですか?」
「ええ、そうです」
「では、南方の竜というのは?」
「ご存知ありませんか? 南方の賢者アラケラスが使役していた竜です」
賢者アラケラスの名に、クラウスの顔が険しくなった。
「それは、魔竜のことですか?」
「そのとおり」
「智の賢者アルトーと魔の鎌金術士が懇意にしていたとは知りませんでした」
魔の錬金術師とは、南方の賢者アラケラスの別名だ。悪名高き錬金術師の登場に、黒竜に騎乗するクラウスが顔をしかめるのも無理はないか。
エリーゼも苦笑を浮かべてみせた。
―― 古の時代
大陸に名を馳せた10人の賢者がいる。
智の賢者アルトーをはじめ、そのほとんどが今でも崇拝され敬われているが、なかには生前の悪行が後世にまで語り継がれ、忌み嫌われる者もいる。
そのひとりが、南方の賢者アラケラス。アラケラスは錬金術の研究に生涯を費やしていた。そしてついには、禁忌の錬成により『 幻獣 』生み出すことを試みる。
伝承によれば、その多くがキメラ化し暴走。周囲に甚大な被害を与えたとされているが、アラケラスが研究を止めることはなかった。自然界には存在しない亜種が誕生したのは、それから数年後。
亜種は『 魔竜 』と呼ばれ、古来種である『 竜 』の生態を脅かす存在になるのでは、と恐れられた。
そのため古代の王たちは「魔竜を消滅させろ」と南方の賢者に命じたが、
「愚かなことを。固体数の少ない古来種など、いずれ絶滅するぞ。偉大なる竜の血を残そうとは思わないのか」
アラケラスが応じることはなかった。
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