第5話
西側諸国の小国にすぎなかったルーベシラン王国に、各国の有力者がこぞって押し寄せてくるようになったのは、この頃から。理由は明白である。
―― 大陸に伝わる古き伝承
万物創生と森羅万象が記された偉大なる書を手に入れし者。世界の王なり。
世界の王に手っ取り早くなる方法は、なんといっても婚姻である。なぜならエリーゼと結婚すれば、偉大なる『 賢者の書 』と、この難書を解読できる唯一の姫を、同時に手に入れることができるのだから。
「未来の夫となる御方に、わたくしが求めるのはただ1つ。それは知識と教養において、わたくしより優れていることです」
エリーゼが発した婚姻の条件は、ひとえに国益となる『 賢者の書 』と自分自身を、安易に他国に売るような政略結婚を回避するためだった。
しかし、『 賢者の書 』を秘し隠すだけでは、いつ他国からの侵略を受け、エリーゼもろとも略奪されかねない。ルーベシランには、それを押し止めるだけの軍事力はあるはずもなく……
そこでエリーゼは、『 賢者の書 』に記された知識を、国家、個人を問わず、古語の解読を含め提供すると、早々に明言していた。
もちろん対価はいただく。知識を得た後の利用方法も、しっかり探らせていただく。いわゆる、情報料である。
どこかの国が情報を独占しようと画策すれば、大陸中の国が黙っていない。略奪者には、暗殺者が送られる。
これにより、ルーベシラン王国の財政は多少なりとも潤い、さらには安全も確保されたのである。
そして昨夜、『 賢者の書 』の知識を求めやってきたのがライオネル帝国の王子。
「命じたのではありません。お願いしたのです」
―― 笑っちゃうわね。
ライオネル帝国に攻め込まれたら、ルーベシランなど一瞬で焦土と化すではないか。こちらが断れないと知りながら、要求を提示したくせに。
しかし、それが交渉というものだ。エリーゼは、冷たい眼差しをクラウスに向ける。
「命じたにしろ、願ったにしろ、それはまあ、どちらでも良いでしょう。だれが世界の王になろうとも、ルーベシランが戦火に巻き込まれなければ、わたしはそれでいいのですから」
エリーゼの願いはひとつだ。この王子が即刻、この地から立ち去ること。それが、今回の対価だ。
「クラウス、約束をたがえぬように。貴方が求める知識をお渡ししたのち、貴方はただちに出国してください」
そう云ってエリーゼは、見晴らし台をあとにした。
美しい銀髪を風に揺らし、颯爽と立ち去っていくルーベシラン王国の第1姫に、クラウスはかける言葉がなかった。はっきりと示された拒絶の意思。
トォーリヤの砦までマーカスの背で話をして、ほんの少し打ち解けられたと思っていたのは、自分だけだった。
常に数十手先を見据えた姫君は、これから起きることをすでに予測しているのかもしれない。レオンの云うとおり、これは最悪の一手になりうる。
しかし ――
見晴らし台から見える《 智の塔 》を睨み、クラウスは決意を固めた。
愚か者は、いつも武力に頼るしかない。
「姫君からすれば、わたしの策など……愚の骨頂だろうな」
自嘲して空を見上げれば、大鷹がゆっくりと大空を旋回していた。
「竜とワイバーンがいても、恐れることなしか」
普通であれば、本能的に危険を察知して、ここまで接近してくる鳥類などいない。よほどスピードに自信があるか、もしくは訓練された軍鷹か。
「見張られている、と見るべきか」
敵国の斥候が近くに潜んでいるのかもしれない。
「こんなときに」
クラウスは舌打ちし、足早に砦内へと戻った。
「レオン」
名前を呼ばれ顔をあげれば、渋面で中庭にやってきた上官が「上空を見ろ」と小声で云った。
「鷲……いや、鷹ですかね」
「おそらくな」
「ずいぶんと高いところを飛んでいますね。気になるのですか?」
「万が一にも姫君を危険に巻き込みたくない。今、戦えるのは俺とオマエと、おそらくあの侍女殿だけだ。奇襲されたら、正直分が悪い」
「そうですね。でも、あのグロリアとかいう侍女は、相当な
トォーリヤの砦に着くわずか2、3時間でワイバーンを乗りこなしてしまった腕前に嫉妬してか、レオンの口調はどこか棘がある。
「だろうな。しかし、そうはいっても女性だ。俺たちが守るべきだろう」
「まあ、たしかに。でも、敵国に鷹を操る斥候なんていたかなあ」
クラウスは低い声で、ささやく。
「敵国とは限らない。身内の可能性もあるからな。俺とオマエが帝国を離れていることに、そろそろ気がつくヤツがいても不思議じゃない」
「こんなところまで追っ手がくるなんて、さすが、クラウス殿下は憎まれていますね」
レオンのからかいに、クラウスの顔がますます険しくなる。
「冗談を云う暇があるなら、さっさと偵察にいけ。もし、鷹が高度を下げたら、念のため射落としておけよ」
「了解しました。まったく、人使いが荒いなあ。それに機嫌も悪いし……またエリーゼ姫にいい負かされたんですか?」
「うるさいっ!」
「痛てっ!」
クラウスの足蹴りが、レオンの脛を直撃した。
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