第6話



「何を話しているのかしら」



 炊事場の小窓から望遠鏡を覗くエリーゼは、中庭でなにやら話し込んでいる帝国の王子と童顔の副師団長を見ていた。



「姫様、かまどすすで、お召し物が汚れますよ」



 パン生地をこねるグロリアにたしなめられても、エリーゼは中庭から目を離さない。



「あとで着替えるわ。どちらにせよ、《 智の塔 》に向かうのは明日の朝だから、いまのうちに情報収集しておかないと」



 望遠鏡を覗いたまま返事をするエリーゼに、グロリアは半ばあきらめ顔だ。



 大陸広しとはいえ、炊事場の通気窓から真剣に覗き見するのは、ルーベシランの第1姫ぐらいだろう。



 エリーゼが賢姫と呼ばれる以前から傍に仕えるグロリアであるが、この姫には毎度驚かされてばかりだ。



 ―― 姫様は、本当に規格外だわ。



 その知性はもちろんだが、国内の事業を効率よく推し進めるための巧みな根回しは、老獪な宰相のようであるし、時として美しい外見を最大限利用して隣国との交渉にのぞむ姿は、天使の仮面をかぶった悪魔であった。



「姫様、それで何かわかるのですか?」



「全然、わからないわ。読唇術でも覚えようかしら……あっ、クラウスがレオンを蹴ったわ。手より先に足を出すタイプね」



 そしてときに無駄とも思えるような、非常に原始的な方法で情報収集をしようとするのが、なんとも微笑ましいのである。



 そんな規格外な姫君を、グロリアは心から敬愛していた。



 それゆえに――



 エリーゼに近づこうとする異性に対して、グロリアの目は自然と厳しくなる。



 剣術で鍛えられた両腕でパン生地をこねながら、ライオネル帝国の王子を脳裏に浮かべる。



 暗黒の竜騎士か。身分は申し分なく、武勇に関して今さら語る必要はない。見た目も……そう悪くはなかったが、これまで伝え聞いた良い噂も悪い噂も半々といったところで、姫様が云うように確かに情報不足だ。



 それに ――



 使い古された木製の台に、グロリアはパン生地を思いっきり叩きつけた。



 表向きは、多くの者たちと同様に『 賢者の書 』の知識を欲していると云っているが、その実、あの王子の姫様を見る目は、どうにも思慕の情であふれていた。



 長年の思いを募らせた男の目をして、姫様の一挙手一投足に胸を躍らせているではないか。



 しかし残念ながら――その思いは、姫様にはまったくといっていいほど伝わっていない。すべて空振りだ。



 見栄と肩書きだけの能無し男を見抜く才能はスバ抜けているのに、姫様は肝心なところで男女の色恋に疎い面があるから、当然といえば当然か。



 グロリアは自分の役目を再確認する。



 ひとまずは、姫様を無事に王宮へと連れて帰らねば。そして暗黒の竜騎士の本懐を、しっかり見極めなければならない。



 ◇  ◇  ◇



 古城での本日の夕食は、焼きたてのパンと野菜スープに、山羊の腸詰ソーセージという簡素なものになるはずであった。しかし、そこに豪華なメインディッシュが加わる。



「これ、仕留めてきました」



 夕刻、炊事場にレオンが持ってきたのは、血抜きがされ、上手に下処理がほどこされた鴨肉。グロリアは礼を云って受け取るも、自分より頭1つ分は背の低い従者に、半信半疑の目を向ける。



「レオン殿が射ったのですか?」



「ええ、そうです。ワイバーンで森を散策していたら、ちょうどいいのがいたので」



「鳥類は竜種が近くにいると、そばに寄らない習性があると聞いていたのですが」



「ええ、ですから、遠くを飛んでいた鴨の群れを弓で……」



「弓で……ですか。かなりの飛距離があるのでは?」



「そうですね。でも、鴨であれば的も大きいので、そこまで難しくはありませんから」



「飛行中の鴨を、ワイバーンを操りながら射るのが難しくないと」



「ええ、そうですけど、なにか?」



 きょとんとする帝国の従者に、グロリアは警戒を強めた。



「ただの従者ではない……そういうことか」



 右手に鴨肉、左手に肉切り包丁を持った左利きの侍女から、急にただならぬ殺気を向けられ、レオンは一歩後退した。



 そっちこそ、ただの侍女じゃないだろっ!



「あら、鴨肉ね」



 侍女とは思えぬグロリアの殺気からレオンを逃してくれたのは、淡いブルーのシンプルなワンピース姿で現れたエリーゼであった。



 グロリアはすぐに戸口に立つエリーゼの元に向かうと、肉切り包丁から手を離し、さりげなく立てかけておいた細身の剣を手にする。



「姫様、どうぞ。お部屋の方でお待ちくださいませ」



「でもリアだけじゃ大変でしょ。何か手伝えることはない?」



「もう、ほとんど終わりましたので」



「そう? 何かあれば云ってね」



 殺気を逃れたものの、まったくの丸腰できてしまったレオンは、調理台に何か武器になるものはないかと探しつつ、自分の耳を疑った。



 ありえない。小国とはいえ、一国の姫君が侍女を手伝うなど……



 帝国では考えられないことだった。そもそも、このような場所に平気で顔を出す王族貴族なんて、軍に所属するクラウスか自分くらいなものだと思っていたレオン。



 軽いカルチャーショックを受け、今度はレオンが警戒する番だった。



 ルーベシランは、どこか異様だ。平気で炊事場に顔を出すこの姫といい、ワイバーンを簡単に乗りこなし、自分を後退させるほどの殺気を放つ侍女といい、もしや、この姫君はエリーゼ姫の影武者か?



 大陸一の賢い姫君のことだ、こちらを警戒して幾重にも策を張り巡らせている可能性は捨てきれない。




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